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「今夜、ちょっと付き合ってよ」
閉店後、片付けを終えた勇斗が、唐突にそう切り出した。仁人は帰り支度をしかけていた手を止め、怪訝そうに眉を寄せる。
「付き合うって、どこにですか」
「いいから、いいから。ちょっとだけ」
有無を言わせぬ調子で腕を取られ、仁人は流されるまま店を後にした。
深夜二時を過ぎた街は、人通りもまばらで、ネオンの光だけが静かに滲んでいる。
勇斗が向かったのは、街の外れにある小高い丘だった。展望台と呼ぶには小規模な、地元の人間しか知らないような場所らしい。息を切らしながら階段を上りきると、そこには、都心の夜景が一望できる、開けた景色が広がっていた。
「こんな場所、よく知ってましたね」
「夜専門の人間には、夜専門の情報網があるからね」
得意げに笑う勇斗の横で、仁人はしばらく無言で夜景を見つめていた。無数の灯りが織りなす街の姿は、普段見慣れているはずなのに、この角度から見ると、まるで別の生き物のように映る。
「綺麗ですね」
「でしょ。ここ、俺のお気に入りの場所なんだ」
「昼間は来ないんですか?」
さりげなく尋ねた一言に、勇斗は一瞬だけ言葉に詰まった。
「──昼は、来ないかな。ここに限らず」
「そういえば、前にも言ってましたね。夜専門だって」
「うん」
「もしかして、ヴァンパイアだから?」
出会ったばかりのころに告げられた冗談を思い出して、くすくすと笑いながら言葉を返す。
勇斗はいつものように、はぐらかすような笑みを浮かべた。だが、その笑みの奥に、これまでとは違う影が差している気がした。
「──さあ、どうだろうね」
今夜はいつもより、その曖昧さが、妙に引っかかった。
丘を下りる途中、足元の暗さに気づかず、仁人は小さな段差に躓いた。
体が傾ぎ、このままでは手をついてしまうと、思わず声を上げかけた瞬間──気づけば、勇斗の腕の中に、しっかりと抱き留められていた。
「──大丈夫?」
「……っ。…あ、はい。すみません」
礼を言いながらも、仁人の中には、小さな違和感が芽生えていた。
なぜ勇斗は、抱き留められたのだろうか。いくら反射神経がいいとはいえ、暗闇で、あと少しで転びそうなところを。まるで、転びかけた瞬間を予測していたかのような、迷いのない動きだった。
「──今の、反応すごくないですか」
「そう? 咄嗟に動いただけだよ」
「咄嗟にしては、早すぎる気がします」
「気のせいじゃない?」
仁人はもう、その言葉を簡単には飲み込めなくなっていた。
とっさに抱き留められたときに感じた違和感は一つではなかった。勇斗の体温。あれは、人間のそれにしては、明らかに低すぎた。
「手、なんか冷たいですね。今日、そんなに寒くもないのに」
「体質、なのかな」
「体質で片付けられるレベルじゃないと思うんですけど」
仁人は勇斗の手を、確かめるように握り直した。その冷たさは、単なる血行の問題では説明がつかないほどだった。
「──なぁ、前の話、冗談じゃなかったってこと?」
重なる違和感を真剣な声で問われ、勇斗はしばらく沈黙した。夜景の灯りが、その横顔を静かに照らしている。
「──もし本当だったら、どうする?」
仁人は、丘の上に吹く夜風に髪を揺らされながら、言葉を選ぶようにしばらく考えていたが、ふと視線を向けてさらりと告げた。
「──どうもしないですよ、別に」
「そう?」
「ただ、ちゃんとした話を、いい加減聞かせてほしいだけです」
その言葉に、勇斗はゆっくりと目を細めた。これまでの飄々とした態度の奥に、何か、確かな覚悟のようなものが滲み始めている。
「──分かった。今度、ちゃんと話すよ」
「今度、じゃなくて、今」
「今夜は、まだ。連れ出せて、夜景見れて、うれしかったから」
その言い方には、これまでにない誠実さが滲んでいた。仁人はそれ以上追及するのをやめ、黙って隣に並んだ。夜景を見つめる二人の間に、確かな緊張感と、それ以上に深い信頼のようなものが、静かに横たわっていた。
──あの話、本当だったんだ。
確信には、まだ届かない。だが、これまで積み重ねてきた違和感の一つ一つが、もう笑い話として片付けられるものではなくなっていることを、仁人は、この夜、はっきりと自覚していた。