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――なんで? どうして?!
焦るシルヴィーは胸元を隠すが、既に大勢にこの契約印を見られてしまった。それに、一度浮かび上がったこの印を消す方法をシルヴィーは知らない。
何故こんな時に契約印が浮かび出てしまったの? 一体どうしたら――?!
契約印を隠すため押さえた胸に、固い何かが当たった。
「悪魔の羽根……」
いつもはロケットペンダントに閉まってある羽根を、今日は胸元に隠していたんだった。助かったわ!
シルヴィーは、胸元から羽根を取り出して火が何処かにないかと辺りを見回した。
この場にいる全員の記憶を消してしまえばいい。今日のことは全部なかったことにすればやり直せる。まだ終わりじゃない!
火は神聖なものとされ、邪悪なものを寄せ付けないと考えられていることから、聖堂では日中でもトーチに火が灯されている。
一番近くのトーチまで走っていけば、と考えるシルヴィーは、ティナーシェと目が合った。
「その羽根は……」
ティナーシェが言い終わらない間に、シルヴィーは駆け出した。
悪魔の羽根を使って望みを叶えるのだと、もしかしたら知っているのかもしれない。
とにかく早く、火のあるところまで!!
ウェディングドレスに合わせたハイヒールで上手く走れない。片方脱げてしまったが、そんな事はどうでもいい。なりふりなど構っていられない。
「ダメ! シルヴィー様!!」
手首を掴まれ、掴んできた相手と一緒に床に転げ倒れた。
「ティナーシェ、離して! 離しなさいよっ!!」
「その羽根の力を使っちゃダメです! だってそれを使ったら――」
「使ったら何だって言うのよ!? 地獄なんて怖くない! 死んだ後のことなんてどうでもいいわ!」
「それを使ったらシルヴィー様の魂は消えてなくなってしまうんですよ?!」
「だから何よ。恵まれたあんたに何がわかるの?!」
小さな食堂に生まれた、しがない町娘。
顔立ちには絶対的な自信があるのに、ろくな手入れも出来ないせいで肌はカサつき、髪もひとつにくくるだけ。
着せられるのはいつだって、薄っぺらい生地で出来たつぎはぎだらけの服と底のすり減った靴。
家の裏には蛆虫のごとくゴミに群がる人。そして勉強も出来ずに店を手伝う日々。
ある日たまたま見かけた領主の娘。同い年くらいだった。
香油の塗られた艶やかな髪は可愛らしいサテンのリボンで結ばれ、着ている服もレースと刺繍がそこかしこに施されたフリフリで。
全然似合ってないじゃない。
あんなドブスに着せるなら、私が着た方がずっと似合うのに。
世の中は不公平だ。
神に祈ったところで何になる?
あの子を食堂の娘に、私を貴族の娘にしてくれるのだろうか?
そんな事は絶対にない。
生まれた時から既に道は決まっている。シルヴィーは生まれてから死ぬまで、ただの庶民として生きていくしかないのだ。
そう考えていた矢先に、シルヴィーに転機が訪れた。
聖力の発現だ。
シルヴィーは庶民から、誰からも尊ばれる大聖女となった。枢機卿から、王族から、貴族から、ありとあらゆる人からの賛美。
もしかしたら神は、不遇な私を哀れんでくれたのかもしれないとすら思った。
だが実際には違った。
大聖女の称号を得たにもかかわらず、王太子の婚約者には侯爵家の娘の名があがり、更にシルヴィーよりも聖力の強い伯爵家の娘まで現れた。
見えないものに縋るなど時間の無駄。
本気で欲しいなら、手段を選ばなければいい。
今が楽しくもないのに、死んだ後のことを考えたところで、その先に悦びがあるとは思えない。それなら今、力ずくで悦びを勝ち取ったらいい。
だからシルヴィーは悪魔を呼んだ。
自分が思い描いた通りの、幸せを掴むために。
「私は幸せに……! 幸せになるのよ!!」
ティナーシェを思いっきり突き飛ばして立ち上がったシルヴィーは、トーチのある方向を見て絶句した。
「うそ……」
「シルヴィーよ、観念しなさい。悪魔の羽根の使い方なら知っている。これでも枢機卿の地位にいるのだからね。アルテア教と関連の深いユリセス教にも詳しいのだよ」
トーチの火はどれも、枢機卿の指示によって神官達が消してしまった後だった。トーチの先端からは白い煙がたっている。
「そんな……」
「ティナ、大丈夫か?」
シルヴィーに突き飛ばされたティナーシェを、マルスが手を貸して立ち上がらせている。
マルス……。マルス……。
そう言えばこの契約印が現れる直前、マルスに触れたのだった。
それにマルスを部屋へと呼んだあの夜――。
『俺にお前のその力は効かないから』
彼はそう、言わなかっただろうか?
全てがひとつに繋がったシルヴィーは、ティナーシェの様子を伺うマルスの胸に掴み掛った。
火事場の馬鹿力とはよく言ったもので、シルヴィーがマルスの騎士服を引っ張ると、勢いよくボタンがいくつも弾け飛んだ。
「やっぱり……あんただったのね」
あの夜、悪魔に口付けされた場所と全く同じところ。シルヴィーの身体と全く同じ場所に契約印が浮かび上がっている。
周りが「あれが悪魔か?!」と騒ぐ声は、シルヴィーの耳には聞こえない。
ただ目の前にいる男に向かって縋りついた。
「ねえ、お願いよ。私にもう一度だけ力を貸して。魂でもなんでもくれてやる。だから……」
涙ながらに訴えるシルヴィーの手を、マルスは鬱陶しそうに払い除けた。
「地獄へようこそ。契約者さん」
臓腑の凍るような冷たい声は、あの夜と同じもの。
駆け寄ってきた聖騎士に後ろ手に縛り上げられたシルヴィーは、声の限りに叫んだ。
「嫌よ! もう少し! もう少しだったの!! 離せ! 離せーーーーっ!!!」