テラーノベル
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書生の借金を返すべく、吾輩は這うようにして路地裏を抜け、ようやくあの貧乏臭い書斎へと辿り着いた。窓の隙間から滑り込み、書斎の隅に転がる干からびた飯粒にありつく。人間の残飯とは、かくも美味なるものか。腹を満たし、吾輩は書生の机の下に丸くなる。書生は不在だ。恐らく借金取りの追及を逃れ、どこぞの酒場で愚痴をこぼしているのだろう。人間とは、かくも頼りない。
腹が満たされると、俄かに睡魔が襲う。自由だの恩義だの、哲学めいた考えは腹の虫と共に眠りに沈む。吾輩は書生の古びた座布団の上で目を閉じ、夢の世界へ旅立つ。夢では、吾輩は金色の毛並みを持つ王猫となり、魚の山を従えて人間どもを従える。なんと気高い姿か。だが、目覚めればただの路地猫。座布団のほつれに爪が引っかかり、情けない気分で身を起こす。
朝日が窓から差し込む。吾輩は窓辺に飛び乗り、日向ぼっこに身を委ねる。暖かな陽光は猫の魂を癒すが、借金のことは頭から離れぬ。外を眺めると、市場の喧騒が目に入る。魚屋の親爺が大声で客を呼び、曲芸師が太鼓を叩きながら見世物を披露している。ふと、商人や芸人の姿が吾輩の猫脳に閃きを与える。人間は芸を見せるか、物を売って金を稼ぐ。ならば、吾輩もその真似をすれば、書生の借金を返せるのではないか。
まず、芸だ。猫の芸といえば、鼠取りか、じゃれる姿か。鼠取りは地味すぎる。よし、曲芸だ。吾輩は書斎の隅に転がる古い毛糸玉を見つけ、これを転がして跳び越える芸を思いつく。人間どもは単純だから、こんな簡単な芸でも喜ぶに違いない。吾輩は毛糸玉を咥え、家の裏の空き地に出る。通りすがりの子供たちが興味を示し、集まり始める。よし、好機だ。吾輩は毛糸玉を転がし、軽やかに跳び越える。子供たちは手を叩いて笑う。調子に乗った吾輩は、毛糸玉を高く放り、宙返りで受け止めようとする。が、結果は惨憺たるものだ。毛糸玉は吾輩の鼻先に当たり、子供たちの哄笑と共に吾輩は地面に転がる。
一人の小僧が「もっと面白いのやれ!」と石を投げる。無礼な! 吾輩は憤慨しつつ、さらなる芸を試みる。書生の古い筆を咥え、空中で振り回す「筆舞い」を披露する。が、筆の先から墨が飛び散り、子供たちの服を汚す。たちまち母親たちが怒鳴り込み、「この穢い猫め!」と箒で追い回される。吾輩は全速力で逃げ、毛糸玉も筆も失う始末。芸人とはかくも厳しい稼業か。人間の心を掴むのは、猫の爪では足りぬらしい。
気を取り直し、吾輩は市場へと向かう。芸が駄目なら、物を売ればよい。市場では商人が魚や野菜を売りさばき、金を稼いでいる。吾輩も何か価値あるものを拾い、売ればよいのではないか。市場の片隅で、魚屋の親爺が捨てた魚の頭を見つける。これだ! 人間は魚を好む。吾輩は魚の頭を咥え、市場の中心で「新鮮な魚頭、いかがか!」とばかりに鳴き声を上げる。が、通りすがりの客は鼻を摘まみ、「腐臭がする!」と顔を背ける。失敬な! 吾輩の鼻には上等な香りだ。
ならばと、吾輩は別の品を探す。路地裏で光るガラス片を見つける。これは人間の言う「宝石」に違いない。吾輩はガラス片を咥え、市場の隅で再び売り声を上げる。すると、怪しげな商人が近づき、「ほう、珍しい石だな」と手に取る。吾輩は期待に胸を膨らませるが、商人は笑いながらガラス片を投げ捨て、「猫が拾ったガラクタで金が稼げると思うか!」と一蹴。吾輩は憤慨するが、反論の術もない。商売とは、かくも難解なものか。
とぼとぼと家路につく吾輩の足元に、キラリと光る小銭が落ちている。人間の金だ! 吾輩は小銭を咥え、書斎に戻る。書生は机に突っ伏し、酒瓶を握りしめている。吾輩は小銭を彼の膝に落とす。書生は目をこすり、「お前、また何か拾ってきたのか」とため息をつく。が、小銭を見て顔を上げる。「一銭か……まあ、酒の一杯にもならんが」と呟き、苦笑する。吾輩は思う。所詮、猫の稼ぎなどこの程度か。だが、諦めはせぬ。書生の借金を返すため、明日また新たな策を練ろう。
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