テラーノベル
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レジーナは、治療の手を止めたエリカに懇願する。
「お願い、エリカ! 諦めないで、アロイスを助けて!」
「レジーナ様。申し訳ありません、ですが……」
謝るばかりで動こうとしないエリカ。
レジーナは焦れて彼女の手を掴んだ。一瞬、流れ込んだヴィジョンを無視して、その手をアロイスの傷に触れさせる。
「お願い、あなたならできるわ。昨日まで、ちゃんと治せていたでしょう?」
三年間の学園生活。
度々あった演習でアロイスが傷ついた時、エリカは問題なく治療していた。
「女性は治せない」というエリカの思い込み、縛りをなくせば、きっと――
「エリカ、お願いよ! 絶対にできるわ!」
「……分かりました、もう一度やってみます」
エリカは眉根を下げたまま、アロイスに触れる。
触れた箇所が淡い癒しの光を放った。しかし、それは一瞬のこと。瞬く間に消失し、エリカが溜息をついた。
「やはり無理です」
(どうして、簡単に無理なんて言えるのっ!?)
レジーナはカッとした。
彼女が諦めれば、アロイスが死んでしまう。
救う力を持ちながら、あっさりと諦める彼女が歯痒い。
エリカがもっとがむしゃらになってくれれば――
「止めないで! もっと真剣に!」
「……ですが、何度やろうと、無理なものは無理なのです。私には――」
「いいから! お願い、やって!」
レジーナは、再びエリカの手を掴んだ。
無理矢理にアロイスの身体へ引き戻すと、怒鳴るような「声」が返ってきた。
――鬱陶しい女っ!
(なっ!)
――無理だと言ってるじゃない、しつこいわね。
頭に響くエリカの悪意。
その声の大きさに、レジーナは吐き気を覚えた。彼女から手を離したくなるのを必死に堪える。
――ああもう、面倒くさい。……でもまあ、もう一回くらいはやっておいた方がいいかしら? その方が、殿下の印象は良くなるだろうし。
印象のためだろうがなんだろうが、何でもいい。アロイスが助かるなら。
レジーナは、エリカの手を逃がすまいとギュッと握った。また声が聞こえる。
――女だなんて、完全に騙されたわ。馬鹿にしてるわよね? 女相手にやる気なんてないし、触れるのも気持ち悪い。あーあ、血がついちゃった。なんで私がこんなこと……
聞こえるのは愚痴。
全く集中していない彼女の声に、レジーナの怒りが爆発した。
「真剣にやりなさいよっ!」
「キャアッ!」
「レジーナ、止めろ!」
レジーナの怒声に、エリカが悲鳴を上げる。
傍で見守っていたリオネルが止めに入った。レジーナの手をエリカから引き剥がす。
「……レジーナ、落ち着け。エリカに女性の治癒は無理だ。知っているだろう?」
レジーナは「嫌だ」と首を横に振った。そんなの、認めたくない。
このまま、アロイスの命を諦めてしまうなんて――
「昨日までは治せたじゃない! アロイスのことも、ちゃんと治せたのに!」
「それは……」
リオネルが言い淀む。チラリと、エリカの様子を伺う。
彼女は、彼の視線に顔を伏せてしまった。
リオネルは苦し気に言い訳を口にした。
「魔法は繊細なものだ。アロイスが女性だとわかって、エリカも動揺している。彼女に無理を強いるな」
それは、アロイスを見殺しにするということか。
レジーナはエリカを睨んだ。
女と分かった途端におざなりになった治癒。
人の命が掛かっているというのに、レジーナは信じられなかった。
「嘘つき! 本当はできるくせに、言い訳ばかり!」
「レジーナ! 言葉がすぎるだろう!」
リオネルが気色ばむ。
レジーナは言い返そうとして、ハッとする。
本当はできるくせに――
目の前のアロイスを見下ろす。
呼吸の弱くなった彼女の姿に、レジーナはギュッと目を閉じた。
(言い訳……、私だってしてるじゃないっ!)
そうだ。本当はできるくせに。
読心のスキルがあるから、ヴィジョンに動揺してしまうから。だから治癒に集中出来ない、治癒魔法は使えないと。
そんなもの、苦しんでいるアロイスの前では、全部、ただの言い訳。
レジーナにエリカを責める資格などなかった。
「どいてっ!」
レジーナはエリカを押しのけた。
エリカがやれないと言うのなら、自分がやるしかない。
時間が惜しい。
「レジーナ……?」
訝し気なリオネル。
レジーナは彼に鋭い視線を向ける。
「みんなどいて! アロイスから離れて! 私の視界に入らないで!」
一方的に告げ、レジーナはアロイスの傷口を確かめた。血がまだ止まっていない。
必要なのは止血。そして、毒の治癒。
レジーナの視界にフリッツが入り込む。未だアロイスの側を離れようとしない彼に、レジーナは言い捨てた。
「殿下、離れていて下さい」
「だが……」
尚もアロイスにすがろうとするフリッツを、レジーナは首を振って追い払う。
意識を逸らされたくない、誰も側にいて欲しくなかった。
フリッツは未練がましくアロイスから離れていく。
それを確かめ、レジーナはアロイスの身体に集中した。
成すべきこと。それだけを意識し、震える手をアロイスに伸ばした。毒の影響を見極めるため、彼女の体内に魔力を流す。
途端、読心の制御が弛んだ。
「~~っ!」
流れ込んでくる情報の奔流。レジーナは必死に抗う。
――アロイス、王都へは私が行くわ。
――姉さん?
レジーナの脳裏に、かつて見たヴィジョンが流れた。
「アロイス」と呼ばれた少年が、寝台の中からこちらを見上げている。
――あなたの身体で王都は無理よ。幸い、王都に私たちを知る人はいないわ。私たちそっくりだし、年も一つしか違わない。入れ替わっても誰にも気づかれないはずよ。
――姉さん、ごめん……
泣きそうな顔の少年に、大丈夫だと告げる。
私の知る「アロイス」は、弟に向ける笑みの下で誓いを立てていた。
――この秘密は絶対に知られてはならない。家族もこの地も、必ず守ってみせる。
(ごめんなさい……!)
レジーナは動揺した。
十六歳の少女が立てた崇高な誓い。彼女の一番大切な思いを、また覗いてしまった。
罪悪感に押しつぶされそうになる。
見るまいとしても、治癒を発動すると読心の制御が外れる。視えたヴィジョンに動揺し、発動した治癒はすぐに消える。
堂々巡り。
レジーナの中にはアロイスのヴィジョンが流れ続けていた。
――お前がアロイス・クラッセンか?
――フリッツ殿下……
――剣が使えるらしいな。手合わせをしないか?
(駄目、見ては駄目……!)
――お前、細いな。ちゃんと飯は食っているのか?
――筋肉がつきにくい体質なんだ……
止まらないヴィジョン。
レジーナは、自分の卑しい行いに吐き気がした。
――アロイスは、卒業したらクラッセンに帰るのか?
――そのつもりだ。
――残れよ。残って俺の下につけ。俺は、お前がいれば、大抵のことは出来そうな気がしている。
――……それは、光栄だな……
(ああ、駄目っ……、嫌だっ!)
記憶だけでない。彼女の感情を読んでしまう。
共鳴して、流されて、何より、罪悪感に心が軋む。これ以上、触れてはいけない。
だけど、アロイスの命を諦められない。助けたい、絶対に助けたいのに――
(どうして! なんでできないのっ!)
発動しない治癒魔法。
レジーナは自分の無力が悔しかった。
涙が溢れ出す。滲む視界でアロイスを見つめた。
不意に、自身の手に大きな手が重ねられる。
(……クロード?)
顔を上げると、滲む碧が見えた。
彼は、レジーナに向かって頷く。
――大丈夫だ。
声が聞こえた。大きな声。
――落ち着け、レジーナ。あなたなら出来る、大丈夫だ。
アロイスのヴィジョンをかき消すほどの大声。
レジーナの肩から力が抜ける。心が落ち着きを取り戻していく。
この声があれば。この声を聞いていれば――
アロイスのヴィジョンが遠ざかる。
レジーナの手の内に、魔力の温かさが生まれた。
(で、きた……!)
漸く発動した治癒魔法。
アロイスの出血が徐々に止まり、傷口が塞がっていく。次いで、毒の影響で変色していた肌が、元の色を取り戻し始めた。
レジーナは顔を上げて、クロードを見つめる。
(ありがとうっ!)
言葉にすると集中が途切れてしまいそうで。
目で伝えた感謝の気持ちは、ちゃんと伝わったらしい。
クロードの口元が小さく、ゆっくりと弧を描いた。