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さて、本題はここからでね。
いつだったかな、警察の事情聴取の後あたりだったと思うけど、机の引き出しにカッターと手紙が入っていたんだ。先生とクラス全員分あった。
手紙の内容は「死ね」だった。
カッターに血がついていたものだから、事件性が出てしまって、また警察の事情聴取だよ。散々犯人扱いされてさ。
わたしたちにできることなんて、無害な羊らしくメェメェ鳴くことだけだったよ。
ちなみに犯人はKの父親だった。
刃物を送りつける行為は脅迫扱いになるから、すぐに書類送検された。
カッターについていた血はKの血でさ。
Kは春先から日常的にリストカットしていて、いつか裁判で使う証拠のひとつとしてKの父親が回収していたんだ。
先生は「傍観者も同罪」とか言っていたけど、一人娘を殺されたKの父親からすれば「先生も同罪」だったのだろう。だから先生の引き出しにもカッターを入れた。
もう、これは呪いだよね。
恨みが形をとっている。
幽霊はいないとかいう言葉があるけれど。
呪いは確実に存在する。
実際、あのクラスは呪われた。
あれから、みんなおかしくなっていったんだ。
元々おかしかったのかもしれないけど、もっとおかしくなった。
度重なる保護者からのクレームで先生は心を壊してしまったし。
先生がダメになった途端、嫌いなやつの机の中にカッターを放り込むのが流行った。
後はもう真っ逆さまだ。
これまでKと一緒にいじめられていた子は復讐とばかりにカッターをプレゼントしまくった。いじめっ子の引き出しはカッターでいっぱい。
そのいくつかには血がついていて、手首には包帯が巻かれていた。
メェェと鳴く声も、その時ばかりは語尾が楽しそうに震えていたっけ。
呪いだよ。
呪いは人を狂わせる。
「わかったよ、これでいいんだろ!」
だったかな、確かそんなことを言って元いじめっ子は手首を切った。みんなの前でね。
そうすることで、罪が消えると思ったんじゃないかな。
こうすれば呪いから逃れられると、そう思ったのだろう。
でも、その考えは甘かった。
むしろ猛烈にいじめられるようになったんだ。
狼は必死にメェと鳴いて無害な羊を装った。
でも、誰も聞く耳なんて持ったりしない。
だってそうだろう? こいつが元凶なのだから。
誰もが無害な羊の顔をして、正義の棍棒を振りかざす。
実際には殴らないよ、それは悪い狼のすることだ。
羊人間たちは何も言わずにカッターを差し出す。
カッターに込められた意味は「自殺しろ」だ。
一緒になっていじめていた狼たちも、無害な羊の振りをしてカッターを買い集めた。文房具屋からはカッターがなくなった。
目の前で手首を切っても無駄さ。
だってまだ生きているじゃないか。
Kはもう死んでいるんだぞ。
メェと鳴いても無駄だよ。
だって、君は羊じゃないだろう?
人として罪を償うべきじゃあないか。
そんな意味を込めて、わたしたちは遠巻きに鳴き続けた。
メェ、メェ……メェメェ、メェ…メェって。
羊人間たちはKの呪いが怖かったんだろうな。
気味の悪い呪いを、罪を認めた馬鹿に、押し付けてしまいたかった。
そして何より。
この狼を生贄にすれば、Kの呪いから逃れられるような気がしたんだと思う。
でも、その考えは甘かった。
思うに、いつもわたしたちは自分に甘いんだ。
目の前で誰かがひどい目にあっても、自分だけは大丈夫だと思い込んでしまう。
トランプの大富豪に革命ってあるでしょ。
役の強さがひっくり返るやつ。
あれと同じことが起きた。
狼は弱く、羊は強くなったんだ。
手首の傷が弱者の証になると。
すでに手首を切っているやつらが、他人にもそれを強要するようになった。
方法はひとつ、カッターを送りつけるんだ。
送りつけられた側は、そのカッターが何の恨みで届いたかわからない。
身の潔白を示そうとしても無駄だ。
カッターには血がついている。
誰かが手首を切るほど憎んでいるのだ、その分の罪は償わなければならない。
当然、狼扱いされて猛烈にいじめられることになる。
それは手首を切るまで続くし、切っても止まらない。
新しい生贄の羊(おもちゃ)が見つかるまで続くんだ。
その仕組みをわかっているやつは、自分がいじめられそうになるとカッターを送りつけて、ありもしない罪を糾弾し始める。
みんな理由なんてどうでもよかった。
とにかく、貶めることが重要だった。
弱さが至上の逆転世界では、自分より強いものはすべて悪で、みんな、他人を引きずり下ろすことに躍起になっていた。
最後の方ではかなり露骨に、目の前で手首を切らせたりしていたよ。
あいつだけ幸せになるなんて許さない。
みんなで不幸になろう。不幸にならなければならない。
そんな歪な羊人間たちの結束があった。
こうなると、もう誰も通報できなくなる。
みんな加害者で、被害者だから事件を明るみに出したくないんだ。
あのクラスに、見て見ぬ振りをしなかったやつはいない。
というか、何もしなくても見てみぬ振りをした罪になるし。
助けようとしても、悪人をかばった罪で手首を切ることになる。
だから、何をしても無駄なんだ。
潔白になりたかったら、自殺するしかない。
重要なのは罪を犯したかどうかではなく。
罪をやり過ごせるかどうかだった。
無害な顔をして、羊みたいにメェメェ鳴く羊人間になること。
馬鹿馬鹿しいことに、それが最も重要だった。
だからなのだろう。
明らかな自殺教唆や強要があっても、最後まで表沙汰にならなかった。
学校としても、もうこれ以上の不祥事を世に出したくなかったんじゃないかな。
担任の先生は見る影もないほど立派な羊人間になって、メェメェ鳴いていた。
その目にはもう、何も映っちゃいなかったよ。
誰もが見て見ぬ振りをすることにしたんだ。
何も問題は起こっていない。
いじめなんて存在しない。
今日もクラスは平和なのだと。
滴る血から目を逸し続けた。
そして、それは成功した。
羊人間たちは数多の血を流しながら3年生になった。
毎年行われていたクラス替えによって散った羊人間たちは、特に問題を起こすこともなく、受験勉強に励んだ。
互いを呪いあうことに躍起になって、勉学が疎かになっていたのだ。
高校受験という目標が羊人間たちから時間を奪った。
他人をいじめる暇がなくなると、羊人間たちはメェメェと数学の公式や古典の書き下しの話をするようになった。
あれは、どんな呪いよりも恐ろしかったよ。
なぜこんな形で終わるんだ?
いじめられる側に問題があるとか、いじめる側に問題があるとか言われるけれど。
本当はいじめられる側にもいじめる側にも「解決すべき問題」なんてなくて。
ただ、暇でやることがなかっただけなんじゃないのか?
受験勉強とか、部活動とか、恋愛とか、遊びとか、気になる本とかそういうものに熱中していただけで解決した問題だったんじゃないのか?
そういえば、手首を切らずに済んだクラスメイトの大多数は部活動に熱心だった。
まさか、そんなことのためにKは死んだのか?
わたしたちが血を流した理由は、ただ暇だったからなのかよ。
先生は辞めたよ。
あんなことになって、続けられるわけないよね。
思えば、先生は何も悪くなかった。
ただ、先生としてクラスを導こうとしただけだ。
もし、過去に戻れたとしても。
わたしは羊みたいにメェメェ鳴いていることしかできないだろう。
早い段階で全員見捨てて転校すればよかったのかもしれないけど、わたしには無理だ。
部活動に入れあげて、崩壊していくクラスを無視し続けることもできないだろう。
そういう冷徹さとか、強さみたいなものを、羊人間は持ち合わせていない。
ねえ、作家先生。
わたしはどうすればよかったのかな、どうするのが正解だったのかな。
ふと見上げると、点滴が止まっている。
このまましばらくすれば、圧力か何かの作用で血が逆流するだろう。
そうして、腕に刺さった点滴の管が赤くなるのを何度も見てきた。