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「嘘でしょ」とユカリは呟く。「それが貴方のよきにはからえなの?」
ユカリは手元にある守護者の魔導書を確認する。
「声すごかったね」と場違いに能天気なグリュエーの囁きが聞こえる。「グリュエーはちょっと掻き消されてた」
ユカリは出来る限り状況から推測しようとする。騎士が裏切った? 主を変えた?
つまり別に魔導書を持っていなくても、魔導書の近くにいれば魔導書の魔法を行使できるのだろうか。もしくは単純に叫び声の大きさで負けたということだろうか。もしも後者だとすれば勝ち目はない。
今や名も無き騎士と魔法使いパディアが薄暗い路地を塞ぐように、ユカリの前に立ちはだかっている。化け物のような強さの二人が、まるで怪我をした獲物を見つけた狼のようにユカリを見つめている。
「うん。もうこうなったら、逃げるしかない!」と掠れた声でユカリは呟く。
いざ踵を返して逃げようとすると、パディアが騎士を後ろから抱きしめた。
「ビゼ様! ビゼ様の形見! ビゼ様の鎧を脱げ! 薄汚いこそ泥め!」
ユカリは逃げようとする己の心をいさめ、暴れ馬のような混乱を抑え、状況を整理する。
パディアが欲していたのは魔導書ではなく鎧の方だったらしい。だとすれば今この場に魔導書を欲しているのは自分だけ。騎士次第で争いは回避される。
「パディアさん。落ち着いて!」とユカリは声をかけるが聞こえないようだ。
パディアは騎士を揺さぶるが、騎士は騎士で一向に鎧を脱ごうとしない。そもそもこの騎士が守護者になったのだとすれば、この魔法が中の人物を洗脳しているということだろうか。どうすればこの魔法は解け、魔法が解けたらこの騎士はどうなるというのだろう。
ユカリは再び、魔導書を読み返す。叫びの呪文によって力を得た守護者は力を失うまでは守護者であり続けるらしい。つまりパディアに叫ぶのをやめさせなくてはならない。
前後を振り返り、誰もいないことを確認する。一つ咳払いし、まさか質は問われまい、と自分に言い聞かせる。
ありったけの声を張り上げて狼の遠吠えを【真似する】。すぐに魔法が成功したと分かる。魔法少女に変身した時と同じだ。服が消え去り、手足が伸びて、全身から体毛が伸びる。変身の途中であることに気づき、後悔するが、杞憂に終わる。全身が虫や蛇、蜥蜴に覆われるのではないか、と思ったがその心配はいらなかった。路地いっぱいに狼の王の巨躯が塞いでしまう。
さすがのパディアもユカリを見上げることになった。慄き以前に驚き、言葉も出せず、口をぽかんと開いている。
「落ち着いて」とユカリが言うと狼の姿はすぐに魔法少女に戻ってしまった。フロウが言っていた通り、変身を維持したければ変身した姿に適した鳴き声以外を出してはいけないらしい。
パディアは冷静さを取り戻し、さらに魔法少女の変身を解いた狩人の娘の姿を食い入るように見つめている。
「どうかお話を聞いてください。鎧を取り戻せると思います」
ユカリは枯れた声で懇切丁寧にパディアに教える。中身は読めないかもしれないが、魔導書を見せて一つ一つ説明する。
ビゼの鎧には守護者の魔法がかかっている。名も無き中の人のことは後にして、まずは魔法を解こう。そのためには叫ぶのをやめなくてはならない。
「分かったわ」というパディアの眼差しから察するに警戒は解かれていない。「叫ばなければいいのね」とパディアは同意した。しかしその力強い両の掌は鎧の肩を握って離さない。
ああも叫んだにも関わらず、パディアの声は祝福された街に明朗に響き渡る銀の鐘の音のようだった。
「良ければ、あと差し出がましくなければ」とユカリはじたばたと足掻く騎士を見ながら慎重に申し出る。「その鎧について聞かせてもらえますか?」
少し迷う様子を見せたがパディアは素直に口を開く。「我が魔法使いの師匠、ビゼ様の遺した鎧よ」
「魔導書探求の旅に出たって風の噂に聞きましたけど。違うようですね」とユカリは呟き、ため息をつく。「まあ噂を運ぶ風ってのはいい加減なところがありますから」
「ユカリ、失礼」と言ってグリュエーはユカリの耳をくすぐる。
「歌物語ね。全てが間違いというわけでもないけど。その旅が失敗に終わったことは知っているのではないかしら?」ユカリが頷くのを待ってパディアは続ける。「必ず戻ってくると約束をした師匠の訃報が届いた時、私は国を飛び出したわ。彼らは、ある山に住み着いた小人の類が魔導書を所持しているという情報を掴んで冒険に出た。最後の連絡では、その山の麓に辿りつき、魔導書の存在を確信した、という話だったの。私もその山へ向かったのだけど、道中でこいつを見つけた」そう言ってパディアが鎧を締め付ける。「当然初めはビゼ様が無事だったのだと思ったけれど」
「別人だったってわけですね」とユカリは言葉を繋ぐ。
「そう、主がどうのと言い訳をして逃げ出して、それからは追跡と決闘の繰り返し」
「パディアさん、言ってはなんですけど」とユカリは言いにくそうに言う。「パディアさんの叫びが彼に力を与えていたみたいです。そういう魔法のようです」
パディアはそれを聞いて、魔導書を見つめ、腑に落ちない様子。
「だけどいまいち分からないわね。さっきの話だとより叫んだ方を主人と仰ぐんじゃないの? なぜ今日の今日まで私に反発していたのよ」
ユカリは想像する。パディアとこの名も無き人のこれまでを。そして一つの可能性を推測する。
「たぶん、ですけど。ことあるごとに私と戦えって言ったのでは?」
今日も決闘が始まる前にパディアがそう叫んでいたことをユカリは覚えていた。
パディアはぽかんと口を開いて、ユカリと騎士の兜を交互に見た。
「つまりこいつは私に従って私と戦っていた、と?」
「それだけじゃないとは思います。例えば野次馬の囃し立てる言葉に反応したりとか? それで逃げたり戦ったり」
「なるほどね」とパディアは納得する。「もしそうだとしたら、私はとんだ間抜けね」
「まだ分からないですけどね」と慌ててユカリは言った。「まだこの魔法については詳しく調べてみないと」
パディアが思いつきを提案する。「じゃあ魔法を解けと命令するのでは駄目なの?」
「なるほど。主の指示に従うはずだと」ユカリは魔導書を見直す。「うーん、でもそれなら魔導書に書いてあってもおかしくないと思うのですが、いえ、まあ、とりあえず試してみましょうか。あれ?」
パディアが魔法を解けと言うと騎士は足掻くのをやめてしまった。それに、ほんの少し、魔導書が鳴動していたことに鳴り止んで初めて気づいた。
「やっぱりそうじゃないの」と言ってパディアはにやりと微笑んだ。
「そんなこと書いてないのになあ」
ユカリはもう一度魔導書を読み返す。しかし何度読んでもそんな記述はない。
やはり魔導書は腑に落ちないことがまだまだある。詳細まで書かれていない、というのがその一つだ。
その時、パディアが喚き、ユカリは顔をあげる。パディアは大粒の涙を流して騎士を抱きしめていた。その兜が外されている。中に入っていたのは才能ある彫刻家が大理石から掘り出した古代の英雄のごとき、とても美しい容貌の男性だった。無秩序な髭に覆われ、頬がこけ、目が落ちくぼんでなお輝くような美しさを湛えている。つまりそれがビゼ様なのだ、とユカリは察し、その悲劇に思いを馳せる。
ずっとこの中でパディアを待っていたのだ。きっといつか最愛の弟子と再会する日が来るだろうと暗い暗い闇の中で、待ち続けていたのだ。ビゼの魂もまたきっと声にならない叫びで泣いていることだろう。その気高い魂は幾重にも響く竪琴の音に包まれ、全ての善き人が招かれる楽土へと誘われる。パディア、つらい思いをさせたね。だけど君はきっと幸せになっておくれ。僕の分まで……。
涙ぐむユカリの目にも間違いなくビゼの顔が辛そうに歪むのが見えた。
「ちょっと待ってパディアさん! それ、ビゼさん生きてますよ!」
「え!」とパディアは再び、ビゼの顔を見直す。「ビゼ様! ビゼ様!? お気を確かに!」
こうはしていられないとユカリも立ち上がる。
「ミッダーンの神殿へ! 私、お医者様呼んできます!」