テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
コメント
0件
👏 最初のコメントを書いて作者に喜んでもらおう!
それからしばらく、ハリーは目に見えて変わった。
最初は夜だけだった。
あの教室へ来て、ドラコがいるのを見て、少しだけ表情をほどく。
声をかける。
触れる。
それだけで落ち着きを取り戻す。
でも今は違う。
昼間でも、視線が先にドラコを探す。
食堂にいれば、どこへ座ったかを無意識に見る。
廊下で見かければ、話しかける口実を探す。
授業が終わる時間が近づくと、夜に会えるかどうか、それだけで胸の内側がざわつく。
自分でも、まともじゃないとは分かっていた。
分かっているのに止まらない。
ドラコの昼の冷たさが、その渇きを余計にひどくした。
夜には受け入れる。
唇も、腕も、体温も拒まない。
ひどい時には、自分から寄ってきて、肩へ額を押しつけて、息を整えるかのようにに抱きついてくることさえある。
なのに、昼になると別人だ。
食堂ですれ違っても、何もなかった顔をする。
人前では、必要以上に距離を取る。
少しでも踏み込めば、「今話しかけるな」とでも言うような目を向ける。
その落差が、ハリーを少しずつおかしくした。
夜のドラコは本物なのに、昼のドラコもまた本物だ。
どちらかが嘘なら、まだ楽だった。
でもたぶん違う。
両方とも本物で、両方とも都合よく自分へ向けられているわけではない。
だから余計に苦しい。
ある日の昼休み、ハリーはとうとう食堂の外の回廊でドラコを捕まえた。
「今夜」
声をかけた瞬間、ドラコは足を止めた。
だが振り向く前から、面倒なものを見る時の気配をまとっている。
「何だ」
平坦な声。
その冷たさに、ハリーの胸はもう慣れかけている。
慣れかけているのに、毎回ちゃんと痛い。
「来る?」
ドラコは少しだけ眉を寄せた。
「知らない」
「知らないって何だよ」
「そのままの意味だ」
ようやく振り向く。
「お前の都合に合わせて、毎晩予定を空けてるわけじゃない」
その言い方は、周囲に誰かがいたらただの言い争いに見えただろう。
でもハリーには分かる。
これはわざとだ。
わざと突き放している。
そう分かるのに、つらいものはつらい。
「じゃあ昨夜は何だったんだよ」
気づけば、少し強い声が出ていた。
ドラコの目が細くなる。
「何が」
「君のほうから」
ハリーは喉が熱くなるのを感じながら言う。
「抱きついてきたじゃないか」
その瞬間、ドラコの表情がわずかに凍る。
昼の場所で。
人目のある時間に。
昨夜のことをそのまま口にされるのは、たぶん一番嫌なはずだ。
「やめろ」
低い声だった。
でもハリーは止まらない。
止まれない。
「僕だけが覚えてるみたいに言うなよ」
「君だって——」
「やめろと言ってる!」
今度ははっきり鋭かった。
回廊の空気が一瞬で張る。
何人かがこちらを見る。
ハリーはそこでようやく、自分がどれだけ感情のまま動いていたかに気づいた。
でも遅い。
ドラコは一歩近づき、ほとんど噛みつくように低く言った。
「昼の僕に、それを持ち込むな」
その一言が、ハリーの胸へ深く刺さる。
昼の僕。
つまり、夜とは別だと、本人がはっきり線を引いた。
ハリーは何も言えなくなった。
ドラコはその沈黙を見て、少しだけ目を逸らした。
ほんの一瞬、傷ついたような影がよぎる。
でも次にはもう消えている。
「……今夜は来るな」
それだけ言って、ドラコは去った。
ハリーはその場でしばらく動けなかった。
周囲の視線が気にならないわけじゃない。
でもそれ以上に、自分の中で何かが嫌な音を立てていた。
今夜は来るな。
ただの拒絶なのに、胸の奥ではもっと重い意味になって響く。
もう終わりだ、と言われたみたいに。
⸻
その夜、ハリーは部屋に残れなかった。
来るなと言われた。
分かっている。
分かっているのに、じっとしていられない。
談話室にいても落ち着かない。
本を開いても一行も頭に入らない。
ロンが何か話しかけてきても、まともに返せない。
ハーマイオニーがちらちらこちらを見ていたが、その視線すら今は重かった。
結局、ハリーはまた教室へ向かった。
馬鹿だと思う。
でも、行かないという選択肢がどうしても取れなかった。
もしドラコが本当に来なかったら。
もし扉の向こうが空だったら。
そう考えるだけで、胸の内側が冷たく縮む。
教室へ着いた時、扉は閉まっていた。
中に気配があるかどうか、最初は分からなかった。
ハリーは少しだけ息を潜め、そっと扉へ手をかける。
開いていた。
中へ入る。
ドラコはいた。
窓際に立っている。
こちらを見もしない。
月明かりだけが横顔を薄く照らしている。
その姿を見た瞬間、ハリーは胸のどこかがゆるむのを感じた。
いた。
それだけで、あまりにもほっとしてしまう自分が嫌だった。
「来るなと言っただろ」
ドラコが窓の外を見たまま言う。
「言われた」
「なら何で来た」
ハリーは扉を閉めた。
その音が、やけに大きく響く。
「来ないと」
少し言葉が詰まる。
「落ち着かなかった」
ドラコの肩がわずかに動く。
でも振り向かない。
「……知らないな」
その言い方が、昼ほど冷たくない。
それだけで、ハリーはもう駄目だった。
「知らないわけないだろ」
一歩、近づく。
ドラコは動かない。
「君、分かってるくせに」
ハリーの声が少しずつ荒くなる。
「昼はああやって切るくせに」
「夜になると何もなかった顔してそこにいる」
「それで僕が平気でいられると思ってるの?」
ドラコがそこでようやく振り向いた。
灰色の目は静かだった。
静かすぎて、逆に怖い。
「平気でいろとは言ってない」
「同じだよ!」
ハリーは思わず声を張った。
「君は僕を近づける時と、突き放す時の差がひどすぎる」
「昨日はあんなだったのに」
「今日は何でもないみたいな顔して」
「僕がどんな気持ちになるか、少しは考えろよ」
言い終わってから、自分でも息が乱れているのが分かった。
ここまで感情をむき出しにするつもりではなかった。
でも、もう抑えがきかない。
ドラコはしばらく何も言わなかった。
それから、低く言う。
「だから、来るなと言った」
「それで済ませるのかよ」
「済ませるしかないだろ!」
今度はドラコのほうが声を荒げた。
その響きに、ハリーは一瞬だけ言葉を失う。
ドラコの顔は、怒っているというより、追いつめられている人間のそれだった。
「お前、分かってない」
肩で息をしながら続ける。
「僕は」
そこで少しだけ言葉が途切れる。
「僕は、こういうものを」
喉が上下する。
「うまく持てない」
ハリーはその一言に胸を打たれた。
でも、だからといって引けるわけではない。
「じゃあ捨てるのか」
「何を」
「僕を」
その問いは、あまりにもみっともなかった。
言った瞬間に分かる。
これはかっこ悪い。
子どもっぽい。
惨めだ。
でも、止まらなかった。
ドラコの目が大きく揺れる。
「……何だ、それは」
「そのままだよ」
ハリーは息を乱しながら言う。
「君が欲しい」
喉がひどく熱い。
「夜だけじゃなくて」
「昼も」
「冷たい顔も」
「全部」
ドラコはそこで、はっきりと息を呑んだ。
たぶん、ここまで言われるとは思っていなかったのだろう。
あるいは、思っていたからこそ避けていたのかもしれない。
「重いな」
かすれた声で、やっとそれだけ言う。
「知ってる」
「本当に」
ドラコは少しだけ目を閉じる。
「お前は、僕を潰す気か」
その言い方に、ハリーは逆に一歩近づいた。
「僕だって潰れそうだよ」
今度の声は低かった。
怒鳴る力が尽きたあとに出る、本音の温度だった。
「君が来るかどうかで」
「話してくれるかどうかで」
「触れてくれるかどうかで」
「一日中、頭がおかしくなりそうになる」
そこまで言って、ハリーは初めて自分がどれだけ追いつめられていたかを思い知る。
「僕、こんなの初めてだよ」
ドラコは言葉を失ったまま、ただ見ている。
ハリーはそのまま続けた。
「君が平気な顔で離れるたび」
「また失うのかと思う」
「また、間に合わないのかと思う」
「だから」
息がひどく震える。
「遊びでもいい」
「本気じゃなくてもいい」
「僕のこと、少しでも必要なら」
「だから、見捨てないでくれ」
言った瞬間、教室の空気が完全に変わった。
静かになった。
でも、その静けさは穏やかさではない。
何か決定的なものが、ついに外へ出てしまったあとの沈黙だ。
ハリー自身、言ってから愕然とした。
遊びでもいい。
本気じゃなくてもいい。
そんなこと、本当は思いたくない。
惨めだ。
プライドも何もない。
でも、もうそう言うしかなかった。
失いたくない。
それだけがむき出しで先に出た。
ドラコはその言葉を聞いて、まるで殴られたみたいな顔をした。
「あ……」
小さく息が漏れる。
その表情を見た瞬間、ハリーは少しだけ我に返った。
やってしまった、と思う。
これはさすがに重すぎる。
痛すぎる。
相手を追いつめるだけだ。
でも、もう遅い。
ドラコはその場でしばらく動かなかった。
窓から差す月明かりが頬を白く照らしている。
その顔は、昼の冷たさも、夜の曖昧なやわらかさもなく、ただ痛みにさらされた素の表情だった。
「お前」
やっと絞り出した声は掠れていた。
「そこまで言うのか」
ハリーは返事ができなかった。
したくても、喉が詰まっている。
ドラコは一歩だけ後ろへ下がる。
それが拒絶なのか、揺れた足元を立て直すためなのか、ハリーには分からなかった。
「僕は」
ドラコが低く言う。
「お前がそうなるのを見たくない」
その一言は、拒絶よりよほど痛かった。
ハリーは思わず首を振る。
「じゃあ離れないでくれ」
「簡単に言うな」
「簡単じゃない!」
また声がぶつかる。
ドラコは唇を噛んだ。
それから、ひどく苦しそうに言う。
「僕にお前を背負えると思うな」
「背負わせてくれなんて言ってない」
ハリーはほとんど泣きそうになりながら言う。
「ただ、捨てないでほしいだけだ」
その言葉に、ドラコは本気で顔を歪めた。
たぶん今、ドラコの中では二つの感情が真っ向からぶつかっている。
切らなければ、と思う理性。
でも、目の前でここまでみっともなく縋られて、それでも引き剥がせるほど、自分は強くないという弱さ。
長い沈黙のあと、ドラコはゆっくりと目を伏せた。
「……最悪だ」
低い声。
でも怒りではない。
降参に近い響きだった。
ハリーの胸が強く打つ。
ドラコはさらに小さく言う。
「お前、ほんとに」
「どうしようもないな」
そのまま数秒、何も起きなかった。
だが次の瞬間、ドラコのほうから歩み寄ってきた。
迷いの残る足取り。
それでも、確かに。
ハリーは息を止める。
ドラコは目の前で立ち止まり、そのまま、少しだけ額をハリーの肩へ預けた。
それだけで、ハリーの胸の奥に溜まっていたものが一気に崩れそうになる。
「……泣くな」
ドラコが低く言う。
「泣いてない」
「嘘だ」
「君が」
ハリーはかすれた声で言う。
「君がそういうことするからだろ」
ドラコは返事の代わりに、ハリーのローブを少しだけ掴んだ。
それは完全な受容ではない。
約束でもない。
未来の保証でもない。
でも今この瞬間だけは、確かに拒まれていなかった。
ハリーはその小さな事実に、ほとんど救われるような気持ちになる。
だからこそ、この関係はもう危うかった。
一方が縋れば、もう一方は拒みきれない。
拒みきれないからまた受け入れる。
受け入れれば、次はもっと深く欲しくなる。
止められない。
二人とも、もうそこまで来ていた。
⸻