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私は女が好きだ。その子の名前を少女aと例えよう。私はaが好きだだけど相手には好きな人がいるし私のことを親友とでしか思っていない。苦しい女の体は好きだけどこの体のせいでaに思いを伝えられない。変に思われる。この前aもし仲の良い友達で(女)aを好きだという子がいたらと聞いたら「うーん」と微妙な返事が来た。やっぱりaの好きなのは男だと。aが好きだと気づいたのは学年で修学旅行の生活班決めをする時だった。クラスは違ったが学年でメンバーを決めれることにワクワクしていた。私はいつでもaの1番の親友だと思っていたからaが自分とではなく他の人と組んだことに傷ついた。まだaが好きだと気づいていなかったが5年の時同じクラスでいつも一緒だった。だか体育の時間aの機嫌が悪かったからaのそばにいようとaに話しかけたりそばにいたのに「来ないで」、「うざい」と言われた。そんなことを言われたのは初めてだったから私は驚いた。またaは友達bと一緒に喋ったり笑顔でいた。自分の時はうざい、来ないでと言っていたのに…。苦しくなった。今思うと好きな人にうざいと言われたことによく耐えれたと思う。修学旅行が始まり2日目になって肝試しをすることになった。そこでaは私にこう言った「肝試しで少年cに告白する」と言ってきたのだ。aは自分がaのことを好きなのを知らないから自分はただ「そっか頑張って」しかいえなかった。わたしが女子だからaに…男になりたい。自分の体が憎たらしい。家庭事情もあったためリスカを始めた。最初は痛かったが今ではまったくもって痛くない。私の闇、苦しみが解放された感じがした。毎夜毎夜泣いてリスカをしてそんな暮らしに苦しくなった。自分の家庭は普通じゃない。7人家族で親が中卒。お金がない。なのに5人も子供がいる。親はどっちも共働き。家事をやるのは子供の役目だった。この時点で普通じゃない。母は帰ってきて疲れた。ご飯ちょうだい。あれやって。これやって。何もかも押し付けるようになりタバコは当たり前だった。父はお母さんを奴隷のように動かした。あれやれ飯作れ。たまに私たちにも飯を作れ。あれを買ってこいなどとこきつかった。お父さんは嫌いだ。なぜならあの日が関係している。ある日夜の11時に母方のおばあちゃんがきてしまった。おばあちゃんは鬱病だった。それに激怒したお父さんがおばあちゃんを蹴ろうとした。私たち子供は「やめて父さん」「蹴らないで」というふうにお父さんを止めた。お母さんもなきながらお父さんの腰に縋りつき「やめて」と言っていた。母の泣いているところを見るのは初めてだった。度々思う。私がいなかったらもっと生活が楽になっていたのでは?と。思うたびに胸が苦しくなる。私が中学。姉の1人が高校。もう1人の姉が大学、専門学校に行く。大量のお金が必要になる。どちらも中卒のためお金があまりない。もしかしたら施設に行くかもしれない。中学に行けないかもしれない。親はそうはさせないために離婚する。お父さんが居なくなって清清すると思ったがお父さんも一緒に住むようだ。なんで家族でもないやつに父さんと言わなければならないのか。苦しくなった。普通ではあり得ないことがうちの家庭ではある。普通の家庭が羨ましくなった。私いや僕は死にたい。消えたい。自由になりたい。縛られたくない。普通じゃない家庭。普通じゃない恋愛。友達に「なんでリスカしてるの?」と言われたことがある。僕はこう答えた「生きている価値が欲しい。痛みが欲しい。解放されたい。」と。人はなぜ簡単に死ね。消えろ。クソ。などの暴言が使えるのだろうか。それで死んだら責任を取れるのだろうか。僕は思う。「命は重い。死ねなどという言葉を簡単に使うな。言葉に責任を持て。」なぜ人はいじめをするのだろうか。気に食わないから?うざいから?誰だってそうだ。「行動に責任を持て。命を軽んじるな。」僕はそれを考え理解して「死にたい」と思っている。なぜ人は人の好きなものを否定するのだろうか。アニメが好きで何が悪い?漫画が好きで何が悪い?絵を描くのが好きで何が悪い?オタクで何が悪い?全部人それぞれの個性であり大切なものである。なのに個性を否定したりするのだろうか。個性を侮辱して何がしたい。ストレスとはなぜあるのだろうか。一人一人が考え責任を持てば少なくなるのではないか。そう思う。この世界は息苦しい。個性を否定され暴言を吐かれて普通じゃない家庭が生まれるのだろうか。息苦しい。こんな生活、世界から解放されたい。生きたくても生きれない人がいるのも知っている。自分はその人のために命を使いたい。でもそれができない。今は我慢する。でもこれだけはいう。言葉、行動に「責任を持て」