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無事チャペルについたが、みんな暗い表情をしている。その空気は、重く沈んでいた。
「やはりさらに下がるしかないようだ……。みんな、いいかな?」
エドガーはそう、聞いてくる。その声には、迷いがまだ感じられた。
俺は階段を初めて見るので勘違いしていたが、階段には上に行ったり、外に出られるポータルが付属していることもあるらしい。帰りたい時にポータルもなく下だけというのは『はずれ』ということだった。
お通夜のように静まり返るメンバーたち。下に行くということは難易度が上がるということ、死に近づくことだ、気軽に返事はできない。その沈黙が、不安を増幅させていく。
「まずは行ってみるしかないのでは?」
僧侶のドロテが眼鏡をクイッと上げながら淡々と口を開いた。
メンバーの中では一番冷静である。
みんなは無言でうなずき、階段を下りていく。その足音が、チャペルに重苦しく響く。
◇
階段を下りると、そこはいきなり巨大なドアになっていた。高さ十メートルは有ろうかという巨大な扉。青くきれいな金属っぽい素材でできており、金の縁取りの装飾がされている。その壮麗さに、一同は息を呑んだ。
「ボ、ボス部屋だ……ど、どうしよう……」
エドガーは真っ青になって頭を抱えた。
ボス部屋は強力な敵が出て、倒さないと二度と出られない。その代わり、倒せば一般には出口へのポータルが出る。つまり一度入ったら地上に生還か全滅かの二択なのだ。
しかし、さっきサイクロプスを見てしまったメンバーたちは到底入る気にはならない。あのサイクロプスよりもはるかに強い魔物が出てくるわけだから、どう考えても勝ち目などない。絶望が、一同の表情に浮かぶ。
「戻りましょう」
ドロテは淡々と言った。
しかし、俺としてはまた上への階段を探し、案内せねばならないというのは避けたい。とっととボスを倒して帰りたいのだ。
俺は明るい調子でにこやかに言った。
「大丈夫です。私、アーティファクト持ってますから、ボスを一発で倒します!」
「おいおい! そう簡単に言うなよ、命かかってるんだぞ!」
ジャックは絡んでくる。その声には恐怖が混ざっていた。
「大丈夫ですって~。サイクロプスだって一発だったんですよ?」
俺は頑張ってにっこりと笑ったが、その笑顔の裏で、この手の茶番にもそろそろウンザリしてきていた。
「いや、そうだけどよぉ……」
エドガーは覚悟を決め、俺の肩を叩く。
「そうだな……、ユータが居なければさっきのサイクロプスで殺されていたんだ。ここはユータに任せよう。みんな、どうかな?」
みんなを見回すその目には、諦観が映っている。
みんなは暗い顔をしながらゆっくりとうなずいた。
◇
「じゃぁ行きましょう!」
俺は一人だけ元気よくこぶしを振りあげてそう叫ぶと、景気よくバーンと扉を開いた。
扉の中は薄暗い石造りのホールになっている。壁の周りには魔物をかたどった石像が並び、それぞれライトアップされて不気味な雰囲気を醸し出していた。まるで古の魔族の神殿といった趣である。
皆、恐る恐る俺について入ってきて、その足音がホールに響いた。
全員が入ったところで自動的にギギギーッと扉が動き、重量級の音を響かせながら閉まる。
もう逃げられない。死ぬか生還か――――。
一同の表情が強張る。
すると、奥の玉座の様な豪奢な椅子の周りのランプが、バババッと一斉に点灯し、玉座を照らした。
何者かが座っている。その姿に、全員の息が止まる。
「グフフフ……。いらっしゃーい」
不気味な声がホール全体に響きわたる。
「ま、魔物がしゃべってるわ!」
エレミーがビビって俺の腕にしがみついてきた。彼女の甘い香りと豊満な胸にちょっとドギマギさせられる。
「しゃべる魔物!? 上級魔族だ! 勇者じゃないと倒せないぞ!」
エドガーは絶望をあらわにする。その声には、諦めの色が濃く滲んでいた。
「ガハハハハハ!」
不気味な笑い声がしてホール全体が大きく振動した。その振動が、恐怖を増幅させる。
「キャ――――!!」
エレミーに耳元で叫ばれ、俺は耳がキーンとしてクラクラしてしまう。
「この魔力……信じられない……もうダメだわ……」
ドロテは顔面蒼白になり、ペタンと座り込んでしまった。
皆、戦意を喪失し、ただただ、魔物の恐怖に飲まれてしまっている。
俺からしたらただの茶番にしか見えないのだが。その落差に、俺は少し戸惑う。
でも、この声……どこかで聞いたことが……?
おれは薄暗がりの中で玉座の魔物をジッと見た。
36. 究極のアルバイト
「あれ? お前何やってんだ?」
俺は驚いた。なんと、そこにいたのはアバドンだったのだ。その意外な再会に、俺は首をひねる。
「え? あ? だ、旦那様!」
アバドンは俺を見つけると驚いて玉座を飛び降りた。その慌てぶりが、どこか滑稽に見える。
「早く言ってくださいよ~」
アバドンはまるで主人を待ち焦がれていた犬のように、俺に駆け寄ってきた。
「なにこれ?」
俺はいぶかしそうに眉をひそめて聞く。
「いや、ちょっと、お仕事しないとワタクシも食べていけないもので……」
アバドンは恥ずかしそうに揉み手をしながら、何だか生臭いことを言う。その言葉に、俺は思わず苦笑してしまう。
「あ、これ、アルバイトなの?」
「そうなんですよ、ここはダンジョンの八十階、いいお金になるんです!」
アバドンは嬉しそうに言う。その表情には、奇妙な誇らしさが浮かんでいた。
「まぁ、悪さしてる訳じゃないからいいけど、なんだか不思議なビジネスだね」
俺の言葉に、アバドンは照れくさそうに首をすくめる。
「その辺はまた今度ゆっくりご説明いたします。旦那様とは戦えませんのでどうぞ、お通りください」
そう言って、奥のドアを手のひらで示す。すると、ギギギーッと出口のドアが開いた。
ドアの向こうの床には青白く輝く魔法陣が描かれ、ゆっくりと回っている。これがポータルという奴らしい。
俺は改めてこの世界の不思議さを実感する。魔物のアルバイト。ダンジョンの仕組み。全てが謎に包まれている。しかし、その謎を一つ一つ集めていく過程に、俺は奇妙な興奮を覚えていた。
「え? これはどういうこと?」
エレミーが唖然とした表情で聞いてくる。その声には、驚きと混乱が入り混じっていた。
「この魔人は俺の知り合いなんだよ」
俺の言葉に、周囲の空気が一瞬凍りつく。
「し、知り合い~!?」
目を真ん丸にするエレミー。
「はい、旦那様にはお世話になってます」
ニコニコしながら揉み手をするアバドン。恐怖と絶望の象徴だったその姿は、今ではどこか愛らしくさえ見えた。
パーティメンバーは、一体どういうことか良く分からず、お互いの顔を見合わせる。その視線には、疑念と好奇心が交錯していた。
「おいユータちょっと待てよ! みんなお前が仕組んだ茶番ってことか!?」
ジャックは俺に詰め寄ってきた。その目には、疑惑と怒りの炎が燃えていた。
「な、何を言うんですか!」
俺は酷い言いがかりに困惑しながら後ずさる。
その時だった――――。
猫が鼠を捕まえるかのように、アバドンがジャックの襟元をつかんでひょいと持ち上げた。
「ご主人様に何すんだ、この禿げ!」
怒りに全身から紫のオーラをブワッと噴き出しながら、地獄の使者のようなものすごい形相でジャックの顔をのぞきこむ。
うひぃぃぃ!
「ご主人様、コイツ殺していいですか?」
アバドンの物騒な言葉に俺は慌てた。その声には、冗談ではない明確な殺意が感じられる。
「ダメダメ! 下ろして! 俺たちもう帰るから!」
「あら、そうですか? おい、お前命拾いしたな?」
アバドンはジャックの顔ギリギリまで顔を近づけ、メンチを切るとポイッと放った。
ひっ! ひぃぃぃ!
ジャックは半狂乱になって我先に出口へと駆けていく。
俺は苦笑するとみんなを見て言った。
「さぁ、帰りましょう!」
みんなキツネにつままれたような顔をしながら、ジャックに続く。確かにこのような経験など生まれて初めてなのだから仕方ないかもしれない。
「アバドン、ありがとう。また後でな!」
俺はアバドンの背中をパンパンと叩き、サムアップして見せた。
「いえいえ、いつでもお呼びください、ご主人様」
アバドンはそう言うと胸に手を当ててうやうやしくこうべを垂れた。
◇
みんな出口のポータル魔法陣の上に乗って次々と飛んでいく。
俺も真似して飛び乗ってみる――――。
ピュン!
不思議な効果音が鳴り、俺はいきなりまぶしい光に包まれ、思わず目をつぶった。
うわっ!
直後、にぎやかな若者たちの声が聞こえ、風が頬をなでる……。どうやら無事に転送されたようだ。
ゆっくり目を開けると……澄みとおる青い空、燦燦と日の光を浴びる屋台、そして冒険者たち。
そこは洞窟の入り口だったのだ。あの壮大なダンジョンの冒険が、まるで幻だったかのようにすら感じられる。
「あぁ、楽しかったな……」
俺はグッと両手を空に伸ばし、深呼吸をして波乱万丈だった初ダンジョンを思い返していた。
37. 楽しい異世界ライフ
帰り道、皆、無言で淡々と歩いた。その沈黙は、重く、そして深い。
考えていることは皆同じだった。
ヒョロッとした駆け出しの武器商人が地下八十階の恐るべき魔物と知り合いで、便宜を図ってくれた。そんなこと、いまだかつて聞いたことがない。あの魔物は相当強いはずだし、そもそも話す魔物なんて初めて見たのだ。話せる魔物がいるとしたら魔王など上層部のクラスだろう。それがユータの知り合い……。なぜ? どう考えても理解不能だった。その疑問が、一同を悩ませていく。
街に戻ってくると、とりあえず反省会をしようということになり、飲み屋に行った。薄暗い店内には、冒険者たちの喧噪が満ちている。
「無事の帰還にカンパーイ!」
「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」
俺たちは木製のジョッキをぶつけ合った。その音に、緊張が少しほぐれていく。
ここのエールはホップの芳醇な香りが強烈で、とても美味い。俺はゴクゴクとのど越しを楽しむ。その味わいに、つかの間の安らぎを感じる。
「で、ユータ、あの魔物は何なんだい?」
早速エドガーが聞いてくる。その目には、好奇心と警戒心が混ざっていた。
「昔、ある剣を買ったらですね、その剣についていたんですよ」
俺は適当にフェイクを入れて話す。本当のことなんてとても言えないのだ。
「剣につく? どういうこと!?」
エレミーは怪訝そうに俺を見る。その気迫のこもった眼差しに、俺は一瞬たじろぐ。
「魔剣って言うんですかね、偉大な剣には魔物が宿るらしいですよ」
「えっ!? 魔剣持ってるの?」
アルが目を輝かせて聞いてくる。魔剣なんて見たことがある人すら、ほとんどいないのだ。
「あー、彼が抜け出ちゃったからもう魔剣じゃないけどね」
「なんだ、つまんない」
アルは口をとがらせるとまたジョッキを呷った。
「それは、魔物を野に放ったということじゃないのか?」
ジャックは俺をにらむ。
「剣から出す時に『悪さはしない』ということを約束してるので大丈夫ですよ。実際、まじめに働いてたじゃないですか」
俺はにっこりと笑って答える。ジャックに絡まれるのもいい加減ウンザリしてはいるが、冒険者様はお客様なのだ。営業スマイルは欠かせない。
「ダンジョンのボスがお仕事だなんて……一体何なのかしら……?」
エレミーはため息をついた。
それは俺も疑問だ。金塊出したり、魔物雇ったり、ダンジョンの仕組みは疑問なことが多い。この世界の謎が、俺の好奇心を掻き立てる。
「今度彼に聞いておきますよ。それともこれから呼びましょうか?」
俺はニヤッと悪戯心が宿る笑みを浮かべた。
「いやいやいや!」「勘弁して!」「分かった分かった!」
皆、必死に止める。その慌てぶりに、俺はつい吹き出しそうになった。
『あんな恐ろしげな魔物、下手したらこの街もろとも滅ぼされてしまうかもしれない』とでも思っているのだろう。皆が二度と会いたくないと思うのは仕方ない。俺からしたらただの奴隷なのだが。
「そうですか? まぁ、みんな無事でよかったじゃないですか」
俺はエールをグッとあおった。喉を潤す冷たい液体が、緊張をほぐしていく。
みんな腑に落ちない表情だったが、これ以上突っ込むとやぶ蛇になりそうだと、お互い顔を見合わせて渋い表情を見せた。
「そうだ! そもそもジャックがあんな簡単なワナに引っかかるからよ!」
エレミーがジャックにかみつく。
「す、すまん! あれは本当にすまんかった!」
ジャックはいきなり振られて慌てて深々と頭を下げた。
俺は、立ち上がり、ジョッキを掲げる。
「終わったことは水に流しましょう! カンパーイ!」
ジャックにはいろいろ思うところはあるが、深層へ行けたのも彼のおかげなのだ。
エレミーはジャックをにらんでいたが……、目をつぶり、軽くうなずくとニコッと笑ってジョッキを俺のにゴツっとぶつけた。
「カンパーイ!」
そして、続くみんな。
「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」「カンパーイ!」
ジョッキがぶつかるゴツゴツという音が響いた。
俺はエールのノド越しを楽しみながらダンジョンの思い出を反芻する。
今度また、アバドンに案内させて行ってみようかな? 日本では考えられない、楽しい異世界ライフに、俺は思わずニヤッと笑ってしまった。
窓の外では夜の闇が深まり、街灯の灯りがぽつぽつと灯り始める。エキサイティングなダンジョン探検の一日ももう終わりだ。俺は静かに目を閉じ、今日の冒険を心に刻んだ。
38. 望まぬ邂逅
武器の扱いが増えるにつれ、店舗でゆっくりと見たいという声が増え、俺は先日から工房を改装して店としてオープンしていた。店と言っても週に二回、半日開く程度なんだけれども。その小さな一歩が、俺の人生に新たな彩りを添えていく。
店では研ぎ終わった武器を陳列し、興味のあるものを裏の空き地で試し斬りしてもらっている。刃物が空を切るヒュンヒュンという音が、時折風に乗って聞こえてくる。
店の名前は「武器の店『星多き空』」。要はレア度の★が多いですよって意味なのだが、お客さんには分からないので、変な名前だと不思議がられている。
店の運営は引き続きドロシーにも手伝ってもらっていて、お店の清掃、経理、雑務など全部やってもらっている。本当に頭が上がらない。彼女の献身的な姿に、俺は感謝の念を覚える。
「ユータ! ここにこういう布を張ったらどうかなぁ? 剣が映えるよ!」
ドロシーはどこからか持ってきた紫の布を、武器の陳列棚の後ろに当てて微笑んだ。その笑顔に、店内が明るくなったように感じる。
「おー、いいんじゃないか? さすがドロシー!」
「うふふっ」
ドロシーはちょっと照れながら布を張り始める。その甲斐甲斐しい仕草に、俺は思わず微笑んでしまう。
そののぞのぞまぬ改稿―――。
ガン!
いきなり乱暴にドアが開いた。その音に、平和な空気が一瞬で凍りつく。
三人の男たちがドカドカと入ってきた。その足音が、床を震わせる。
「いらっしゃいませ」
俺はそう言いながら鑑定をする。
ジェラルド=シャネル 王国貴族 『人族最強』
勇者 レベル:218
嫌な奴が来てしまった。俺はトラブルの予感に気が重くなる。胸の奥に、不安が蠢く。
勇者は手の込んだ金の刺繍を入れた長めの白スーツに身を包み、ジャラジャラと宝飾類を身に着けて金髪にピアス……。その姿は、まるで傲慢さの具現化のようだった。風貌からしてあまりお近づきになりたくない。
勇者は勇者として生まれ、国を守る最高の軍事力として大切に育てられ、貴族と同等の特権を付与されている。その強さはまさに『人族最強』であり、誰もかなわない、俺を除けば。その事実に、俺は複雑な思いを抱く。
「なんだ、ショボい武器ばっかだなぁ! おい!」
入ってくるなりバカにしてくる勇者。その声には、傲慢さと軽蔑が滲んでいた。
「とんだ期待外れでしたな!」
従者も追随する。その言葉に、俺は怒りを覚えるが、絡まれたら最悪なのでスルーする。
「それは残念でしたね、お帰りはあちらです!」
ドロシーがムッとして出口を指さす。ドロシーは彼らが勇者一行だとは気づいていないのだ。俺は冷や汗が湧いた。
勇者はドロシーの方を向き、ジッと見つめる。その視線には、獲物を狙う猛禽類のような鋭さがあった。
そして、すっとドロシーに近づくと、
「ほぅ……掃き溜めに……ツル……。今夜、俺の部屋に来い。いい声で鳴かせてやるぞ」
そう言ってドロシーのあごを持ち上げ、いやらしい顔でニヤけた。
「やめてください!」
ドロシーは勇者の手をピシッと払ってしまう。
勇者はニヤッと笑った。その笑みには、残忍さが滲んでいた。
「おや……不敬罪だよな? お前ら見たか?」
勇者は従者を見る。
「勇者様を叩くとは重罪です! 死刑ですな!」
従者もニヤニヤしながら一緒になってドロシーを責める。
「え……?」
青くなるドロシー。その表情に、絶望の色が浮かぶ。
俺は急いでドロシーを引っ張り、勇者との間に入る。何とかしてこの場を収めねばならない。
「これは大変に失礼しました。勇者様のような高貴なお方に会ったことのない、礼儀の分からぬ孤児です。どうかご容赦を」
丁寧に深々と頭を下げた。
「孤児だったら許されるとでも?」
獲物をいたぶるように追い込んでくる勇者。
「なにとぞご容赦を……」
必死に頭を下げる俺の髪の毛を勇者はガッとつかみ、持ち上げた。
「教育ができてないなら店主の責任だろ!? お前が代わりに牢に入るか?」
間近で俺をにらむ勇者。その目には、人間性を失った獣のような光が宿っていた。
「お戯れはご勘弁ください!」
俺はそう言うのが精いっぱいだった。もちろん、ぶちのめしてもいいのだが、そうなれば重罪人、もはやこの国にはいられなくなってしまう。
「じゃぁ、あの女を夜伽によこせ。みんなでヒィヒィ言わせてやる」
いやらしく笑う勇者。その言葉に、胸が悪くなるのを感じた。
「孤児をもてあそぶようなことは勇者様のご評判に関わります。なにとぞご勘弁を……」
勇者は少し考え……ニヤッと嗜虐的な笑みを浮かべる。
「おい、ムチを出せ!」
従者に手を伸ばした。
「はっ! こちらに!」
従者は、細い棒の先に平たい小さな板がついた馬用のムチをうやうやしく差し出す。
「お前、このムチに耐えるか……女を差し出すか……選べ。ムチを受けてそれでも立っていられたら引き下がってやろう」
勇者は俺を見下し、笑った。その笑みには、残虐な喜びが浮かんでいた。
ムチ打ちはこの世界では一般的な刑罰だ。しかし、一般の執行人が行うムチ打ちの刑でも死者が出るくらい危険な刑罰であり、勇者の振るうムチがまともに入ったら普通即死である。
え……?
ドロシーは真っ青になって息を呑んだ。
39. ずっと一緒に
「……。分かりました。どうぞ……」
そう言って俺は勇者に背中を向けた。かなり痛いとは思うが、レベル差は5倍もあるのだから死にはしないだろう。
「ユータ! ダメよ! 勇者様のムチなんて受けたら死んじゃうわ!」
ドロシーが必死な顔で叫ぶ。その声には、深い絶望と悲しみが込められていた。
従者は『また死体処理かよ』という感じで、ちょっと憐みの表情を見せる。
俺はドロシーの頬を優しくなでると、ウインクをして言った。
「大丈夫だって。何も言わないで」
「え……?」
涙目のドロシーはどういうことか分からず、小首をかしげる。
「ほほう、俺もずいぶんなめられたもんだなぁ!」
勇者は俺を壁の所まで引っ張ってきて、手をつかせる――――。
ムチを思いっきり振りかぶり、勇者は目にも止まらぬ速度で俺の背中にムチを叩きこんだ。
「死ねぃ!」
叫び声には、狂気じみた興奮が滲む。
ドン!
ムチはレベル二百を超える圧倒的なパワーを受け、音速を越える速度で俺の背中に放たれた。服ははじけ飛び、ムチもあまりの力で折れてちぎれとんだ――――。
「イヤーーーー!! ユーターーーー!」
悲痛なドロシーの声が店内に響く。
誰もが俺の死を予想したが……。
俺はゆっくりと振り向いた。
「痛たたた……。これでお許しいただけますね?」
勇者も従者たちもあまりに予想外の展開に、目を丸くした。その表情には、驚愕が浮かんでいる。
レベル二百を超える『人族最強』のムチの攻撃に耐えられる人間など、あり得ないのだ。空気が凍りつくのを感じる。
「お、お前……、なぜ平気なんだ?」
勇者はポカンとしながら聞いた。
「この服には魔法がかけてあったんですよ。一回だけ攻撃を無効にするのです」
俺はニッコリと適当な嘘をつく。レベル千を超える俺にはムチなど痛い程度の話でしかない。その事実を隠しながら、俺は平然とした表情を保つ。
「けっ! インチキしやがって!」
勇者は俺にペッとツバを吐きかけ、
「おい、帰るぞ!」
と、出口に向かった。その背中には、屈辱と怒りが滲んでいた。
途中、棚の一つを、ガン! と蹴り壊し、武器を散乱させる勇者。その行為に、幼稚な怒りの発露を感じる。
そして、出口で振り返る。
「女! 俺の誘いを断ったことはしっかり後悔してもらうぞ!」
勇者はドロシーをにらんで出ていった。その言葉には、底知れぬ悪意を感じる。
「ユーターーーー!」
ドロシーは俺に抱き着いてきてオイオイと泣いた。その体の震えに、彼女の恐怖と安堵が伝わってくる。
「ごめんなさい! ごめんなさい!」
涙をポロポロとこぼすドロシー。その涙に、俺の心が揺さぶられる。
俺は優しくドロシーの背中をなでた。
「謝ることないよ、俺は平気。俺がいる限り必ずドロシーを守ってあげるんだから」
俺はしばらくドロシーの体温を感じていた。その温もりに、俺は安らぎを覚える。
「うっうっうっ……」
なかなか涙が止まらないドロシーに、俺は胸が締め付けられる思いがした。
十二歳の頃と違ってすっかり大きくなった胸が柔らかく俺を温め、もう少女とは違う大人の華やかな香りが俺を包んだ。
あまり長くハグしていると、どうにかなってしまいそうな俺は静かに深呼吸をし、冷静さを取り戻そうとする。
窓の外では、夕暮れの空が赤く染まっていた。その光景が、今日の出来事の激しさを物語っているようだった。
最後の勇者の言葉、あれは嫌な予感がする。あの執念深そうな視線が、俺の心に重くのしかかった。
「そうだ……」
俺は静かにドロシーを腕から放し、
棚から『光陰の杖』を出すと紐を工夫して、ドロシーの首にかけた。
光陰の杖 レア度:★★★★
魔法杖 MP:+10、攻撃力:+20、知力:+5、魔力:+20
特殊効果: HPが10以上の時、致死的攻撃を受けてもHPが1で耐える
夕闇の中、杖が放つ微かな光がドロシーの顔をほのかに照らす。
「いいかい、これを肌身離さず身に着けていて。お守りになるから」
おれはドロシーの目をしっかりと見据えて言った。
「うん……分かった……」
ドロシーは腫れぼったい目で答える。その瞳には、まだ恐怖の痕跡が残って見えた。
「それから、絶対に一人にならないこと。なるべく俺のそばにいて」
その言葉には、ドロシーを守り抜くという俺の覚悟が込められていた。
「分かったわ。ず、ずっと……、一緒にいてね」
ドロシーは少し照れてうつむく。その仕草には、幼さと大人びた雰囲気が同居しており、鼓動が高鳴るのを感じた。
窓の外では、建物の隙間から真っ赤な夕陽がのぞいている。その赤い光が、二人の影を長く伸ばした。