静かな路地裏にひっそりと佇む小さな喫茶店、「猫町珈琲店」。看板には手書きの猫のイラストが描かれており、ドアベルが鳴るたびにほのかにコーヒーとシナモンの香りが漂う。
店主の朝倉は、四十過ぎの穏やかな男で、いつもゆったりとした口調で話す。彼の足元には看板猫の「ムギ」がいて、時折カウンターに乗ってお客さんをじっと見つめる。
ある日の午後、珍しく若い女性がふらりと店に入ってきた。彼女は店内をぐるりと見回し、少し迷ったようにカウンター席に座った。
「コーヒー、ブラックでお願いします」
「かしこまりました」
朝倉がゆっくりとコーヒーを淹れる間、彼女は窓の外をぼんやりと眺めていた。
「ここ、前から気になってたんです」
「そうですか。見つけてくれてありがとうございます」
コーヒーを一口飲んだ彼女は、少し驚いたような表情を見せた。
「……なんだか懐かしい味がします」
朝倉は微笑みながら答えた。
「不思議ですね。うちのコーヒーは、飲む人の記憶に寄り添うんです」
彼女は少し驚いた様子だったが、すぐに懐かしそうに目を細めた。
「たぶん、昔、祖父が淹れてくれたコーヒーに似てるんだと思います」
「いい思い出ですね」
彼女は頷きながら、カップを両手で包み込むように持ち、ゆっくりとコーヒーを味わった。
その後、彼女は何も言わずに店を出て行った。けれど、翌日も、その次の日も、ふらりとやってきてはコーヒーを飲み、静かに帰っていった。
店主の朝倉は、そんな彼女をムギと一緒に見守りながら、今日も変わらず、穏やかにコーヒーを淹れるのだった。
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