テラーノベル
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レンが「ない」と答えた翌朝、ハルたちの部屋の鍵が開いた。
立っていたのはガイだった。
「出ろ」
「帰れる?」
ハルが聞く。
「話が先だ」
管理棟の会議室には、エナと数人の大人、それにレンがいた。
机の上には古い記録が並んでいる。
昨夜レンが見つけたものだ。
中央との最後の通信。
外部者との衝突記録。
教育資料。
ガイは腕を組んだまま言った。
「息子が余計なところまで調べた」
「余計じゃない」
レンが返す。
「黙れ」
「でも記録は本物でしょ」
ガイは否定しなかった。
ミオが通信記録を覗く。
「17と同じ」
「日付も?」
「同じ」
ハルには細かな数字の意味より、その一致の方が重かった。
別々に暮らし、互いの存在すら忘れた二つの居住区。
それでも同じ日に、同じ中央から「待て」と言われている。
「だったら」
ハルが言う。
「中央が止まったあとも、31はずっと待ってたんだ」
「待っていたわけじゃない」
ガイ。
「生き延びた」
「でも境界の決まりは変えなかった」
「変える必要がなかった」
「本当に?」
レンが父を見る。
ガイの眉が動く。
「外の人と争ったのは本当だった。でも、その前は一緒に暮らしてた人もいた」
「だから何だ」
「全部敵じゃなかった」
「全部敵でなければ警戒する必要がないのか?」
レンは言葉を詰まらせた。
ガイは机を叩かなかった。
怒鳴りもしない。
静かな声だった。
「お前は記録を一晩読んだ。俺は二十年以上、この区域の食料と警備の数字を見てきた。畑が一度失敗すればどうなる。水路が壊れれば何日もつ。外から二十人来れば、誰の配給を減らす」
「それは……」
「歴史が単純になった。それは認める。だが、単純になったから危険まで消えたわけじゃない」
ハルはガイを嫌いになれなかった。
言っていることに理由がある。
17のシンと同じだ。
壁を守る大人は、壁が好きなのではない。
壁の内側で生きている人を知っている。
「じゃあ」
ミオが言った。
「危険があるかどうかを調べることまで止める理由は?」
ガイが彼女を見る。
「調べた結果、危険だったら?」
「閉めればいい」
「安全だったら?」
「開けるかどうか考えられる」
「誰が決める」
「そこに住んでる人」
部屋が静かになる。
ハルはミオを見る。
それは二人がずっと言いたかったことだった。
開けることが正しいのではない。
閉めることが間違いなのでもない。
決めるための材料すら持たず、昔の決定だけを繰り返していることがおかしい。
レンが机の地図を広げた。
「父さん。ここ」
31の北側。
古い中央管理線。
「通信中継所から、さらに中央側へ線がある」
「知っている」
「行ったことは?」
「ない」
「どうして」
「使われていないからだ」
レンが笑った。
「それ、17と同じだ」
ガイの顔が険しくなる。
「何が」
「使わないから存在しないことになってる」
ハルは、以前見つけた古い道を思い出した。
道は消えたのではない。
使わなくなっただけだった。
エナが地図へ近づく。
「この先に旧地域管理所がある」
「母さん知ってたの?」
「資材台帳に名前だけ残ってる」
「何がある?」
「分からない」
レンとハルの目が合った。
ガイが先に言う。
「行かない」
「まだ何も言ってない」
レン。
「顔で分かる」
ハルは少し笑った。
「俺もよく言われる」
「笑うな」
ガイは地図を見る。
旧地域管理所。
中央との命令系統が本当にどうなったのか。
そこに記録が残っている可能性がある。
「俺たちは帰らないといけない」
ハルが言った。
「二日目の日没までに戻らなかったら、父さんが探しに来る」
「あとどれくらいだ」
「今日の夕方まで」
ガイが顔を上げる。
「なぜ先に言わなかった」
「言った。昨日帰るって」
レンが吹き出した。
ガイは舌打ちする。
「なら、なおさら帰す」
「管理所は?」
レンが聞く。
「俺たちで確認する」
「父さんが?」
「俺と警備二人」
「俺も行く」
「だめだ」
「なんで」
「見習いだからだ」
「じゃあ、いつならいい」
「正式になってからだ」
「その時も、昔から行かない場所だからって言わない?」
ガイが黙った。
レンは一歩前へ出る。
「俺、外の人は敵かもしれないって教わった。それは間違いじゃなかった。でも、それだけじゃなかった」
「レン」
「ハルたちを見て分かったんじゃない。記録を見て分かった。父さんが嘘ついてたとも思ってない」
ガイの表情が少し変わる。
「じゃあ何だ」
「父さんも、教わったものを守ってたんだと思う」
それは責める言葉ではなかった。
だからこそ重かった。
「俺も、このままだったら同じことを次の子に教える」
レンは自分の胸を指した。
「その前に、自分で見たい」
長い沈黙。
ガイは窓の外を見る。
31の畑。
工房。
家。
守ってきた場所。
「管理所までだ」
レンが顔を上げる。
「本当に?」
「俺から離れるな」
「はい」
「ハルとミオは帰れ」
「でも」
「お前たちには帰る約束がある」
ハルは反論できなかった。
ガイは正しい。
「見つけたこと、教えてくれる?」
「17まで通信できるならな」
「できないじゃん」
「なら、また来い」
ハルは笑った。
昨日まで拘束していた人の言葉とは思えない。
昼前。
31の門が開いた。
ハルとミオは南へ。
レンたちは北へ。
道が分かれる。
「レン!」
ハルが呼ぶ。
レンが振り返る。
「何だ」
「敵じゃないって分かった?」
レンは少し考えた。
「まだ全部は分からない」
「何だよ」
「でも」
レンは笑った。
「知らない奴を、知らないまま敵って決めるのはやめる」
「十分」
ミオが言う。
ガイが先を急かす。
レンは北へ歩き出した。
自分が生まれた時から、境界はそこにあった。
外は危険。
外から来る人間は警戒する。
それは消えない。
消す必要もない。
でも。
警戒することと、決めつけることは違う。
レンは初めて、自分の境界が壁ではなく、自分の頭の中にもあったことを知った。
そしてその境界は。
自分で動かせる。
会議が終わる前、エナがもう一冊の薄い台帳を持ってきた。
「これも見て」
表紙には『来訪者・一時滞在』とある。
紙は途中から抜け、文字も薄い。
レンがページをめくる。
中央通信が途絶えてから数十年後の欄。
『南西区域出身者 一名』
その下の名前は水染みでほとんど消えていた。
ただ、頭文字らしいSだけが読める。
ハルが身を乗り出す。
「ソウさん?」
「決めるな」
ミオがすぐ止めた。
「年代と方角は合う。でも名前が読めない」
ゲンなら筆跡を見分けられるかもしれない。
けれど、この台帳は31の記録で、書いたのはソウ本人ではない。
「この人、そのあとどうした?」
レンがページを追う。
次の欄には短い記載。
『修理作業補助』
さらに。
『北方経路について質問』
その先は破れている。
「また北へ?」
ハルの胸が高鳴る。
五十年前の少年ではない。十九歳のソウが、17を出て、中継所を通り、31まで来た可能性。
けれどガイは台帳を閉じた。
「これだけで本人とは言えん」
「分かってる」
ハルは答えた。
前なら「絶対ソウさんだ」と言っていたかもしれない。
今は違う。
欲しい答えほど慎重に扱う。
それをミオから何度も教わった。
「写して持って帰っていい?」
「内容だけなら」
エナが紙を用意する。
ハルは一字ずつ写した。
ゲンへ渡すために。
「もしソウさんだったら」
レンが言う。
「31に来た外の人が、全員争ったわけじゃないってことにもなる」
ガイが首を振る。
「一人の例を全体にするな」
「分かってるよ」
「ならいい」
父子の会話を聞いて、ハルは少し笑った。
31の壁は、記録一枚で消えるものではない。
消す必要もないのかもしれない。
必要なのは、壁の理由を何度でも確かめ直せることだ。
昼前、出発準備をするレンへ、エナが小さな工具袋を渡した。
「管理所の設備は触らない。見るだけ」
「分かってる」
「崩れた床へ入らない」
「分かってる」
「お父さんから離れない」
「それ三回目」
「心配する方は何回でも言うの」
レンは面倒そうな顔をしたが、工具袋を受け取った。
ハルにはそのやり取りも17と同じに見えた。
境界の形が違っても、子供を外へ送り出す親の顔は似ている。
門のところで、ガイがハルたちの預けていた刃物を返した。
「帰路で使う分には持っていけ」
「敵に返していいの?」
ハルが冗談を言う。
ガイは真顔で答えた。
「敵と決めた覚えはない」
レンが横から言う。
「昨日まで帰さなかったけどな」
「保護だ」
「鍵かけて?」
「レン」
ミオが小さく笑った。
ガイも最後にはため息をついた。
その時、ハルは初めて31の警備責任者を怖い人ではなく、迷っている大人として見た。
シンも。
トウマも。
ガイも。
正しい答えを知っているから大人なのではない。
間違えた時に守れないものが多いから、簡単に動けないのかもしれない。
それでもレンは動くことを選んだ。
父と一緒に。
それは父へ逆らうこととは少し違った。
同じ記録を見て、違う考えを持ち、それでも同じ道を歩く。
ハルには、それが少し羨ましく見えた。
コメント
1件
第26話、読み終えました……。 レンが「知らない奴を、知らないまま敵って決めるのはやめる」って言えたの、すごく大きいなって思いました。壁の向こうに誰かがいるって理解してから、自分の境界を自分で動かそうとするレンの強さにじんときました。あと、エナがレンに「心配する方は何回でも言うの」って返すところ、親子だなあって温かくなりました。 ソウさんの痕跡も気になる……今後の展開、静かに待ってます🌙