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――レグヴラーナ帝国には噂がある。
『皇帝陛下の後継者は、第二皇女ロザリエ様ではないか』
なにもわからないロザリエが皇帝陛下の後継者?
その噂を聞いた時、思わず笑ってしまった。
妹のロザリエはシルヴィエの一つ下で、今年十七歳になる。
「どうして、私の結婚相手が決まらないのっ!」
シルヴィエがドルトルージェ王国へ出発した後から、ずっと当たり散らしていた。
――こんな妹が帝国を治められるわけがない。
父上はロザリエを溺愛するあまり、判断を見誤っている。
第一皇子である俺が、父上を正さなければならない。
「ロザリエ。あなたが病弱という噂のせいで、求婚者が来ないだけなのよ。全部、シルヴィエが悪いの」
皇妃は自分の娘だというのに、ロザリエのご機嫌ばかり取っている。
「病弱な噂があったのは、お姉様も同じだわ! お姉様は人前に出ていなかったのに、アレシュ様から求婚されて……!」
ロザリエは爪を噛み、イライラしながら、王妃をにらんだ。
「でも、敵国よ。敵国にロザリエを嫁がせるわけにはいかないの」
父上のお気に入りであるロザリエを失えば、皇妃は自分の寵愛が薄れると考え、そばに置いておきたいのだ。
俺の母上を罠にはめ、父上を奪った狡猾な女。
「そう……そうよね……。お姉様は敵国へ嫁いだのよ」
ブツブツとロザリエは呟いた。
そして、俺に視線を向け、満足げに微笑んだ。
その笑みを見て、俺はロザリエの戦利品だと感じた。
ロザリエは俺とシルヴィエを罠にはめ、自身は呪いを受けたが、思い通りになった。
「ドルトルージェ王国で開かれる結婚式には、お兄様が出席するの? 私も一緒に連れていって!」
「これは外交で、遊びではない。父上も反対なさるだろう」
最近のロザリエは、わかりもしないくせに、帝国の政治にも口出しをする。
そんな娘を父上は頼もしいと思っているらしく、ロザリエの言葉にうなずいていた。
「さすが我が娘だ。危険であるにも関わらず、敵国を恐れていない」
すっかり父上はロザリエの言いなりだ。
「しかし、ロザリエ。お前を敵国へやるのは心配だ。なにかあったら困る」
「でも、お父様。ずっと皇宮にいるのは、退屈なんですもの」
「先週、離宮へ行ってきたではないか」
「私もお兄様みたいに、外国へ行ったり、遠出したいの。お友達の令嬢から、温暖な南のほうへ旅行したって自慢されたんだから!」
ロザリエは旅行の自慢話を聞いたらしく、友人の令嬢が羨ましくて仕方ないようだった。
レグヴラーナ帝国は北に位置する国で、寒い時期が長い。
帝国の富裕層は冬になると、温暖な場所へ旅行する者が多かった。
体が弱いロザリエは、簡単に国を離れられず、旅行も近場のみ。
だが、外交は遊びではなく、公務である。
そして、今回は重要な計画が、裏では動いている。
『ドルトルージェ王国第一王子のアレシュ暗殺』
この計画を成功させ、父上の信頼を得て、後継者としての地位を固めるつもりでいる。
なおさら、ロザリエを連れていけるわけがなかった。
父上もそれをわかっている。
「うーむ……。大臣。ロザリエのために、なにかできることはないか?」
皇帝陛下に命じられ、大臣たちはロザリエのための旅行先を考え出す。
「帝国内の光の神を祀る廟を巡る旅などいかがでしょうか」
ロザリエが不満そうな顔をし、慌てて大臣は言い直す。
「新しく離宮を建てさせましょう!」
「大きな庭園を造り、見た目のいい使用人を増やします!」
「ふーん。まあ、いいわ。それなら、他の令嬢たちにも自慢できそうだし」
ホッとした様子で、大臣たちは胸をなでおろす。
ロザリエの不興を買うのは、皇帝の不興を買うのと同じ。
それほどまでに、ロザリエの立場は特別なものになっていた。
だが、俺は違う。
皇帝陛下の代理として、ドルトルージェ王国行きが決まった時、宮廷内の雰囲気は一変した。
そして、こんな噂が流れた。
『ラドヴァン皇子ではなく、ロザリエ皇女が皇帝の跡を継ぐのではないか』
そんな噂だった。
父上はロザリエを溺愛しているが、さすがに後継には考えていない――いないと思いたい。。
「お父様! あとは早く私に、ドルトルージェのアレシュ様以上の婚約者を探してっ! お姉様より素敵な結婚相手がいいのっ!」
「アレシュ王子以上か……」
父上だけでなく、大臣たちもこれには沈黙した。
学問と剣術に優れ、見た目も良く、爽やかで明るいアレシュは、各国の令嬢や王女たちから人気がある。
シルヴィエに求婚まで、婚約者もおらず、いったい誰と結婚するのか、注目されていた。
それが、まさかの政略結婚。
帝国と友好関係を築くため、アレシュはシルヴィエと結婚することを望んだのだ。
アレシュのその決断により、さらに評判は上がった。
――あいつは優秀すぎる。だから、今のうちに消しておかねばならない。
アレシュと俺は同じ年齢で、昔から比べられてきた。
今でさえ、目障りなのだ。
今後、帝国にとって、邪魔な存在になることは間違いない。
「アレシュ王子以上となると難しいが、ロザリエは年頃だ。そろそろ本気で、相応しい相手を探さねばならんな」
これまで何度かロザリエの相手を選んできたが、どれもロザリエが満足しなかった。
「ラドヴァン様の結婚相手はいかがなさいますか」
大臣が尋ねると、父上は興味なさそうな顔を見せた。
「自分で見つけられますので、お気遣いなく」
父上が答える前に返事をする。
当たり障りのない言葉だったはずが、父上は冷たい目をして、俺を見た。
「そうだな。お前は亡き母親に似て美しい。その外見に騙され、寄ってくる女性も多いだろう」
「……そんなことはありません」
「お兄様の結婚相手は、私が厳しく審査するわ」
ロザリエは俺に言い寄る令嬢に対し、嫌がらせをしていると聞いた。
自分の結婚が決まらないせいだろう。
「ラドヴァンの相手は探さなくても良い」
――それは、どういう意味で?
重い沈黙が流れた。
だが、父上はそれについてはなにも言わず、俺に敵国行きを命じた。
「ドルトルージェ王国へ行き、使命を果たせ」
失敗すれば、俺の立場は、ますます悪くなり、後継者として指名される可能性は低くなる。
皇帝になれない皇子など、いい笑い者である。
必ず、アレシュの暗殺を成功させなければならない。
父の信頼を得て、役に立つ息子だと思わせる。
俺は皇帝陛下の息子なのだから――宮廷から外へ出る。
無意識のうちに、シルヴィエが幽閉されていた場所へ足を向けていた。
「俺はなにをしているんだ」
皇帝になるため、シルヴィエを捨て、ロザリエを取った。
――清らかで美しく、この皇宮で唯一信頼できたシルヴィエを裏切った。
その代償なのか、俺は誰も信じられなかった。
陽の光にきらめく銀髪、深い青の瞳――離れてまだそれほど経っていないはずが、永遠に会えない気がした。
「シルヴィエ……」
もうすぐ永遠に会えなくなる。
暗殺計画がうまくいくということは、シルヴィエの死を意味していた。
――これでいいのだ。俺が皇帝になるためには仕方ない。
シルヴィエが幽閉されていた方角の暗い廊下の向こうから、年老いた侍女が近づいてくる。
あれは――
「お前はシルヴィエに付けられていた侍女だな?」
侍女は顔を隠し、素早く床に伏せ、跪く。
「そうでございます」
「その年齢で、侍女は辛いだろう? 恩給をやるから、皇宮を去るがいい」
シルヴィエの身に持つ呪いを恐れ、誰もが世話を拒んだ中、老いた侍女だけが嫌がらずに世話をしてくれた。
その恩に報いなければならないというのに、父上はなにをしているのだろうか。
だが、侍女は皇宮を去ることを拒んだ。
「いいえ。まだ去るわけにはいきません。まだ見届けてないのです。私の罪の行き先を……」
「罪?」
「いいえ。ラドヴァン様にお声をかけていただき、嬉しゅうございました。このまま、私のことは捨て置いてくださいますよう」
老いた侍女は震え声で、その場に土下座し、床に頭をこすりつけた。
どういう意味かわからなかったが、俺が立ち去るまで、そうしていた。
――罪。その言葉がひっかかり、心の中に不安が広がる。
言葉にできない不安は、黒く胸に染みつき、母上が亡くなる直前の言葉を思い出していた。
『ラドヴァンが皇帝になれば、わたくしは陛下に復讐できる……!』
鬼気迫る顔、掴まれた腕の痛み、必死な母上の声。
「復讐とはなんだ……?」
俺の問いに答えてくれる存在はどこにもいない。
シルヴィエを失った今、気が付くと、俺に味方はおらず、一人になっていた――