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静まり返った暗闇の中、聞こえる音は焚火がパチパチと奏でる音色だけ。
枯れ枝が小さく燃えるその様を、少年と少女は寄りそうように見守り続ける。
肌寒い夜風が炎をわずかに揺らすも、鎮火には到底至らない。
星空に見守られたここは、バース平原。この大陸において最も広い平地と言われている。
もっとも、その憶測が正しいという保証はどこにもない。イダンリネア王国の人間は、大陸全てを見て回ったわけではないからだ。
(もうとっくに七時は過ぎちゃってるけど、どう寝かしつたらいいんだろう……。ウトウトしてるし、自然と寝てくれるのを待ってればいいのかな?)
二人は地べたではなく、厚手なシートの上に座っている。クッション性が高いそれは丸めたとしても少々かさばるのだが、背負い鞄は見た目に反して大量の荷物を飲み込めるため、デメリットを気にする必要はない。
旅の初日は間もなく終わりを告げる。全力疾走が禁止されていたため、予想通りではあるのだが、目的地にはたどり着けなかった。
そうであろうと問題ない。ジレット監視哨および大森林は目と鼻の先だ。
ウイル・ヴィエン。若き傭兵。夕食と水浴びを済ませ、今はシートの上であぐらをかきながら、呆けるように揺れる炎を眺めている。その理由は既に日課の素振りを済ませたからだが、以前と違い話し相手がいないことも要因としては大きい。
その隣でうつらうつらと舟をこいでいる少女の名は、パオラ・ソーイング。生きていられることが不思議なほどに、その姿はやせ細っている。正常とは程遠いはずだが、数日の入院にて命そのものは問題なく回復した。
生命力が並外れている証拠だが、今は眠たそうにまぶたの上げ下げに苦心している。
「もう遅いし、そろそろ寝る時間かな」
「うん……」
ウイルの催促を合図に、パオラはそっと寄りかかる。そのまま瞳を閉じれば、寝息までに長い時間は必要なかった。
(やっぱり眠たかったのか。僕も後は寝るだけなんだけど、どうしようかな……)
頭上を見上げれば、星々で騒がしい夜空。
周囲はそれ以上の暗闇だ。
二人はバース平原の真ん中辺りまでは移動出来ており、すぐ近くには巨大な湖が鎮座している。体の汚れもそこで落としたのだが、利点はそれだけではない。
安全地帯。この表現は大袈裟だが、この湖付近には凶暴な魔物が生息しておらず、夜を過ごすにはうってつけだ。
それでも油断し過ぎてはならない。巨人族やゴブリンは人間同様大陸を縦横無尽に闊歩する。それらも夜は眠ってしまうのだが、そういった魔物が隣人である以上、いつ襲われても大丈夫なように備えるべきだろう。
(明日はすぐに出たいけど、考えてみたらこの子次第なんだよね。あ、普通に起こせばいいのか)
ボリュームの大きな青髪をそっと撫でながら、明日の予定を検討する。
行き当たりばったりな旅ではあるのだが、四年の経験がざっくりとしたスケジュールを組む際に役立ってくれる。少なくとも移動に要する時間は大まかに計算出来てしまうのだから、気を付けるべきは魔物との突発的な遭遇くらいか。
(周囲には魔物が八体、どれもバースクラブだから襲われる心配はなし……。とりあえず横になろう)
ウイルの天技は暗闇など関係無しに敵影を感知してくれる。
バースクラブ。この湖周辺に生息するカニの姿を模した魔物だ。丸っこいそのシルエットはカニというよりもヤドカリのそれだが、傭兵の多くはカニもしくは青ガニと呼んでいる。
この魔物は温和な性格をしており、人間側からちょっかいを出さない限り、近寄ってくることさえない。そういう意味では本物のカニと大差ないように思えるが、その腕力から繰り出される前足の打撃は人間の体に深々と鋏を食い込ませる。傭兵や軍人でないのなら、決して歩み寄ってはならない。
パオラに気を付けながらも狭いシートの上に寝そべり、少女に腕枕をしながら夜空を眺める。
小さな光が無数に浮かんでおり、その数を数えようものなら朝までかかろうと終わることはない。
(今日は……、ちょっぴり疲れたなぁ。明日もがんばらない、と……)
朝からずっと走りっぱなしだった。傭兵なら珍しいことでもないが、今回はパオラという繊細な荷物を抱えての移動ゆえ、全力疾走は控えざるをえず、腰を痛めそうな姿勢を維持し続けた。
ゆえに、疲れないはずがない。汗だくにはならずに済んだが、この瞬間にも疲労感が押し寄せており、目を閉じようものなら意識がすっと薄らいでしまう。
体が地面に溶けていく。そんな感覚に晒されながら、ウイルは今日という一日に別れを告げる。
静かすぎる平原には、焚火の音と二つの寝息。
遥か彼方には欠けた月が浮かんでおり、二人を見守るさまは憧れか嫉妬の表れか。
一日が終わる。
そして、明日が訪れる。
この時のウイルは知る由もない。二日目からが、困難の始まりだということを。
楽な旅でないことは重々承知していた。
それでもなお、その出来事には頭を抱えてしまう。
突破出来るかどうかは、少年の手腕にかかっている。
◆
無限とも思える平原を西へ進み続けると、両端から岩山が押し寄せ、風景が収束し始める。
綿菓子のような雲が浮かぶ空の下で、二人はついにたどり着いた。
関所のような軍事要塞、ジレット監視哨。人間にとって最も危険な場所であり、巨人族との戦争における最前線だ。
苛酷な戦いに耐えうるほどの石壁と、その中に建設された砦。もっとも、バース平原側は守りを固める必要がないため、無防備に近い。
ここは谷の終端に設けられた軍人達の基地だ。石造りの建物がドスンと鎮座するこの場所を越えれば、そこから先は延々と広がる森林地帯となっている。
ゆえに、ウイルはパオラを抱えたまま、意気揚々を歩みを進める。ジレット監視哨という領土には足を踏み入れるが、軍の基地には入らず、脇道を通過するつもりだ。
もっともここは封鎖中ゆえ、予想通りではあるのだが、二人の軍人が門番らしく行く手を遮る。
「止まれ、傭兵だな? ここを通ることは許可出来ない。お引き取り願おう」
軍服ではなく、灰色の鎧をまとった女の口調は冷静そのものだ。イダンリネア王国側から小柄な傭兵が現れたのだから、警戒する必要はなく、諭すように追い返すだけで良い。それをわかっているからこそ、オレンジ色の長髪を肩にかけながら、事務的に説明を交え要件を伝える。
もう一人の軍人もまた、付け加えるように口を開く。
「傭兵組合から聞いていないのか? 今言った通り、ここは何人たりとも通すことは出来ない。遠出のところ悪いが、大人しく帰国せよ」
彼も鋼鉄の軽鎧で武装済みだ。背中には片手剣を収めた鞘を携帯しており、気難しそうな顔つきはいかにも職業軍人と言ったところか。
立ちはだかる二人を前に、ウイルは当然ながら停止する。有無を言わさず突っ込んだとしても、無意味な争いを生み出すだけだからだ。
「ここを通る許可は頂いております。これを……、責任者さんにお渡し頂けないでしょうか?」
パオラを一旦降ろし、背負い鞄から一枚の封書を取り出す。
この瞬間、軍人達は様々な理由で驚かされる。
子供のような傭兵が、ジレット監視哨を通過するつもりでいること。
物腰が傭兵とは思えないほど穏やかなこと。
そして、同行人が衰弱していること。実際は健康を取り戻したのだが、事情を知らぬ者からすれば、パオラの姿は重症患者にしか見えない。
女はいぶかしげに白い封筒を受け取るも、裏返した途端、青ざめ冷静さを失ってしまう。
「え、これ……」
「どうした? な……」
封書は溶かした蝋によって封止されている。その際に家紋が印字されるのだが、軍人達はその形に見覚えがあった。
四英雄のギルバルド家。管轄は軍ではなく王国の治安維持と傭兵組合の運営ゆえ、二人にとっては無関係とも言えるが、だからと言って手元の書類が効果を成さないわけではない。
中に何が書かれているのか、それは確認しなければわからないものの、少年の言動が推測を容易なものにしている。
つまりは、通行を許可せよ、というお達しだ。
このような案件を彼らが処理出来るわけもなく、女は慌てた様子で建物の中へ駆け込む。
(すぐ通してもらえるといいんだけど……。あ、パオラにご飯食べさせたいな、せっかくだし)
少女と手をつなぎながら、ウイルは石造りの要塞を眺めつつも思考を巡らせる。
ここは軍事拠点でありながら、傭兵に寝床と食事を提供可能だ。もちろん有料だが、慈善事業でないのだから仕方ない。
待つこと数分、パオラの異形な姿が軍人達を集め始めた頃合いに、二人の男女が建物の出入り口から現れる。
片方は先ほどの女性軍人だ。道案内のため、わずかに先行し、後ろの男をこの場所まで誘導した。
もう一人の存在感が、ウイルをわずかに委縮させる。
(あの人が隊長……かな? す、すごい貫禄だ。それに、エルさんよりも大きい)
その軍人は高身長なだけでなく、ただならぬ圧迫感をまとっており、眼力こそ柔らかいが見た目に騙されるほどこの傭兵は未熟ではない。
焦げ茶色のズボンは軍服だ。染み一つ見当たらない理由は、今朝履き替えた証拠と言えよう。
一方、上半身は伸縮性に優れた黒色の衣服の上に防具を重ね着している。胴体、肩、腕部を守るする灰色の装甲は先制部隊に支給されるスチールプレートアーマー、周りの軍人達とお揃いだ。
武器の類は携帯していない。代わりに右手は真っ白な封筒を携えており、先ほど手渡した手紙だ。
「あの子供か」
「は、はい!」
そのやり取りを合図に、男は部下を追い抜く。
「あの風貌、見覚えがあるが……、気のせいか」
長身の軍人はグングン進む。進行方向には背の低い傭兵が女の子を連れて立っており、その光景が彼を一瞬だが混乱させる。
記憶に引っかかる、しかし思い出せない。どこかで会ったわけではなさそうだが、少なくとも見かけたことはある顔だ。
問題はもう一人の方。骨の魔物と見間違いそうなほどに痩せた少女。生きているのか死んでいるのか、それすらも判断しづらい。
もっとも、二本の足でしっかり立っているのだから、今は本題に集中する。
「ここを通りたがっている傭兵がいると聞いて来てみれば、いったいどういうことか……」
対面を果たす軍人と傭兵。
その構図はまさしく大人と子供のそれだ。
男は茶色いもじゃもじゃ頭を右手でかきながら、困り顔でウイルの前に立ちはだかる。
「あの、僕はウイル・ヴィエンと申します。手紙は読んで頂けたでしょうか? 僕達はどうしてもこの先に行きたくて……」
名乗り、要望を伝える。今すべきことであり、後は眼前の軍人が首を縦に振るのを待つだけで良い。
そのはずだった。
「これはこれはご丁寧に。俺の名前はガダム・アルエ。察しの通り、ここの隊長だ。ちなみに今ここに常駐しているのは第三先制部隊なんだが、まぁ、そんなことはどうでもいいか。それよりも……」
互いに自己紹介が済まされた。ここからが本番だ。
「こんな偽物を用意してまで、なぜ向こうに行きたい?」
「え⁉」
男の発言がウイルを心底驚かせる。
想定していなかった。
想像すら、出来なかった。
予想外過ぎる返答が目の前の軍人から投げかけられたのだから、今は目を丸くすることしか出来ない。
「ギルバルド家の印字を真似たことから、頭は切れるようだが……、決してお行儀の良いことではないな。見なかったことにするから、今すぐ帰りなさい」
ありえない状況だと、誰よりもウイルが理解している。
英雄の名を利用した書類の偽造など、極刑に該当する犯罪だ。そもそもこの手紙は紛れもなく本物であり、だからこそ胸を張ってここに足を運んだ。
後は堂々と通り抜けるつもりでいたのだが、傭兵の頭は真っ白に塗り替えられ、思考を巡らすことすら難しい。
それでも反論しなければ何も始まらない。ウイルは慌てた様子で口を開く。
「ち、違います! その手紙は本物です! プルーシュ様に直談判して、書いてもらいました。あ……」
その瞬間、この少年は墓穴を掘ったと気づかされる。
「一介の傭兵が四英雄に? ありえない、ありえないんだよ」
ガダムの言う通りだ。
一般市民は貴族にさえ、基本的には会うことが許されない。呼び出されたのなら話は別だが、自身の意思で会おうとしたところで、門前払いが関の山だ。
ゆえに、その上の英雄になど会えるはずもない。王族にも匹敵する階級ゆえ、ウイルの反論は嘘を塗り固めただけに等しい。
もちろん、今回に限っては真実だけを口にしている。顔の広さが可能とする非現実的な芸当なのだが、それをこの場で証明することは不可能であり、なにより頭が働いてくれない。
「ほ、本当……なんです……」
ウイルはうなだれ、男の足元を眺めることしか出来ない。
状況は最悪だ。一日以上をかけてここまで来たにも関わらず、通行手形の偽造を疑われてしまったのだから、八方塞がりとはこのことだ。
「おにいちゃん、どうしたの?」
繋いだその手がやさしく握り返してくれる。
パオラは何一つ状況を理解出来ておらず、二人の問答を黙って見守っていた。それでも、慕っている存在が落ち込んでいることだけは察し、声をかけることから始める。
「ん、大丈夫……。諦める必要なんかないんだ。エルさんなら、どうする? うん、そうか、そうすれば良かったんだ……」
エルディアを思い浮かべたところで答えを示してくれるわけではない。それでも落ち着くことは出来た。今のウイルにはそれだけで十分だ。
自問自答を終え、反論を開始する。
「その手紙は本物です。プルーシュ様に確認頂いて結構です」
その正論が、眼前の隊長をあっさりと黙らせる。
それだけではない。ざわつき始めた周囲の軍人達も傭兵の凛とした意気込みに飲み込まれてしまう。
「僕はこの子を連れてジレット大森林に行かなければならないんです。だから、ここを通してもらいます。良いですよね? いえ、通ります」
許可の有無など、もはや関係ない。必要な書類を用意し、提出したのだから、無意味な難癖に怯むことなく、胸を張って通行するだけだ。
ここは単なる通過点でしかない。
本番は向こう側の森であり、そこでパオラの父親を探すことが旅の目的だ。
一歩を踏み出そうとした瞬間、ガダムは自由な左手をパッと左側へ動かす。ここは通さない。そういうジェスチャーのつもりだ。
「許可出来ないと言っている。今がどういう状況か、わかっているのか?」
「はい。巨人族がうじゃうじゃいて、しかも未知の魔物が潜んでいるかもしれない……。それでも構いません。僕達は行きます」
意地と意地のぶつかり合いだ。
通り抜けたい傭兵。
阻止したい軍人。
両者は立場が異なるのだから、かみ合うはずもない。
されど優勢はウイルの方だ。英雄に一筆したためてもらった以上、ジレット監視哨の責任者ごときに足止めされる言われはない。
「手紙にはその少女のことは書かれていなかった。ならば説明してもらう必要がある」
(あ、確かに……。あの時はパオラが同行するなんて夢にも思ってなかったから……)
軍人の言い分は不許可の理由としては弱い。
それでもウイルにとっては好都合だ。説明一つでパオラの素性と旅の動機を一度に話せてしまうのだから、言い淀む理由はなかった。
四日前にこの少女を保護したこと。
飢餓状態ながらも一命を取り留めたこと。
そして、殺されているであろうロストンを探すため、ジレット大森林を目指していること。
野次馬のような軍人達にも聞こえるよう、ウイルはつらつらとありのままの事実を伝える。
訪れた静寂は悲壮感の表れか。そうであろうとなかろうと、ガダムは隊長の威厳を示すように話し始める。
「なるほど、理解した。だが、それでもここを通すわけにはいかない。その理由は……わかるな?」
「いえ、わかりません。なぜですか?」
強情な大人に眉をひそめる傭兵だが、反応としては当然だろう。事情を話し、通行証さえも提示したのだから、ここでの足止めはただただ腹正しい。小心者ゆえ怒鳴ったりはしないが、食ってかかるような口調にはなってしまう。
「みすみすここを通せば、君達が殺されてしまうからだ。傭兵と言えども、だ。ましてや君の等級は三なのだろう? 出直してくるんだな」
ガダムの発言が、周囲に小さな笑い声を発生させる。
等級三。傭兵としては一人前の証だが、今回に限っては不合格と言わざるをえない。
現在のジレット大森林は巨人族であふれている。よって、巨人の単独撃破を成し遂げた等級四でなければ死地に赴くようなものだ。
(うぅ、こういう時に肩書が生きてくるんだ……。エルさんと金策がんばって、上げておけば良かったな……)
ウイルは今更ながらに後悔する。
エルディア共々、この少年は等級三だ。それで困ることはなかったのだが、今回はその数字に足を引っ張られる。
等級四へ昇級しなかった理由は、試験に申し込む際の費用が高額だからだ。一人分で五十万イール、二人なら百万イールが必要だ。
平均的な収入が月二十万から三十万イールと言われており、ウイルの稼ぎはさらに低い。無理をすれば捻出出来なくもないが、そうする理由が今までなかった。
「ぼ、僕は確かに等級三です。それでも、巨人族には負けないだけの自信があります。だから、お願いですから通して頂けないでしょうか?」
この場で証明することは不可能だ。それでも、今はこう言う他ない。
実は、この発言を待っていた。その軍人は再度、威風堂々と立ちはだかる。
「だったら、今ここでおまえの実力を示してみろ。さぁ、かかって来なさい」
「……え? えぇー⁉」
通行手形が意味を成さなかった理由がこれだ。
初めからこうしなければならなかった。
英雄が首を縦に振ろうと、現場の軍人には関係ない。この少年少女を大森林に行かせることは見殺しにすると同義であり、そんなことはこの男が許せるはずもない。
それでもなお認められたいのなら、実力を開示する必要がある。等級がその役割を果たしてくれるはずだったが、今回は不足しており、ならば、実演あるのみだ。
ウイルは驚きながらも、内心では喜び始める。好機が訪れた以上、見逃す理由などない。
しかし、この状況を驚いたのは少年だけではなかった。
「お、お待ちください!」
水を差すように、一人の女が群衆から飛び出す。橙色の長髪と凛とした顔立ちは先ほど封書を受け取ってくれた軍人だ。彼女は慌てた様子で二歩目を踏み出しながら、さらに続ける。
「そんな子供相手に隊長がお手を煩わせる必要はありません。私にお任せください!」
「む? しかしだな……」
軍人と傭兵による腕試し。この催し物自体がイレギュラーながら、彼女にとってはそれ以上に受け入れられないことがある。
ウイルの実力を見極めるにしても、わざわざ隊長が行う必要はない。つまりはそういう主張であり、ならば己が買って出るという論法だ。
「わがままな子供、さっさと追い返せば良いのでしょう。それに……、そんな病弱な子まで連れて……。あなた達、死にに行きたいの?」
「い、いえ。そういうわけでは……」
威圧的な軍人に、少年はただただうろたえてしまう。ここは自己主張すべき状況なのだが、彼女の威圧感がそれを許さない。
この瞬間、ガダムは思い出す。
一見すると弱気そうな傭兵。
しかし、いざ戦闘が始まると別人のように闘気を奮い立たせる傭兵。
ウイル・ヴィエン。この少年を知っている。言葉を交わしたことはないが、三年前、とある場所で戦う姿を観戦したからだ。
(そうか、前々回の光流武道会に参加した傭兵……。あの時は一回戦で敗北したが、決して悪い戦いではなかった。少しだけ背が伸びたようだが……、どれほど腕を上げたか、見物だな)
光流武道会。イダンリネア王国にて二年毎に開催される大会だ。優秀な軍人が競い合う場なのだが、二枠だけ、傭兵の参加が許される。もっとも、参加料が高額なため、申し込む変人はいない。
観客は富裕層や貴族だけでなく、英雄に連なる者や王族もおり、格式の高さは随一だ。
裏を返せば、庶民には眺める機会させ与えられず、そういったところからもこの国の階級制が絶対であることが伺える。
三年前、ウイルはエルディアに誘われる形でこの出し物に参加した。そのためだけに二人がかりで数か月も金策に励んだのだが、結果は当然のように一回戦敗退で終わる。エルディアでさえ二回戦で完膚なきまでにやれたことから、参戦する軍人達の実力は紛れもなく本物だ。
この男、ガダム・アルエは客席からその様子を眺めていた。
珍しく傭兵が参加したその大会にて、ウイルという小さな傭兵はとても目立っていた。残念ながら、悪い意味で。
遊びじゃない。軍人達はそう苛立つ。
子供が冷やかしで参戦している。貴族達は道化のようなウイルを見下すように笑う。
そう思われても無理はない。光流武道会はそれほどに神聖なものであり、事実、この傭兵は一回戦であっさりと負けるのだから、甘んじて中傷を受け入れた。
そんな中、たった三人だけがその本質を見抜いていた。
エルディア。
対戦相手。
そして、ガダム。
彼らはウイルの内側に不屈の闘志と成長性を見出す。
戦いの内容だけを切り取れば、一方的なものだった。
巨漢が繰り出す斬撃は重い上に速すぎた。ウイルは貸し与えられた上質な短剣で何とか受け流すも、反撃に転じる隙を見出せないばかりか、右腕が負荷に耐えられず骨折。すぐさま武器を左手に持ち替えたが、結果は変わらない。
あっという間に両腕が破壊され、観衆に笑われながら傭兵は降参を宣言する。
試合を汚すな。
さっさと帰れ。
平民が出しゃばるな。
罵倒が飛び交う中、ウイルは背を丸めその場を後にした。
苦い思い出だ。エルディアは励ましてくれたが、それはいつものことゆえ、しばらくの間落ち込んでしまう。
不甲斐ない敗北。この事実は揺るがない。
それでも、負かした当人とガダム、そしてエルディアは驚きを隠せなかった。
手加減されていたとは言え、ウイルは遥か格上からの攻撃を最後までさばききってみせた。
反射神経も、動体視力も、腕力さえも劣っているにも関わらず、迫り来る刃に少年の腕は全て対応してみせた。反応が遅れているにも関わらず、雨あられの斬撃から自身を守りぬいたのだから、敗北ではあるものの完敗ではない。少なくとも、三人はそう思わずにはいられなかった。
この出来事が三年前。
当時のウイルは十三歳、今以上に背の低い子供だった。
今のウイルは十六歳。手紙は既にその実力を保証しているのだが、そうでなくともガダムには想像出来る。
等級三に甘んじる実力ではない。
それを確認するための腕試しだ。その役割を自身が買って出るつもりでいたのだが、部下が鼻息荒く手を挙げてしまった以上、悩みはしたが大人しく譲ることにする。
「わかった。セラ、相手をしてやれ」
「はい!」
橙色の髪をピシャリと揺らし、セラと呼ばれた軍人が嬉しそうに背筋を正す。
「ただし、初めから全力を出せ。一切の妥協を許さない。もし、少しでも手を抜こうものなら……」
隊長の目は本気だ。
この発言は命令であり、忠告でもある。この場にて唯一、状況を見抜けているからこそ、言葉を紡ぐ。
「ビンタの刑だ」
「は、はい!」
本気なのか冗談なのかわからないやり取りが終わるも、ウイルだけは目を丸くする。
(ビンタって……。怖いと言えば怖いけど、上官なりの気遣いか何かなんだろうか? まぁ、なんであれ……)
戦うまでだ。相手が変わったが、むしろ好都合とさえ言える。
隊長が対戦相手であろうと、怯むつもりはなかった。
見るからに強そうではあったが、心配は杞憂に終わる。
セラという名の女性もまた、軍人として相当の実力を持ち合わせていそうだが、この少年はそれ以上の実力者を知っている。
エルディア・リンゼー。彼女と過ごした日々は偽物ではない。
だからこそ、この状況でも落ち着いていられる。
「あのう、この子にご飯と飲み物をお願い出来ませんか? もちろん、お金は支払いますので」
ウイルはパオラの手を放し、そっと背中を押す。
この少女はここまでのやり取りを一切理解出来ておらず、今から何が始まるのか、それすらも察していない。
大森林に行きたいという意味では当事者だが、模擬戦においては部外者であり、それをウイルはわかっているからこそ、時間を有効に使うため、食事を促すことにした。
ガダムが指示したことで別の部下が少女に付き添い、建物の中へ消えていく。
準備完了だ。
それを示すように、二人の男女が建物前の広まったこの場所で、静かに向かい合う。
ウイルとセラ。
傭兵と軍人。
「私の武器は見ての通り、この子達」
斧と斧。二本のそれらが、女の右手と左手に握られている。片刃のそれは鋼鉄製の片手斧であり、スチールアクスと呼ばれる平均的な武器だ。決して安物ではなく、傭兵としてもこれを扱う者は一人前として扱われる。
手ぶらだった両手が埋まったのだから、彼女は戦闘態勢へ移行し終えた。
後は対戦相手が武器を構えるのを待つだけゆえ、逸る気持ちが促してしまう。
「あなたも構えなさい。腰の短剣は飾りではないのでしょう?」
この発言、実はウイルにとって想定外だ。なぜなら素手で迎え撃つつもりでいたため、一瞬悩むも言われた通り右腕を動かす。
鞘から抜かれたそれは、風切り音を鳴らしながら持ち主の眼前へ移動を果たす。
灰色の刃は鈍くくすんでいるも、新品とは言えないが使いこまれてもいない。以前まで愛用していた短剣が砕かれてしまったため、急遽買い換えた代替品だ。
「失礼しました、僕も準備オーケーです」
「そう。さぁ、いつでもかかって来な……、え? ちょっと待ちなさい。それ、もしかして……」
凶器を抜き、わずかに腰を落とす傭兵。
それを受け、軍人も両手を広げるように戦闘態勢へ移行するも、次の瞬間、目を見開いて驚き始める。
「アイアンダガーなの? 隊長! この子供……、ふざけています!」
この主張はヒステリーでも何でもない。至極まっとうな意見であり、それを裏付けるように観客達も腹を抱えて笑ってしまう。
(うぅ、だから素手で戦いたかったのに……。恥ずかしい)
喧騒の中心で、ウイルは顔を赤らめながら直立へ戻る。
こうなることは自覚していた。それでも、実際に怒られ、笑われてしまうと居心地は非常に悪い。
なぜ、このような状況に陥ってしまったのか、ガダムの口から語られる。
「確かに、黒がかったその刃はアイアンダガーだ。ウイル君、その武器が巨人族に通用しないことは傭兵としても常識のはずだが?」
そう。この短剣では巨人族を殺すことは出来ない。
魔物の皮膚は人間よりも遥かに頑丈なのだが、巨人のそれは見た目以上だ。
分厚いわけではない。ただただ硬く、包丁でさえ一切通用しない。アイアンダガーはさらに切れ味が鋭いものの、それでもなお足りないということだ。
「は、はい……。僕としてもスチールダガーが欲しいのですが、高くて買えなくて……」
それゆえのアイアンダガーだ。これも八万イールと安くはないのだが、本命の金額は六十万イール。手が届くはずもない。
武器や防具を製造する際は、当然ながら元となる材料が必要だ。
ブロンズ。
アイアン。
そして、スチール。
そういった金属を精錬、加工することで完成品を作り出す。
剣やナイフの切れ味は、刃の鋭さも去ることながら使われた素材によって左右される。
最低ランクがブロンズ。
次いでアイアンであり、スチールに至る。
供給量によって変動はするのだが、低品質な物は安く、高級品ほど高額だ。
残念なことに、巨人族と戦うためには最低でもスチール製の武具を求められる。薄緑色の皮膚はそれほどにタフであり、それ未満の武器では傷つけることが不可能だからだ。
ウイルが握る短剣は鉄製ゆえ、軍人達から嘲笑されても仕方ない。
ジレット大森林に向かいたいと声高々に主張していながら、その準備が出来ていないのだから、言動は支離滅裂だ。
「愚か者は去りなさい。あなたにその資格などありはしないのだから!」
セラは叱るように言い放つ。何一つ間違っていない言動ゆえ、ウイルを黙らせるには十分だ。
そのはずだが、今回ばかりは食い下がる。
その主張を否定出来るだけの実力を、これから提示するつもりだからだ。
「だから……、僕は素手で戦わせて頂きます。付け焼刃な戦い方だと自覚していますが、それでも今の僕はこれが本気なんです」
アイアンダガーを鞘にしまい、左手だけでなく右手も自由にさせる。
暴走するエルディアと相打ち、もしくは敗北し、以降、ウイルは無手の戦い方を余儀なくされた。金がないため短剣が買えず、なんとか稼ぐもスチールダガーを買い直すには至らなかった。
ならば、素手で十分だ。そう開き直り、子供のような小さな拳で戦う。
発言通り、たった三か月で養った戦闘スタイルだ。
不格好で、素人のような立ち振る舞いかもしれないが、魔物を倒すことは出来た。
少なくとも、一か月前の巨人族乱獲は握りこぶしだけで事足りた。
ならば今回の遠征も問題ないと判断したのだが、軍人達からは蔑まれてしまう。
もっとも、その男だけは見抜いてくれた。
「良かろう。セラ、相手をしてやれ」
「た、隊長⁉ 本当に良いのですか?」
「ああ。さっきも言ったが全力だぞ。いいな?」
「……はい!」
この場を取り仕切る隊長が首を縦に振ったのだから、部下達は大人しく従う他ない。
今の合図が呼び水となり、軍務中の野次馬から歓声があがる。
ならば、審判役を務めるガダムもまた、その役割を果たすだけだ。
「始め!」
その瞬間、セラは両手にそれぞれの斧を握りながら、深々と腰を落とす。
それを合図に彼女の姿はそこからいなくなり、勝者と敗者が決定する。
「そこまで!」
まさに一瞬の出来事だ。その攻防を見届けられた者は隊長一人だけであり、だからこそ、勝者に向けて宣言出来た。
拳を突き出す傭兵。
背中を殴られ、前のめりに倒れる軍人。
決着だ。どちらが勝ったのか、周りの観客達もこのタイミングで気づかされる。
拳を引っ込める少年だが、勝ち誇ってはいないものの満足気だ。
(ビックリするくらい速かったけど、それでもエルさんほどじゃなかったな。これでやっと通してもらえる、良かった……)
並の軍人では相手にすらならない。ウイル・ヴィエンはそういう次元の傭兵だと証明された。
この攻防を見届けたガダムが誰よりもそのことを理解しており、感想を述べずにはいられない。
「誰か、手当を! ウイル君、セラのアサシンステップに見事反応してみせたが、初めから見抜いていたのかな?」
隊長の掛け声を受け、数人の軍人達が敗者の元へ駆けつける。想定以上の威力が込められた殴打を背中に受け、今はすっかり気絶しているものの、当然ながら命に別状はなく、手当は一度の回復魔法で事足りる。
「いえ。使われたことさえ気づけませんでした。ただ、僕はこの人の素の速さを知らないので、どちらにせよ問題はなかったです」
飄々とした返答だが、当然と言えば当然だろう。
アサシンステップとは、自身の速度をわずかに加速させる戦技の一種だ。走る速さ、腕を振り抜く速度が高まるのだから、接近戦を主体とする人間にとっては非常にありがたい。
セラはこれを戦闘開始と同時に発動させ、対戦相手の背後へ音もなく移動し終える。
無防備なそこへ片手斧を振り下ろすつもりだったのだが、その試みはあっさりと破綻した。
なぜなら、ウイルはその挙動をつぶさに捉えたばかりか、仕返しとばかりにセラの背後へ回り込む。
そして、防具の見当たらない彼女の背中へ、拳を打ち込めば試合終了。審判によって決着が宣言された。
たったこれだけのやり取りでしかないのだが、実力を推し量るには十分だ。
「やれやれ、プルーシュ様がお認めになられた通りの逸材……か。お望み通り、私が見極めるしかなさそうだな」
この決着を受け、真打が歩き出すも、傭兵はその失言を見逃さない。
「え? もしかして、この腕試しってあの人の指示なんですか?」
「あ……、むぅ」
事実を言い当てられ、巨漢がピタリと停止するも、その口もまたグッと固く閉じられる。
追及は許さない。そんな雰囲気をまとわせながらガダムは静かに歩き始めるも、威厳はそよ風と共にどこかへ吹き去ってしまう。
何にせよ、第二ラウンドだ。ウイルとしては無駄骨以外の何物でもないが、最初から仕組まれている以上、切り抜けるためには勝って認められるしかない。
(僕に資格があるかどうか、軍人さんを使って見届けたいってことなのかな? あの人の考えそうなことだなぁ。この先にはあいつみたいな魔物がいるみたいだし……、僕の方こそ、隊長さんで見極めさせてもらおう)
ウイルの脳裏にはプルーシュ・ギルバルドの中性的な顔が思い浮かぶも、パッと消え、入れ替わるように妖艶な女性の顔が現れる。
美人ではある。だが、長い髪は赤く燃えており、つまりは人間のようで全くの別種だ。
苦い記憶を振り払い、今は目の前の敵に集中する。
背は高く、茶色の髪はアフロほどではないがふっくらとしている。
灰色の鎧で可動域以外をまんべんなく守っており、ウイルの革鎧とは比較にならないほど頑丈だ。
高圧的ではないが、その凄みは隊長ゆえか。
第三先制部隊を率いる男との模擬戦がついに始まる。