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第3章 夢現
夜が明けきらぬ薄明の街路に、まだ焦げた匂いが残っていた。昨日までの混沌が嘘のように静まり返った路地に、一つだけ響くのは、足音。規則正しく、まるで波が岸を打つような、一定のリズム。その主は、風に揺れる白い羽織を纏い、澄んだ水のような髪を後ろで束ねていた。
1匹の剣士。
彼はただ歩く。目は閉じ、表情は凪のように静か。だが、その一歩ごとに空気が張りつめ、街全体が息を潜めるようだった。角を曲がった瞬間、薄闇の奥に蠢く影があった。チーター。黒い斑点が脈動し、歪んだ神秘の気配が滲む。奴はタコの影を見つけ、牙を剥く。口から低いうなりが漏れた。獣じみた殺意が空気を震わせる。
しかし、彼はその場で止まらない。速度も、歩幅も変えず、ただ前へ。チーターは嘲笑うように地を蹴り、爪を伸ばして飛びかかる。空気が裂け、風圧が舞う。その瞬間、光が一閃した。斬撃ではない。むしろ、空気が形を変えただけのような、錯覚。耳を劈く音も、金属の衝突もない。ただ静かに、世界が一度止まったような錯覚だけがあった。
彼の歩みが三歩進む。その背後で、チーターの体が音もなく崩れ落ちる。斬られたと理解する前に、命が断たれていた。彼は立ち止まらない。刀は既に血を払い鞘に収まっていた。彼の横を通り過ぎた風が遅れて木の葉を揺らし、やっと世界が再開する。
街の片隅から、物陰に隠れていた数匹のイカタコが息を呑む。だが彼は気づいた様子もなく、淡々と通り過ぎる。彼らの視線の先、路地の奥にもう一匹のチーターが潜んでいた。呻くように咆哮し、仲間の死に怒り狂い、突進する。
だが彼は振り向かない。右手が微かに鞘を押し出す。その一寸の動作に、空気が震える。次の瞬間、チーターの進行が止まった。胴体と頭が僅かにずれ、重力に従って崩れた。彼はその音を背に、ただ歩き続ける。
太陽が街のビルの隙間から昇り、淡い光がその髪を照らした。閉じた瞼の下の表情は変わらず、穏やか。だがその穏やかさの奥にあるのは、静寂ではなく、決意だった。誰かに見せるためではなく、誰かを救うためでもない。ただ「この街を濁らせるもの」を断ち切るために。風が再び吹き抜け、羽織の裾を翻す。
遠くの空で、雷鳴が鳴った。彼は一瞬だけ顔を上げる。その方向に、かすかな殺気を感じ取るように。しかし彼は何も言わず、また歩き出した。足音が遠ざかる。その音が消える頃には、街は再び静まり返り、残ったのは切り裂かれた空気と、乾いた血の匂いだけだった。
朝の光は鈍く、前夜の雷鳴がまだ空気に棲み着いているかのように街の輪郭をぼやかしていた。フランの喫茶店はいつもより早く扉を開け、暖簾の隙間から差し込む橙色の光が磨き込まれたカウンターと古い木の椅子を柔らかく照らしている。
店内には既に数組の客がいて、誰もが新聞や小型端末の画面を繰りながら、昨夜の出来事について低く囁き合っている。カラン、とドアが鳴る音がして、フランは手を止めずにカップを並べながら顔を向ける。
「おはよう、いつもの?」
彼女の声は落ち着いているが、その瞳は客の表情の一つ一つを確かめるように動いた。常連が頷き、若いタコが今日の新聞の見出しをテーブルに広げる。見出しは大きく「ロビー前大量被害 正体不明の襲撃」とある。写真には遠景の混乱と、焦点が合っていないような人々の輪郭が写っているだけで、真実の詳細は読み取れない。
客の一人が舌打ちをし、低い声で「今朝のニュース、朝から気分が滅入るな」と言う。別の客が画面を指差して「これ見ろ、住民の証言だ。今度は雷だの銃撃だの、冗談じゃねえ。」と笑い混じりに言うが、その笑いも途切れがちである。
フランは静かにコーヒーのポットを動かし、湯気を立てながら店全体に柔らかな香りを充満させる。その香りが一瞬、緊張を和らげるように感じられた。しばらくして、ドアがもう一度開き、背の低い影が店内に入ってくる。リガルだ。彼はいつもの控えめな歩調でカウンターに近づき、フランに軽く会釈する。
「おはよう、フランさん。朝から人が多いね。」
フランは微笑みを返しつつ
「リガル、良かった。今の時間帯はニュース話題で持ち切りだよ。あ、席はこっちね。」
と促す。リガルは腰を下ろし、手元の新聞のページをそっとめくる。細い指がページの隅に触れるたびに、青白い光のように心配が滲む。やがて別のドアの方からアスデムが入ってくる。彼はアマリリスの幼馴染で、顔には疲労と焦りが混ざった表情がある。アスデムは店を見渡す。
「どうしたの?」
とフランが問うと急足でやってきて、
「アマリリスを見てないか?」
と息を切らし、低めに言う。周囲の視線が二人に集まるが、フランはさりげなくカップを二つ用意してテーブルに置いた。アスデムはコーヒーを受け取り、紙ナプキンをぎゅっと握る。
「チーターが街で暴れ出してから、アマリリスと連絡取れてなくて、ちょっと心配なんだ。」
その言葉は抑えられているが、心配がはっきりと滲む。フランは一瞬だけ視線を逸らし、唇を噛む。
「4日前に店に来て以来。あの時も疲れてたからやっぱり何かあるのよね……。」
店内の他の客が小声で反応する。年配の客が新聞を掲げ「昨夜の映像、怖かったな。あの光、稲妻かと思ったら違う。誰がそんなことを。」と不安げに呟く。フランはカウンター越しにゆっくりと動き、テーブルにそっと置かれた小さな皿に焼き菓子を並べる。
「皆、落ち着いて。今は情報が錯綜してるだけ。噂や憶測で動くと余計に混乱を招くわ。」
と彼女は柔らかく言うが、その声の端には眠らぬ夜の気配が残っていた。リガルは窓の外に目をやる。朝の通りには警官や救急車の姿がちらほらとあり、黒いテープで区画が隔てられている場所も見える。リガルは視線を店内に戻すと、小さくため息をついた。
「昨夜、ここからも見えたって客が言ってた。誰かが何かをして、誰かがそれを止めたって。」
アスデムは顔をしかめ、テーブルの縁を指で叩きながら「アマリリスは……彼は自分で何かやってるかもしれない。見つけたら声かけてくれ、フランさん。」と真剣な眼差しを向ける。フランは静かに頷き、カウンターの向こう側にある小さなテレビの画面に一瞬目を向けた。アスデムは告げた後、外へ出て行った。
扉が閉まると同時に店内に置かれた空気は少しだけ軽くなり、フランは再びカウンターへ戻ってコーヒーを淹れ始める。しかし彼女の表情は完全には晴れておらず、窓の外の道路を見つめる目には、まだ昨夜の雷光が残っているのがわかった。
薄い朝光が倉庫の高い窓から細く差し込み、埃の粒がその光の筋の中をゆっくりと舞っている。床には昨夜の戦闘でできた焦げ跡や足跡の輪郭がかすかに残り、鉄の匂いと少しのインクの匂い、乾いた汗の匂いが混じり合って立ち込める中、アマリリスはゆっくりと体を起こした。
布団のしわを払うように片手で髪を撫で、額に付いた埃を指先でなで落とす仕草は遅く見えるが無駄がない。彼の瞳は薄く眠りの曇りを残しているものの、顔に浮かぶ表情は平常のそれよりも鋭く、戦いの余韻が思考の端を占めている。薄いカーテンが風に揺れ、窓の外では既に街が目覚め始める音が遠くから聞こえてくる。
エルクスは作業台の前に座り、昨夜使った装備の点検をしていた。彼の指先は器具に触れるたび確実で、金属同士がぶつかる短い金属音が静謐な朝の倉庫に規則正しく鳴り響く。手袋をつけたまま、節目ごとに部品を取り外し、磨き、また組み立てる作業は彼にとって日常のルーチンであり、どこか心を落ち着かせる所作でもある。ミアは毛布をぐるりと身につけながらあくびをし、まだ寝ぼけ眼ながらも周囲に気を配る。
彼女の動作は軽やかで、くるくると無邪気に髪をかきあげるしぐさが倉庫の硬質な空気に柔らかな対比を生む。キヨミは既に装備の最終確認を終え、腰のベルトに弾薬や小物を整然と収めている。彼女の指の動きには無駄がなく、深い集中の中にある静かな決意がうかがえる。
アマリリスは立ち上がり、窓から差す光を背にしてゆっくりと身体を伸ばした。筋肉のひとつひとつが昨夜の戦いの感触を覚えているかのように微かにきしみ、だがその目つきは既に先を見据えていた。
「もう朝か……。」と低くつぶやき、短い沈黙のあと誰かが小さく笑うように返すような軽い声が飛ぶが、返答は無くとも場に漂う共同体の空気が互いを確認し合っている。しばらくの間、誰もがそれぞれの動きに没頭し、言葉のない連携が倉庫に満ちる。工具が触れ合う音、布が擦れる音、金属の留め金がカチリと鳴る音。これらが朝の合図となり、次第に焦りや不安を抑え込むようにして静かな決意が場を支配していった。
そのとき、隅に置かれた端末が軽く震え、振動音が床を伝って広がる。振動の音に反応するようにミアが顔を上げ、「電話なってるよ。」と言う。
アマリリスは何も言わず端末を取り上げ、画面に表示されている名前を確かめる。表示はアスデム。彼の名を見た瞬間、アマリリスの肩の力が一瞬だけ抜けるが、それは短い安堵の合図に過ぎない。通話ボタンを押すと通信がつながり、向こう側の声が途端に大きく入り込んでくる。
「アマリリス、頼むからどこにいるか教えてくれ。ニュース見たら心臓が止まるかと思ったんだ…。」という、焦りと安堵と怒りが混じった声。アマリリスは端末を耳に当て、淡々とした声で答える。
「倉庫だ。それで俺たちは無事だ。」と付け加えると、通話越しにアスデムの吐息が漏れ、少しだけ言葉が詰まるのが聞こえる。エルクスとキヨミは視線を交わし、ミアは手を口に当てている。アスデムは続ける。
「フランさんの店に行ってきた。皆、お前のことを心配してる。誰かが伝説の剣士とか狩人とか口にしてた。」という声に、アマリリスは無言でうなずく。彼は言葉を選ぶようにして応える。
「フランには顔を出すつもりだ。だが今は……」
そこまで言うと彼は短く言葉を切り、外の喧騒を耳にする。
「外はまだ混乱が続いている。僕らがやるべきことがある」とだけ告げた。アスデムの声には安堵と苛立ちが混在し、「一人で行動するなよ」という言葉が続く。アマリリスは端末を少し強く握り、息を吐くようにして言葉を返す。
「分かってる。心配すんな。」
その一語が不器用だが真実味を持って響く。通話を切ると倉庫内には再び機械的な手際の音だけが戻ってくるが、それぞれの動きにはわずかな緊張の影が残る。エルクスが口を開く。
「さて、情報の整理だ。並行のチーターに続いてバレル、アークの動き。色々と情報も入手することができた。」
彼の言葉には即座に論理を組み立てるための冷静さがある。キヨミが正面に立ち、資料ボードに昨夜の教訓や観測データを並べる。図や走査のスクリーンに手を伸ばし、各地点の目撃情報を指でなぞるたびに短い解説が続く。ミアは不器用ながらも笑顔を作り、場の空気を和らげようとするが、その瞳はどこか疲れている。
アマリリスは窓の方へ歩み寄り、外の通りを眺める。遠くで消防のサイレンが鳴り、人々の声が波のように流れている。彼の胸の中には重さがあり、それは単に昨夜の激戦を思い出すからではなく、ロビー前で多くの命が奪われたという報が街中に広がっているという事実に対する重みであった。誰もがその事実を正面から受け止めることを避けてはいるものの、足元に据えられた現実は逃げ場がない。エルクスはそっとアマリリスの肩に手を置き、短く「情報を洗い出して、足りないものを補給しよう。フランに顔を出すのはその後でいい。」と言う。
その言葉を受け、アマリリスは深く息を吸い、うなずいた。彼らは互いに無言の確認を取り、それぞれの役割へと戻っていく。工具を手に取る者、地図を広げる者、通信機の整備を始める者。倉庫の中は再び作業音に満たされ、朝の冷たさの中で小さな熱が生まれていく。戦いの余韻が心を蝕む時、人は役割を持つことで均衡を取り戻す。
アマリリスはその前に立ち、集合した仲間たちの顔を見渡した。言葉少なに、しかし確固たる声で「まずは情報収集。隙を突かれる前に動く」と告げると、誰も反論せずに頷いた。倉庫の窓から差す光が彼らを薄く背後から照らし、その光は無言の決意を温かく包み込むかのようだった。
〈キャラ紹介のコーナー〉
アスデム・グリード
イカボーイ。27歳。
アマリリスの小学校からの友達で、アマリリスにはよく話しかけていた。幼少期、アマリリスの家庭に関してはセリナと同様話せていなかったが、セリナが「始末」されてからもアマリリスのそばにいた。
狩人の話が出てからアマリリスと会っていなかった(アマリリスが親から解放されてからもよくあっていた)ので少し心配していた。
冷静で周りに流されない。初対面のイカタコにも仲良くしたいとは思っているが、用心深いところが出てしまうことがあってそれが悩み。
(名前の由来はイカに転生の没伏線の名残)
持ち武器はガエンFFカスタム。