朝。
目を覚ましたとき、隣には美咲がいた。
静かな寝息。少し乱れた髪。うっすらと赤みの残る目元。
「……夢じゃないんだ」
優羅は、そう呟いた。
昨夜交わしたキスも、涙も、約束も――全部、本物だった。
でも、その“本物”がこんなに美しいのは、
たぶん、“終わり”が近いことを、ふたりとも知っているからだった。
放課後、ふたりは街の外れの川沿いを歩いた。
学校を抜け出し、制服のまま、スマホは家に置いて。
誰にも知られず、誰にも気づかれず。
「ねえ、優羅さん。永遠ってさ、どこにあると思う?」
「……どこにもないと思う。人間の時間は全部、終わるようにできてるから」
「じゃあ、終わらない時間を作るにはどうすればいいと思う?」
「――死ぬこと、かな」
美咲は静かに頷いた。
「やっぱり、そうだよね。
終わりを自分たちで選べば、誰にも壊されないまま、ずっと一緒にいられる」
「それが、“永遠に一緒にいる方法”?」
「うん。ふたりだけの結末。誰にも見せない、私たちだけの卒業式」
ふたりは河川敷の端にある、ひと気のない橋へと向かった。
地元でもほとんど人が通らない、小さな歩道橋。
その下を流れる川は深く、静かで、今日のような曇り空にはよく似合っていた。
ふたりは橋の中央に立った。
風が吹き、制服の裾が揺れる。
夏の終わりの匂いがした。どこか焦げたような、湿った土と草の香り。
「怖くない?」
「……正直、ちょっとは怖い。でも、優羅さんがいれば大丈夫」
「私も。あなたとなら、どこにでも行ける」
ポーチの中には、ふたりで書いたノートが入っている。
“ふたりだけの世界の記録”――最後のページには、互いへの言葉が綴られていた。
《あなたと出会えて、よかった》
《私が壊れずに済んだのは、あなたがいてくれたから》
《ふたりでいられたこと、それだけが救いだった》
涙は出なかった。
もうすべて出し尽くしてしまったから。
今のふたりにあるのは、ただ静かな“確信”。
「じゃあ――そろそろ、行こうか」
美咲がそう言った瞬間、優羅は美咲の手を強く握った。
「……ねえ、美咲」
「なに?」
「もし来世があるなら、また私を見つけて。次は、普通の女の子として、普通の人生を歩いてる“私”を見つけて」
「……うん。そのときは、普通に“好きだよ”って言って」
「言うよ、何度でも」
「私も」
そして、ふたりは、同時に一歩を踏み出そうと――
「――待って!!」
風の音の中、遠くから誰かの声が響いた。
ふたりの足が、ほんの一瞬だけ止まる。
「優羅! 美咲!!」
声の主は、かつてふたりに手を差し伸べようとした保健の先生だった。
後ろには、担任、教頭、ふたりの親、そして警察官の姿まである。
「……誰かが、ノートを見つけたのかも」
「……間に合わなかったね」
ふたりはもう一度、視線を交わす。
「どうする?」
「……優羅さんが決めて。私は、あなたについていくから」
優羅は、美咲の手を握り直し――
そのまま、ゆっくりと後ろを向いた。
橋の上、ふたりは静かに大人たちに引き止められた。
涙を流しながら叫ぶ母親。
なりふり構わず走ってくる先生。
警察の無線。サイレンの音。
それでも、ふたりの表情は静かだった。
「永遠には、なれなかったね」
「ううん。永遠にならなくて、よかったかもしれない。だって、“まだ生きてるあなた”を、今こうして見れてるから」
「……優羅さんって、ほんとにずるい」
「美咲もね」
ふたりはその日、“永遠”にたどり着く前で止まった。
それが救いだったのか、罰だったのか――その答えは、誰にもわからない。
ただ一つだけ、確かなことがあった。
ふたりは“あの日のまま”手を繋いでいた。
壊れかけの心を、静かに預け合ったまま。
ふたりだけの“永遠に一緒にいる方法”は、叶わなかった。
けれど、“今を生きる”というもうひとつの選択肢を、
その夜、どちらともなく握り直した。
名前のない関係のまま。
誰にも理解されない感情のまま。
それでも、ふたりは――生きる。
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