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「莉乃、迷惑なんかじゃない。俺で役に立つなら何でもするから。もっと甘えろよ」
初めてかもしれない、少し強引な物言いに、私はまっすぐ誠を見た。
「でも……」
これ以上甘えてしまっては、私は彼から離れられなくなってしまう。
そう思って躊躇していると、誠は少し思案するように視線をそらした。
「抱きしめることは、元カレから上書きできたってことだよな?」
いきなり言われたその言葉の意味がすぐにはわからず、少し間を置いてから、私は何度かうなずいた。
「そうだね。全然大丈夫みたい」
いきなり照れるような言葉に、私は挙動不審気味に答えた。
「莉乃」
「ん?」
呼ばれて彼に視線を向ければ、真っすぐな真剣な瞳があった。
「キスしていい?」
今聞こえた言葉が信じられず、私は自分がどんな顔をしているのかもわからなかった。
狼狽する私をよそに、誠は言葉を続ける。
「嫌だったらすぐにやめる」
真剣な瞳に、私はごくりと唾を飲み込む。もちろん、このままの自分でいいとは思っていないし、私は誠が好きだ。
できることなら、あの辛い過去を誠で上書きしてほしい。でも、これ以上彼を好きになって、さらに辛い思いをするのは……。
いろいろな感情が渦巻く。誠はどういうつもりでこの言葉を言っているのだろう。
それを聞きたいが、聞くのも怖い。
そんな葛藤を見抜いたのか、誠はただ黙って私を見つめていた。
その真剣な瞳は、決してふざけているようには見えない。
無言の時間がやけに長く感じて、私は言葉を探すも見つからない。
その沈黙を破ったのは誠だった。
「ごめん、何言ってるんだか……」
誠は髪をくしゃっとすると、自嘲気味な笑みを浮かべた。こんな顔をさせたいわけではない。
「あの、違うの。ダメとかじゃなくて……私から、していい?」
は? 自分でも何を言ったのかわからなくて、もう一度今の言葉を頭の中で整理する。
私からしていい? すなわち、自分から誠にキスをするということだ。
なんてことを言ったのだろうと、慌てて訂正しようとするも、誠は驚いたようにぽかんとしていたが、すぐに真顔になった。
「もちろん、莉乃のタイミングでいいよ」
確かにキスをされたら、いつあの恐怖が起きるか自分自身にもわからない。
しかし今は、そんな気持ち以上に、自らキスをするという行為にドキドキが止まらない。
「やっぱり怖い?」
そんな私の不安を、誠が勘違いしたのか、心配そうな瞳を浮かべる。
「怖くはないよ……でも」
「でも、なに?」
少し不安げな誠につい本音が漏れる。
「恥ずかしい……」
きっと私の顔は真っ赤だろう。
なによこれ、何してるの、私ったら。
こんな茶番はやめなければ。そう思って誠を見れば、彼も口元を手で押さえて、真っ赤になっている。
こんな誠は見たことがなくて、今度は私が彼をじっと見てしまった。
そんな誠だったが、すぐにいつもの表情に戻り、私にゆっくりと語りかける。
「俺は何もしないから」
そして、誠はトントンと自分の唇に触れ、余裕の笑みを浮かべた。
それだけでドキドキしてしまうも、なぜか少しだけ悔しくて、私は誠の前に手をついて距離を詰める。
そして一気に、そっと誠の唇に自分の唇を重ねた。
ほんの数秒触れただけのキスだったが、温かくて、幸せな気持ちが広がる。
「大丈夫だった」
照れくさくてごまかすように明るく言えば、目の前には誠のきれいな瞳がある。
今度は、誠に距離を詰められていることに気づき、私は動きが止まった。
「俺からも、したい」
今にも触れそうな距離で言われ、心臓がうるさいぐらいにドキドキと音を立てる。
最後まで私の許可を取ろうとしてくれる彼に、私は小さくうなずいてみせた。
すると今度は、さっきとは違い、はっきりと唇に熱を感じた――。
優しく私を包み込むようなそのキスに、私の瞳が熱くなり、涙が零れ落ちた。
そんな私を見て、誠がハッとしたように距離を取る。
「悪い。嫌だったよな」
ものすごく心配そうで、傷ついたように見える誠に、私は一生懸命気持ちが伝わるように首を振って否定してみせる。
「違うの。こんな優しいキスが……嬉しかったの」
素直に伝えなければと、私はなんとか言葉を紡ぐ。
「最低な記憶が、優しく上書きされたことが嬉しかったの」
真剣に伝えれば、誠はほっとしたのか、安堵の表情を浮かべた。
「じゃあ」
「え?」
少し躊躇するように私を見る彼に、どうしたのかと問いかければ、そっと頬を撫でられる。
それが少しくすぐったくて、笑い声を上げれば、誠も優しく微笑んだ。
「もう少しだけ……」
その声がものすごく近くで聞こえたと思ったと同時に、もう一度唇が塞がれる。
さっきよりも長く触れる唇の熱が、私の心の中に浸透していく。
もう一度こうして男性に自分をゆだねられたこと、そしてそのキスが嬉しいこと。
そう思うと、私は無意識に誠の首に自ら手を回していた。
もっととねだるように、そっと唇を開けば、少し躊躇するように探るように誠の舌が私のそれに絡められる。
「ん……っ……」
ゾクリとした感覚が襲い、自分のものではないような声が漏れてしまう。
恥ずかしいが、大好きな人とするキスは、これ以上ないほどの幸福感を与えてくれた。
それが同情からなのか、はたまた部下に対するボランティアかはわからない。
しかし今は、そんなことはどうでもよかった。
もっと、と思ったところで急に感じていた熱が離れてしまい、私はハッと我に返る。
「ごめん」
謝罪の言葉に、私は急に申し訳なさが募る。自分の都合で誠に付き合わせてしまったことに、羞恥や申し訳なさという気持ちがぐちゃぐちゃになってしまう。
幸せな気持ちから一転、泣きたい気持ちになっていると、誠が私の瞳をのぞき込む。
「これ以上すると、もっと激しく求めそうだ。怖がらせたくない」
その意外なセリフに、私は驚いて目を見開く。
「怖くなんかないの」
無意識に出た言葉に、今度は誠が驚いたと思ったと同時に、頬をすくい上げられ、さっきなど比べられないほど激しくキスをされる。
歯列をなぞる誠の舌にゾクリとした感覚がこみ上げ、声が漏れるも、それごと飲み込むようにまたキスをされる。
角度を変え、何度も繰り返されるキスに、部屋の中には淫らな水音が響く。
そっと唇が離れたと思えば、耳にリップ音が聞こえたと同時に、舌で舐め上げられる。
そしてそのまま、首筋に誠の唇の感覚が落とされた。
もう何も考えられなくて、ただこの熱が嬉しくてすがるように誠に抱きつくと、そっと誠が距離を取った。
「悪い。やりすぎた」
静かに伝えられた言葉に、私もようやく我に返る。
感じるままに反応し、声まで上げてしまっていた自分が途端に恥ずかしくなった。
「私こそ……ごめんなさい」
乱れている呼吸と心を落ち着かせようと、私は大きく息を吐いた。
恥ずかしさと、申し訳なさで誠を見ることができない私だったが、誠はまっすぐに私を見る。
「莉乃が謝ることなんてないよ」
「でも、私が無理やり……嫌だったでしょ?」
付き合わせてしまい申し訳なくて伝えれば、誠はくしゃっと髪をかき上げ、苦笑した。
「抱きたくて仕方なくて、それを耐えるのに必死だっただけ。嫌なわけないだろ?」
“抱きたくて”……? 今言われた言葉がゆっくりと浸透すると、途端に恥ずかしさが込み上げてくる。
「嘘……」
信じられない思いで口にすれば、誠は少しむっとしたような表情を浮かべた。
「なんだよ、“嘘”って」
「だって、私なんか……」
つい自虐的な言葉が漏れるも、誠は私の頬を両手で挟んだ。
「“私なんか”って言うな。当たり前だろ。そんなかわいい莉乃を見たら……」
「嘘……。誠のまわりにはきれいな人ばかりじゃない。色気があって、大人の女の人ばかりだから……」
その言葉に、誠が大きくため息をつく。
「莉乃、お前、自分のことわかってなさすぎ」
ため息まじりに言う誠に、私は訳がわからず戸惑う。
「いつもの俺なら確実に……」
誠はそこで言葉を止めてしまった。
最後まで聞けなかったその言葉の続きを知りたくて、私は誠をじっと見つめる。
「確実に何?」
私の問いに誠は答えることなく、ぎゅっと私を抱きしめる。
誠はそれ以上何も言わず、私はただ静かに抱きしめられていた。