テラーノベル
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事件は解決した。 でも、私を繋ぎ止めていた最後の綱は切れなかった。
大きな亀裂が入ったまま、今も胸から伸びている。
もしかして事件はまだ終わっていないのだろうか。
そんな考えが何度も頭を過ぎった。
省吾には綱のことを話していない。
私自身、この綱が何なのか分からなかったからだ。
ただ一つだけ分かることがある。
省吾が私を知るたびに紐は切れていった。
私の過去を知るたびに。
私自身を知るたびに。
だから最後の一本にも意味がある。
そう思っていた。
けれど答えは分からない。
このまま地縛霊としてここに残るのかもしれない。
でも、それならそれでいいとも思っていた。
完全に自由じゃない。
それでも十分だった。
省吾が来る前に比べれば。
一人きりだった頃に比べれば。
このまま省吾と暮らしていくのも悪くない。
そう思った瞬間。
綱が微かに震えた。
私は胸元を見る。
やっぱり分からない。
もう事件は終わったはずなのに。
何が残っているんだろう。
ちゃぶ台の向こうで、省吾はぼんやり座っていた。
その上にはオルゴールと架純さんの写真。
やがてオルゴールを鳴らす。
静かな音色が流れ始めた。
省吾は何も言わない。
けれど肩が震えていた。
鼻をすする音だけが聞こえる。
当然だと思った。
五年間抱え続けた喪失だ。
簡単に整理できるはずがない。
それなのに。
私は胸の奥が少し痛む。
早く忘れてほしい。
そう思ってしまった。
ひどい人間だ。
架純さんに申し訳ない。
でも。
どうしてこんな気持ちになるんだろう。
省吾が笑うと嬉しい。
落ち込んでいると私まで悲しくなる。
本当は白石さんが部屋へ来ることだって気が気じゃなかった。
そんなこと、ずっと前からあった。
私は知らないふりをしていた。
認めたくなかった。
だって認めてしまったら。
もう後戻りできなくなる。
でも。
もう無理だった。
私は慎重に。
でも大胆に。
ラップ音を鳴らした。
一回。
また一回。
省吾が顔を上げる。
壁の模造紙を見る。
私は続けた。
止まれなかった。
省吾の視線が文字を追う。
「あ」
次の音。
「な」
また一つ。
「た」
胸が苦しい。
逃げたい。
それでも続ける。
「が」
「す」
「き」
最後の音が響いた。
静寂。
オルゴールも止まっていた。
省吾は模造紙を見たまま動かない。
私も動けなかった。
何秒だったのか。
何分だったのか。
分からない。
やがて省吾が頭を掻く。
困ったように笑った。
「何で俺なんだよ」
一瞬、意味が分からなかった。
「俺だぞ」
省吾は苦笑する。
「しがないフリーライター」
#サレ妻
都築七美
411
113
浪霧(らむ)
213
ピデピー
1,156
「事故物件住まい」
「将来も不安定」
少し考えてから答える。
「知ってる」
省吾が吹き出した。
「ひどくない?」
「事実だし」
しばらく笑い合う。
不思議だった。
こんな時なのに。
胸が少し軽くなる。
省吾は笑いながら言った。
「でも」
そこで言葉を切る。
「嬉しい」
その声だけで十分だった。
その時だった。
ぱきり。
乾いた音が響く。
胸を見る。
最後の綱が切れていた。
私は息を呑む。
何も起きない。
そう思った。
けれど。
胸の奥が妙に軽かった。
軽いというより。
空っぽに近い。
長い間そこにあった何かが消えている。
私は思わず胸元を押さえた。
説明なんてできない。
でも分かる。
理屈じゃなく。
感覚で。
私はずっとこの綱と一緒だった。
だから分かってしまった。
ああ。
そういうことだったんだ。
事件が終わったからじゃない。
遺体が見つかったからでもない。
私は。
伝えたかっただけなんだ。
好きだと。
ありがとうと。
そのために。
ここにいた。
ふと顔を上げる。
省吾の表情が変わっていた。
さっきまでと違う。
まっすぐこちらを見ている。
気のせいじゃない。
視線が合う。
胸の奥がざわついた。
「……澪」
名前を呼ばれる。
私は反射的に自分の腕を見る。
輪郭が浮かんでいた。
薄く。
曖昧に。
まるで光の中から現れるように。
そこで初めて気付く。
部屋が赤い。
窓から差し込む夕日が部屋を茜色に染めていた。
「……見えてるの?」
声が震えた。
省吾はゆっくり頷く。
信じられないものを見るように。
それでも目を逸らさない。
私は思わず笑った。
省吾も少し笑う。
そして小さく呟いた。
「……ずっとここにいたんだな」
「いたよ」
私も笑う。
「ずっといた」
夕日が濃くなるにつれて、私の輪郭も少しずつ形になっていく。
まるで光が私を作っているみたいだった。
省吾がじっと見てくる。
少し腹が立った。
「何?」
「いや」
「思ったよりかわいいなって」
私は眉をひそめた。
「写真より実物の方がかわいいと思わない?」
省吾が吹き出す。
「自分で言う?」
「言う」
私は少しだけ胸を張った。
せっかく見えるようになったのだから。
「それに」
私は少し意地悪く笑う。
「前に普通って言ったよね」
今度は省吾が固まった。
「……聞いてたのか?」
「ええ、しっかりとね」
「最悪だ」
私も笑った。
変なところで意地を張るし。
考え込むとご飯を忘れるし。
でも。
思っていたより優しくて。
思っていたより好きだった。
夕日はゆっくり傾いていた。
私は何気なく自分の手を見る。
指先が少しだけ薄くなっていた。
ああ。
終わるんだ。
本当は綱が切れた時から分かっていた。
認めたくなかっただけだ。
「どうした?」
「もうすぐみたい」
省吾の表情が固まる。
私は笑った。
「たぶんだけど」
もっと話したかった。
聞きたいこともあった。
海も見たかった。
花火大会も見たかった。
でも不思議と後悔はなかった。
今こうしているから。
「怖い?」
省吾が聞く。
私は少し考えた。
「少しだけ」
正直な答えだった。
でも首を振る。
「平気」
「省吾がいるから」
部屋は少しずつ暗くなっていく。
夕日の赤も弱くなっていた。
同時に私の輪郭も薄くなる。
私は何となく手を伸ばした。
省吾も手を伸ばす。
指先が触れた。
ほんの一瞬。
それだけで十分だった。
温かかった。
「省吾」
「ん?」
「ありがとう」
言いたいことは沢山あった。
でも最後に残ったのはそれだった。
「私を見つけてくれて」
省吾が黙って聞いている。
「私を取り戻してくれて」
胸の奥が熱くなる。
省吾は私を朝倉澪に戻してくれた。
行方不明者でもなく。
事故物件の幽霊でもなく。
普通の女の子に。
「私、普通の子になれたよ」
省吾の目が揺れる。
私は笑った。
「省吾のおかげ」
部屋はさらに暗くなる。
私の身体も少しずつ光に溶けていく。
私は最後にその顔を見た。
思っていたより少し情けなくて。
思っていたより優しくて。
思っていたより好きだった人。
夕日が消える。
部屋から赤色が抜け落ちる。
もう時間だった。
だから最後に。
本当に最後に。
私は笑った。
「ありがとう」
怖くなかった。
悲しくもなかった。
私は見つかった。
恋もした。
ちゃんと伝えられた。
だから。
ありがとう、省吾。
私を取り戻してくれて。
そして。
私に恋を教えてくれて。
コメント
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寺島あおいです🤍 第16話、読み終わりました。最後の綱が切れる瞬間、ラップ音で「あなたが好き」と伝えるシーン、本当に胸が震えました。ずっと伝えたかったんだなって思うと切なくて。夕日に照らされて輪郭が浮かび、お互いに見えるようになったあとの何気ない会話も、とてもあたたかかったです。「私を取り戻してくれて」という言葉がじんわり響きました。好きな人に見つけてもらえた、それだけで十分なんだなと… 素敵な話でした🌷