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「瞳子さん、おはようございます」
顔にかかる髪を、温かい指先がそっと取り払う。
その優しい声で、私は目を覚ました。
カーテンの外は、まだ薄紫色の夜明け前だった。
「……まだ朝じゃないわよ?」
「もう少しで夜が明けます。来てください」
手を取られて、ベッドから起き上がる。
朝倉くんにガウンを羽織らされ、再び差し出された手に自分の手を重ねた。
彼がリビングの扉を開けると、朝の冷えた空気が一気に身体を撫でた。
連れてこられたのは、ベランダだった。
「外なのね」
三月の早朝の外気は想像していたより冷たく、ぶるりと身体が震える。思わず両手で自分の腕を抱きしめた。
「少し待っていてください」
彼が一旦リビングへ戻り、何かを手にして帰ってくる。
その手には、湯気の立つマグカップがあった。
「ハニージンジャーティーです。身体が温まります」
「ありがとう」
受け取ると、早速、鼻をくすぐる爽やかな香りに気持ちが落ち着いた。
一口含むと、自然と頬が綻ぶ。
「美味しい。外で飲むと、さらにそう感じるわ」
隣で見ていた朝倉くんは、ただ微笑んでベランダの先へ視線を移した。
私も、その視線を追う。
目の前には、薄紫色のキャンバスに浮かぶ富士山のシルエットがあった。
その美しい姿を眺めながら、彼が淹れてくれた紅茶を飲む。
「ここから夜明け前の富士山を見るのは初めて。登山で李人と眺めたことはあったけどね」
「富士山から見る朝日は、美しいですよね」
朝倉くんも富士登山の経験者だった。
彼は目を細めながら、富士山を見つめている。
「あっ、朝日が出てきたわ」
富士山の後ろから、オレンジ色の光が放射状に差し込んでくる。
冷えていた空気が、じんわり、じんわりと温められていくようだった。
「心が満たされていく感覚ね……。朝日には幸せホルモンを増やす効果があるって、その通りだと思う」
「僕も、朝日から生きるエネルギーをもらったんです。そして、瞳子さんからも」
朝日を受けた朝倉くんの顔は、神々しいくらいに美しかった。
その彼が、じっと私を見つめる。
「……大袈裟だよ」
照れ笑いになってしまう。
「朝日に照らされる瞳子さんは、何よりも綺麗です。あなたを超える存在は、僕の中にはいません」
静かに、でも、真のある声だった。
その言葉に、胸の奥が震える。
彼は私に向き直った。
私もカップを両手で握りながら、身体を彼に向ける。
何かを溜めているようだった彼の表情から、ふっと力が抜け、柔らかな顔つきになる。
「今度は、僕が瞳子さんを幸せにする番です」
朝倉くんはポケットから指輪を取り出した。
そして、私の左手をそっと掬い上げる。
少し緊張した様子の彼は、一呼吸置いて息を整えた。
「僕を、瞳子さんの夫にしてください」
私は思わず目を丸くする。
思っていたセリフと違ったからだ。
「夫にしてほしい……。こんなプロポーズ、初めて聞いたわ」
「僕はずっと、あなたの夫になりたかった。あの日、あなたの虜になったときから」
「あの日? 支店に証券口座を作りに来た日のこと?」
朝倉くんは返事をするわけでもなく、ただ優しく私を見つめている。
思い返せば、あのときもそうだった。
初対面の私を、妙に見つめてくる人だと思った。
私の説明には上の空で、顔を上げると、私を凝視している朝倉くんの目と合った。
(あのとき、奇妙に感じたのは、一目惚れをして惚けていたからだったんだ……)
その純愛を、彼はずっと守り続けてくれた。
私は嬉しくて、心の底から、苦しいくらいに感情が溢れてくる。
「……人生を変えた一目惚れでした。僕は、瞳子さんを自分の力で幸せにしたいと、心から思いました」
「……朝倉くんは、大袈裟だなぁ」
どうしようもないほど幸せを感じてしまい、声が震えそうになる。
それを堪えて、彼に自分の言葉を伝えた。
「私も、喜んであなたの妻になります。私を……見つけてくれて、ありがとう」
私の目から、ついに涙が溢れた。
彼は微笑みながら、私の涙を指でそっと掬い取ってくれる。
そして、私の左薬指に、すっと指輪が滑り込んだ。
彼は満足そうに、それを見つめた。
「これでやっと……瞳子さんの身体も心も、すべて僕のものになりました。瞳子さん、大好きです」
「私も大好きだよ」
数日前は、無責任に言えなかった言葉。
それを今は、素直に言える。
そのことが、ものすごく嬉しかった。
二人で額をくっつけて見つめ合ったあと、私たちは二度目の口づけをした。
とても柔らかくて、温かくて、安心する感触。
この感触を覚えてしまったら、もう離れられなくなりそうだった。
一度、目を開けて顔を離す。
私はこの人の愛を受け止め、幸せに頬を綻ばせた。
「朝日の前でプロポーズするのが理想だったの?」
「僕にとって、特別な思い入れがあるんです」
「奇遇ね……私もよ。初めて山頂から見た朝日に、胸を揺さぶられたもの」
「ええ。今もあのときと同じくらい、心が感動しています。本当に……瞳子さんと出会えて幸せです」
「私もよ」
触れる指、見つめる瞳、濡れる唇。
すべてがお互いの愛を求めている。
今度は角度を変えて、深い口づけを交わした。
富士山の向こうから差し込む光が、私たちを包み込む。
身体が発熱しているのかと思うほど、熱かった。
(絶対に忘れられない、プロポーズ)
人生で最高に幸せが詰まった時間だった。
夏目莉央
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くま🐻☁️
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