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⚠ワンク
・自殺表現有
・BL
・自己解釈
「……疲れたな」
唐突だが、今からあいつの人生をめちゃくちゃにしてやろうと思う。
思い至った理由は特にない。いわば気分である。
深夜2時。ライトを最小に絞ったスマホの画面が、暗い部屋でぼんやりと浮かんでいる。友達リストの1番上に居座るその名前を、指先でなぞった。
別に、助けてほしいわけじゃない。
ただ、僕が壊れる瞬間を、ネットワーク越しにあいつの静かな生涯にこびりついてやりたかった。何かある度に僕の名前を思い出して、手遅れの正論を反芻して、後悔という名の呪いだけを抱えて生きてほしかった。
……そんなことを考えてる自分に、ひどく露出的な恥ずかしさを覚えながら、僕は布団を這い出した。
呼び出しが一度。ドイツは、まるで最初から僕の指が動くのを待っていたかのように電話に出た。
『すまない……、気付かなかった。』
ドイツの声には、未だ微睡の気配があった。
気付かなかったなんて、嘘だ。寝ていたくせに。
でも、その生真面目すぎる嘘の温度がスマホを通じて凍えそうな指先に伝わってくる。
「ごめん、起こした?」
『いや、お前の声を聞かないと、どのみち寝れそうになかった。』
あいつの言葉はいつだって規律正しく、重く、そしてとても心地よい。しかし、吐き気を催すほどに、それは不快でもあった。
挫折なんてしたことなさそうな、呑気とも捉えられるその声は、ときに苛立ちさえ感じた。
僕は踏み台を引きずり出し、古紙回収に出しそびれた新聞の束を何冊も脇に抱えた。重たい冊子をなるべく静かに引くと、夜風が部屋の澄んだ空気をかき回した。
「ねえ、聞こえてる?」
『ああ、聞こえてる。』
ベランダに踏み台を起き、その上に新聞紙を積み上げる。大人達が使い古した情報の山。それが、僕のささやかな処刑台だ。ぐらつく足元を、しっかりと確かめながら、慎重にその上に乗る。
ベランダに出て、ほんの少しもない足場を見て、生に対する本能的な執着と死への生々しすぎる恐怖を感じて、その行為を諦めることは自分の悪癖だった。ここ数年は抑うつ的になってもそんなこと、していなかった。
だが、今日こそは、ちょっぴり本気だった。
『そういえば、明日は雨らしい。傘を持っていくんだぞ。』
ドイツが忠告をした。その中には一種の、命令というか、言い表せない祈りのようなものを感じて、喜びを覚えながらもどこか、面倒臭さも感じていた。画面越しに一緒に選んだ、お揃いの傘。
「うん、わかった。ちゃんと持つよ。」
僕は、もう来ることのないであろう明日の約束を、平然と受け入れた。僕の肉がアスファルトに叩きつけられて潰れて、骨が無惨に砕け散る音を聞いたら、あいつの理性はどんな音を立てて崩れるのだろう。想像するだけで少し胸がすく。
スマホを肩と耳で挟み、両手をベランダの手すりにかける。新聞紙の厚みのおかげで、柵はもう腰のあたりだ。アルミの手すりは、氷の塊みたいに冷たかった。
「今、外にいるのか?」
「えーっと、ちょっとね」
「寒いだろ」
「まあね。……ねえ、ドイツ。僕のこと、忘れない?」
僕は大きく息を吸い込み、意を決して手すりに体重をかけた。あいつの記憶の中で、永遠に完成するために。
けれど。
「……っ、……あ、」
怖い。
背が足りなくて、踏み台に乗ってもベランダの柵を超えることの出来なかった僕が、もう、ここから飛び降りることができてしまう。
明日が無くなる、と言えば聞こえはいいが、たった一人でこれから、もうない明日を永遠に過ごすという、どうしようもない孤独感をこれからずっと背負っていくのだ思うと足がすくんだ。
「……おい? ポーランド、今の音はなんだ」
「……あー。いや、なんでもない。風かな」
僕の中の、自分の命の軽さと相反して、本能は実に素直だった。息を大きく吸って、吐く。ああ、生きてる。
ダサい。あまりにも子供だ。
死ぬことすらできない。トラウマにさえなれない。
張り詰めていたはずの残酷な執着が、物理的な「壁」と「新聞紙の感触」の前で、あっけなく霧散していくのがわかった。
「……あー、もう、いいや」
僕は諦めて足場から降り、コンクリートの床にすとんと座り込んだ。
お尻から伝わる冷たさが、さっきのもはや不敬に値するほどに軽薄すぎる決意よりもずっと現実的な「不快感」として脳に届く。
「ごめん。やっぱりなんでもない。今から課題やるから切るね」
『……そうか。あまり無理はするな。早く寝ろよ。……愛している、ポーランド』
「……うん。おやすみ」
通話が切れた後の静寂の中で、僕はしばらく、月光を跳ね返している透明な板を見上げていた。
指先はまだ冷たい。けれど、不思議と心はさっきより少しだけ軽かった。
あいつのトラウマになるのにも、それなりの準備が必要らしい。
僕は新聞紙を抱えて部屋に戻り、窓を閉めた。
明日の雨に備えて、玄関にある青い傘を、忘れないように一番目立つ場所に置き直した。
明日は、結局来ることになったらしい。
そして、僕は明日青い傘を差すことになったらしい。
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