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その夜は、珍しく他の常連客が何人か重なっていた。
勇斗は持ち前の人懐っこさで、誰とでも分け隔てなく打ち解けている。カウンターの端で静かにグラスを傾けながら、仁人はその光景を、いつもとは違う目で眺めていた。
「勇斗くん、相変わらずモテるねぇ」
年配の女性客が、上手に客をさばいている姿を見て、からかうようにそう言った。勇斗はそれに対して、屈託のない笑顔で応じる。
「いやいや、モテるってほどじゃないですよ。ただ、みんなのこと気になっちゃうタイプなだけで」
「またまた。──ほら、そこの子も、口説いてるんでしょう?」
視線が仁人に向けられ、仁人は思わず身を強張らせた。上手に躱せる気がせず視線をあげれない。勇斗は特に否定も肯定もせず、ただ笑って話を逸らしている。その対応の軽やかさに、仁人はなぜか、小さな引っかかりを覚えた。
──そこの子、も?
その考えが浮かんだ瞬間、仁人は自分の中に生まれた感情に戸惑った。否定してほしいわけでも、肯定してほしいわけでもない。ただ、勇斗が誰に対しても同じように愛想よく振る舞う様子を見ていると、胸の奥が、じくりと疼く。
聞き逃せたらよかった。たった一文字に心がこんなに揺れるのは、編集者の性か。
「仁人くん、大丈夫? なんか気まずいことあった?」
別の客との会話を切り上げ、勇斗がこちらに声をかけてきた。仁人は慌てて表情を取り繕う。
「別に、なんでもないです」
「そう?ならいいけど」
あっさりと引き下がる勇斗に、仁人は内心で複雑な気持ちを抱えたまま、グラスに口をつけた。誰にでも優しく、誰にでも気安く接する。それが勇斗の本質的な魅力であることは、よく分かっているつもりだった。だからこそ、それを咎める資格など、自分にはないはずだった。
しばらくして、常連客たちが引けた後、店には仁人と勇斗だけが残された。カウンターの向こうで、勇斗は片付けをしながら、機嫌よく鼻歌を歌っている。仁人はその横顔を見つめながら、先ほどの感情の戸惑いをどう処理したらいいかわからないままだった。
「さっきの人たち、よく来る人たちなんですか」
「うん、結構長い付き合いの人たちだよ。──もしかして、気になった?」
「別に。ただ、みんな、に、優しいんだなって思っただけです」
意識して、感情の起伏を悟らせないよう、仁人は淡々とした口調を保った。勇斗はそれを聞いて、少しだけ首を傾げたが、深くは追及しなかった。
「まぁ、接客業だから。誰にでも愛想よくするのは、基本だしね」
「そうですよね」
「でも、仁人くんに対する接し方とは、ちょっと違うつもりだけど」
その一言に、仁人の心臓が、小さく跳ねた。だが、それを表に出すつもりはなかった。
「そうですか?」
「あれ、信じてない?」
「別に、信じる信じないの話じゃないです」
仁人はそっけなく答えて、グラスの中身を飲み干した。だが、内心では、先ほど感じた小さな棘の正体が、ようやくはっきりと形を取り始めていた。
──俺、これ、嫉妬してるんだ。
その自覚は、これまでの人生で経験したことのない、新しい種類の感情だった。誰かに執着することを、これまで避けてきたはずだった。人と近い距離を保つことは、常に疲労と表裏一体だったから。だが今、この感情は、疲労とは違う困惑と不安を連れてきた。
仁人はまだ、誰にも──勇斗自身にも、悟られるつもりはなかった。認めてしまえば、これまで築いてきた自分の在り方が、根底から揺らいでしまう気がした。
「今日は、もう帰ります」
「うん、気をつけて」
いつも通りの、あっさりとした別れの挨拶だった。だが、店を出た後、仁人は夜道を歩きながら、先ほどの感情を、何度も心の中で反芻していた。
──別に、なんでもない。
そう自分に言い聞かせながらも、仁人の胸の奥には、まだ言葉にできない小さな困惑が、確かに燻り続けていた。
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