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外に出た理由を、ぜんいちは最後まで言葉にできなかった。
ただ、
マイッキーが喜ぶ顔を想像するのは、
苦しくならない唯一の方法だった。
棚の前で立ち止まって、
「前にこれ見てたな」って思い出す。
値段より、
“覚えてた”ことのほうが大事な気がして、
迷わずカゴに入れた。
甘すぎないやつ。
夜でも飲めるやつ。
色は、マイッキーが好きな方。
袋が少し重くなるたびに、
胸の奥が、
ほんの少しだけ軽くなる。
「……帰ったら渡そ」
その“帰ったら”に、
疑いはなかった。
家の前に立つ。
いつものドア。
いつもの時間。
鍵を出して、
差し込もうとして、
指が止まる。
――静かすぎる。
回していないのに、
ドアが、
わずかに動いた。
「……?」
嫌な想像が浮かぶ前に、
体が先に動く。
音を立てないように、
ドアを押す。
玄関の空気が、
知らない匂いを含んでいる。
靴。
一足、増えている。
置き方が、
雑で、
遠慮がなくて、
“客”のそれじゃない。
ぜんいちは、
一段、息を浅くする。
廊下の先から、
低い笑い声。
マイッキーの声が、
すぐに分かる。
「ちょ、やめて笑」
言葉は拒んでるのに、
声が、柔らかい。
『だめ〜?』
知らない声。
距離が、近い。
一歩。
また一歩。
壁に指先を添えて、
音を殺す。
リビングが、
視界に入る。
ソファ。
二人。
近い。
「それ以上来たら怒るって笑」
マイッキーが笑う。
『怒ってる顔も好きだよ?』
相手の手が、
マイッキーの腰に回る。
「……ほんと、すぐ調子に乗るんだから」
言いながら、
振りほどかない。
『昨日も言ってたよ?それ笑』
「んで覚えてんの笑」
肩をすくめて、
体を預ける。
『じゃあ今日も…ね?』
顔が近づく。
息が、重なる。
マイッキーが、
目を細める。
「……おいで」
その一言が、
ぜんいちの中で、
何かを壊した。
その言葉、僕だけじゃなかったんだ。
キスは、
はっきりとは見えない。
でも、
沈黙の長さが、
全部を教える。
『もー…息できなかったよ笑』
「感じてたくせに」
でも、
離れない。
相手の指が、
マイッキーの髪をすく。
『このあと、どうする?』
「……まだ、時間ある」
“まだ”
「……」
ぜんいちは、
視線を落とす。
床に落ちた影。
三つ。
自分の手元。
プレゼントの袋。
“喜ばせるため”に選んだものが、
今は、
ただの重りだった。
胸の奥が、
遅れて、
潰れる。
声も、
怒りも、
全部、
出てこない。
立っているのに、
立てていないみたいだった。
次回続き