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#ローファンタジー
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14-1◆観測不能の聖域◆
教室はまだ革命の熱に浮かれていた。
松川や中河を中心としたバスケ部の連中が、興奮冷めやらぬ様子で騒いでいる。
彼らにとってこれは俺への賞賛ではない。
彼らが信じる「天宮蓮司」という価値観が守られたことへの歓喜なのだろう。
バスケ部の連中にとっての「天宮 蓮司」という存在は、久条とは異なる価値観を持っていたということだ。
俺は興奮冷めやらぬ教室の熱気と、頬を伝う冷や汗の温度差を感じた。
その時だった。
俺の視線がふと教室の隅で、一人静かにその光景を眺めている白瀬ことりを捉えた。
彼女だけがこの熱狂の中にいながら、まるでそこにいないかのようにただ静かだった。
Tシャツの狂騒にも演劇決定の歓喜にも彼女は一切反応していない。
(そうだ。彼女はこのホームルームをどう感じていた?)
俺は初めて明確な意思を持って、右目に融着したカーストスカウターの焦点を彼女に合わせた。
この世界の全ての人間をデータ化する俺の絶対的な眼。
彼女のその鉄の仮面の下に隠された本当の感情を、今俺が暴いてやる。
【対象捕捉:白瀬 ことり】
【解析中】
その文字が表示された、瞬間。キィィィィィン!!!!!
右目の奥、神経の芯まで直接焼かれるようなこれまで聞いたこともない甲高い金属的な絶叫が鳴り響いた。
視界が真っ白なノイズで埋め尽くされる。
目の前のスクリーンが激しく明滅し、そして俺の脳に直接、警告を叩きつけてきた。
【エラー:アクセス拒否】
【警告:対象は、観測不能オブジェクトです】
「ぐっ!」
俺は、思わずこめかみを強く押さえた。
なんだ?これは。初めてのエラー。初めての観測不能。
俺のこの完璧なはずの特殊能力「カーストスカウター」が彼女の前でだけ完全に機能を停止した。
なぜだ。なぜ彼女だけがこの世界の「ルール」の外にいる?
俺は混乱する思考の中でかろうじて顔を上げる。
白瀬 ことりは、もうそこにはいなかった。
彼女は教室の喧騒を後にし一人静かに廊下を歩いていく。
他の生徒たちとは違う旧校舎の方角へ。
(待て)
気になる。気になって仕方がない。
小学生の頃からずっと同じ学校に通う唯一の存在である白瀬ことり。
それなのに彼女にはあまりにも謎が多い。彼女は一体、何者なんだ。
俺は、衝動的に席を立った。その俺の行動に気づく者は誰もいない。
皆、勝利の余韻に浸っている。
俺はただ一つの解けない謎を追いかけるように彼女のその小さな背中の後を静かに追った。
14-2◆観測者の聖域への侵犯◆
本館の喧騒が嘘のように遠ざかっていく。
彼女が向かうのは、渡り廊下で繋がれた旧校舎。
そこはほとんどの生徒が寄り付かない忘れられた場所だ。
きしむ床。ひび割れた壁。差し込む西日の角度が変わり、俺の影が長く伸びる。
やがて彼女は一番奥の突き当りにある重厚な木の扉の前で足を止めた。
【図書室】と古風な真鍮のプレートがかかっている。
彼女は何の躊躇もなくその扉に手をかけ、そして音もなくその中へと吸い込まれていった。
扉が閉まるその寸前。
俺は駆け寄り、その動きを止める。
ほんの数センチの隙間。そこから俺は初めてその世界の内部を観測した。
(なんだ?ここは)
息をのむほどの、静寂。
教室のあの欲望と見栄が渦巻く戦場の空気とは全く違う。
高い天井まで続く巨大な本棚はまるで静かな賢者のように並び立ち、
床に届く西日が空気中の小さな埃をキラキラと金色に照らし出している。
古い紙と乾いたインクの匂い。それは俺が遠い昔に忘れてしまった、どこか懐かしい匂いだった。
ここは戦場ではない。
ここは俺のあの忌々しいカーストスカウターが分析すべきデータなど何一つ存在しない。
あまりにも清らかでそして美しい「聖域」だった。
14-3◆無の少女人間の輪廓◆
俺は巨大な本棚の影に身を潜める。
ここからなら彼女の死角。俺の完璧な観測席だ。
西日が差し込む窓際のテーブル。そこには二人の少女がいた。
一人は物腰の柔らかな上級生。
俺はその上級生らしき女子生徒をスカウターでスキャンする。
【対象:一色 栞(いっしき しおり)(三年/図書委員長)】
彼女はただ穏やかな笑みを浮かべて、そこに座っている。
まるでこの空間そのものが彼女の一部であるかのように。
そしてもう一人。白瀬ことり。
彼女は両手で温かい紅茶のカップを包み込んでいた。
その姿は、俺が知っている彼女とは全く別人だった。
教室にいる時の彼女は、まるで色がなかった。そこにいるのにいない。
誰の記憶にも残らない、透明な影のようだった。
だが今、俺の目の前にいる彼女は違う。その肩には確かな輪郭があり、その白い指先には確かな体温が宿っているように見えた。
まるで今までモノクロだった世界に、初めて色がついた瞬間のように。
彼女はこくりと、紅茶を一口飲む。 そして「ふ」と、あまりにも小さく柔らかな息を吐いた。
それは彼女が今この瞬間、確かに「人間」としてここに「存在」している、何よりの証だった。
(これが)
俺は、息をのむ。
(これがあの白瀬ことり、なのか?)
その問いは、声にはならなかった。ただ俺の胸の中で静かに反響していた。
俺は本棚の影から、息を殺して二人を観測し続ける。
その時だった。ことりの視線が、ふと窓際に置かれた小さな一輪挿しへと向けられた。
そこに活けてあるのは、一輪の白い桔梗の花。彼女は、その花をただじっと見つめている。
その横顔が俺の知らない少女のものに見えた。
上級生である一色栞が、そのことりの視線に気づき、何か優しく声をかける。
するとことりはほんの僅かこくりと頷いた。
そしてその唇の端に本当にごく僅かな笑みのようなものを浮かべた。