────はじめに────✂────
※これは、ある人の出来事を代行で書いたものです。
※人によって、不快感があります。
※暴力表現、流血表現があります。
※虐待表現あります。
※上手く言葉で表現出来ないことがあります。
※誤字脱字あるかも。
※それでも良い方のみ見ていってください。
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本当は、墓まで持っていこうと思ったのですが…
ほんと、僕ってワガママですね。
誰かに知ってて欲しいって思ってしまいまして…
同じような経験をした事がある人が居ない事を願うばかりです。
ははは、何様だ〜ってカンジですね(笑)
────すみません、話がズレてしまいました。
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これは、世間の言う「胎内記憶」ってやつだと思います。
いつからのものかは不確かなのですが、確かにあります。
僕に話しかける母の声を覚えています。
優しく、暖かく、心地良い声でした。
──それと同時に聞こえた、怒号、悲鳴、何かが割れる音…
ある日、僕の生まれの話を母から聞かせてもらえました。
本当は聞かせたくなかったと思います。でも、聞かせてくれたのは母なりの気遣い(?)かな、と。
母は僕をお腹に宿してる間、父親と母の父親、両方から暴力を受け続けていたそうです。
焼酎便で頭を殴られた事。水を頭からかけられ、そのまま冬の外に一晩放り出された事。アパート2階へ続く外階段の手すりに、縄跳びで足を拘束されて逆さ吊りにされた事。お腹をバットで殴られた事……。
言葉が出ませんでした。
何で?どうしてそんな事を?と、怒りを覚えたのを今でも鮮明に覚えています。
そして、あの時聞こえていたあの声はコレだったんだと同時に理解しました。
そんな中、僕に優しい言葉をかけ、 あの最低な2人から必死に守っていてくれたんだと…、僕はずっと母に感謝しています。
今更ですが、僕には人格が4つあります。別に困ってもいないので、精神科とかそんなものは行ってません。
行ったら消されてしまいそうと思ったのもありますが、ここまで生きてこられたのは母とこの3人のおかげです。
正直、依存してるんだと思います。彼らも、母と同じく僕の大切な「家族」なので。
(胎内記憶も人格の事も、誰にも伝えてません)
面倒くさがりだけど頼りになる父親、やんちゃで明るい弟、カッコよくて綺麗な姉、そして僕。
何故人格があるのか、理由がしっかりとあります。
────────そう、あの2人です。
あの2人から僕を守る為に、生まれたんです。
僕の出産時、母はひとりだったそうです。父親はと言うとパチンコに行っていたんだと母に聞きました。
(しかも母のお金で、最低すぎる…)
叔母である母の妹さんが急いで駆けつけて来てくれたのを母から聞きました。
でも、僕は知っていました。
叔母の声は、母のお腹の中で何度か聞いたことがある声でした。生まれた僕を見たあなたの顔も、あなたのかけてくれた優しい声も、ちゃんと覚えています。
ですが、父親は違いました。
自分で立ち会いに来なかったにも関わらず、
「俺はコレが生まれるところを見てないから、コレは俺の子じゃない」と、
僕を見て第一声が、それでした。
この時、僕の中であの3人が生まれました。
これから起こる事に、僕が耐えられるよう、壊れてしまわないように生まれてきたんだと思います。
僕は父親から完全に除け者扱いでした。
そして、母の父親である人からは、理由なく殴られました
父親から、母の目を盗んでそういった行為をしようとしたこともありました。
この時、まだ年齢は3つ。男ですからね?僕。
かわすのが上手い姉人格が全てかわしてくれてましたけど…。(今思い出しても鳥肌が立つ)
母はと言うと、働かない父親の代わりに一日中働き続けていました。────朝から晩まで、ずっと。
僕にランドセルを買いたい。と貯めた貯金は、全て父親が賭け事で消費してしまっていました。
その上、母のカードを勝手に使い、借金もしてました。
────どこまで行ってもクズですよ。あいつは。
そんな時に、妹が生まれました。
妊娠してるのに働かせてたのかこのクズは。と、3人も僕も呆れて言葉が出ませんでした。
あいつは妹の出産には立ち会っていました。
はい、ご想像の通り。溺愛されてましたよ、妹は。
でも悲しいとか、寂しいとか、羨ましいとか、そんな事は思いませんでした。
むしろ、有難かったです。このままほっといて欲しかったので…。
そうともいかないのが、母の父親。
アルコール依存症な上、母と叔母が子供の頃から暴力を振り続けていたバケモノでした。
理由もなく殴られて、蹴られるのが辛かったです。父親人格が一度殴り返してくれました。
そしたら頻度も威力も悪化したので、それ以降は反撃できませんでした。
父親人格も弟人格も姉人格も、「大丈夫」「必ず守るよ」「俺たちがついてる」「ごめんね」「大好きだよ」「私達は貴方を心の底から愛してるよ」と、言い続けてました。
あなた達が悪いわけじゃないのに…。
何度も何度も、3人に助けられました。本当に、
母は更に帰ってこなくなりました。
ずっと働いて働いて……。必死にお金を稼いでいました。
そのお金が使われないよう、隠しながら。
5歳の時、母が事故を起こし瀕死の重症を負いました。
対向車の軽トラと原付の母が正面からぶつかったそうです。
原因は、母の寝不足による不注意。
朝から晩まで働いて、寝る時間を取ってなかったから…。
僕は母のお見舞いに行かせて貰えませんでした。父親が会わせるのを拒否したせいで。
この時は母は頭蓋骨が割れ、あちこち骨折していたんだと母から聞かせて貰いました。
退院後、母は
「ここから出よう」 と、
荷物をまとめて家を出ました。僕と母と妹の3人で。
隠していたのに、僕が暴力を受けていた事を知っていたそうです。さすがお母さん。
向かった先は、母が仕事先で知り合った男性の家。
この人が、僕の育ての父親になりました。優しそうで、親切そうな人でした。
でも僕はこの時、男性に対して恐怖心がありました。
目を合わせる事が出来ず、触られる事がダメでした。
(正直、今でもまだできてません)
「少しずつでいいから」
と、育ての父親は優しく声をかけてくれました。
今まで男性からは罵声と暴力しか受けてこなかったので、この時ビックリしたのを覚えてます。
段々と心を許して育ての父親とも会話できるようになった頃、4人で新しい場所へ引っ越す事になりました。
3人も「良かったね」と喜んでくれました。
小学校に入り、初めて家族以外の人と会いました。
そうか、6歳ならこんな感じなのか。と思いました。 年相応に振る舞えないのは許して欲しい。そんな余裕なかった。
なんだかんだ小学校では夏休みに入りました。その間、特にこれといった出来事はなく、僕はを「普通の生活」を楽しんでました。
────ほんっと、幸せって長続きしませんよね。
はい、引越し先に母の父親が突撃してきました。それも泥酔&ブチ切れ状態で。
僕は家の前の物陰でアリの巣に石で家を建ててたんですが、突撃してきたあいつに蹴り飛ばされました。
その様子を家の窓から見た母が、鬼の形相であいつと取っ組み合いの喧嘩をしてました。
近所の方が駆けつけ、警察を呼んで助かりましたが。
(二度と刑務所から出てこないで欲しい)
そんな事もあり、また引っ越した訳です。
この時から、僕の記憶が飛び始めました。気付いたら外にいたり、川で泳いでいたり、公園にいたり。
3人が言うには、新しい人格がポンポン出てきては体を使ってあぞび回ったり、読書したり、字を書いたりしては消えて…と、記憶の引き継ぎもなく、回転寿司並みにローテーションしていたようで、
そんな事が高校にあがっても起き続けてました。
気付いたら学年が上がってて、気付いたら卒業してて、気付いたら中学生になってて、高校生になってました。
周りに気付かれなかったのかと思うかもですが、周りからは破天荒で元気な子と言う認識でした。
(この時はまだ精神病とかそんな考えはあまり浸透してませんでした)
僕は段々と表に出ることが少なくなりました。
その間、3人が表に出て頑張ってくれてました。
────僕は弱いですね。こんな事で弱るなんて…
目をつぶれば、あの光景がフラッシュバックする。
罵声も、暴力も、全部。
殴られすぎてもう感じないと思ってた痛みも、慣れたと思っていたのに……。
────痛くて、怖くて、辛くて、悲しくて────
僕は未だに立ち直れていません。もう多分、一生立ち直れないと思います。
ははは、と彼は乾いた笑い声を上げた。
────危ういな。そう思って、それからほぼ毎日、メールや電話をした。
あの子と、連絡が取れなくなった。
こちらから連絡するも、返信も既読も無し。
不安、焦り…。色んなものが押し寄せた。
約1週間後
彼の副人格である3人から、連絡があった。
────────とても、嫌な予感がした。
実際に会って、話を聞くことになった。
会った瞬間、何となく察してしまったが、聞いた。
「あの子……死んじゃったの、?」
「……はい、」
あぁ、やっぱりなって。一目見た瞬間分かったよ。
「あいつと仲良くしてくれて、ありがとな」
父親人格だろう、気を使ってくれてるな。
あなた達の方が、凄く辛いだろうに。
「ほんとに、ありがとう…、」
もうあの子は死んでしまった。
目の前で、未成年の、まだ幼い身体が震えている。
僕は無言で抱き締めた。
堪えられなかったのだろう、泣き出してしまった。
最近まで、言葉を交わしたのに。電話も、メールだって…。
誰よりも幸せになって欲しかったあの子は、誰にも気づかれず、いなくなってしまった。
よく耐えたよ、よく頑張った。
────そんな言葉は、もうあの子には届く事は無い。
時々、3人から連絡が来る。
どうやら、いつかあの子に語って、楽しく笑い合えるような思い出を作っているらしい。
あの子は確かに生きていたんだと、
どこかの誰かに、伝わりますように。
長文、失礼しました。
end
コメント
3件
そうですか………そんな事があったんですね……やっぱりガンギまりあさんは優しい人だ。優しい。凄いです。立ち直れなくても、生きてさえいればいいんですよ。お疲れ様でした。話してくれてありがとうございました。