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患者さんの検査待ちの合間に、診察室の壁からコッソリと、太郎の様子を窺ってみた。待合室にいる子どもたちに囲まれながら、スケッチブックを手に、なにかを描いている姿が目に留まる。
「周防先生、そんなところから覗いていないで、太郎ちゃんの傍に行けばいいのに」
俺の背後から、村上さんが声をかけた。
「でも気が散ったら、その……迷惑かけるだろうし」
「子どもたちだけじゃなく周防先生にも、太郎ちゃんが描いている絵を褒めてほしいと思っていますよ。きっと」
脇をすり抜けながらクスクス笑って、通り過ぎて行った。
(――そんなもんかね)
そう思ったとき待合室に桃瀬がやって来て、子どもたちに声をかける。フレンドリーな桃瀬に対し、仏頂面の太郎という対比。まぁしょうがないだろう。アイツは俺の想い人だしな。
そんなふたりを眺めていたら、桃瀬が俺の存在に気づき、ゆったりとした足取りで診察室前にやって来た。
「周防なにやってんだ、こんなところで」
「ももちん、いらっしゃい。今日はどうしたの?」
視線を太郎にロックオンしたまま、しっかり訊ねてやった。
「バテる前に周防スペシャル、打ってもらおうと思ってさ。お礼にならないかもしれないが、涼一と作った餃子、勝手に冷蔵庫に入れておくぞ」
「ありがと。なんだか愛情がたくさん、こもっていそうだね。ご馳走様」
(やれやれ相変わらず、仲がよろしいことで)
苦笑いして桃瀬を見ると、いきなり難しそうな表情を浮かべ、ぎゅっと眉根を寄せる。
「顔色、あまり良くないな。大丈夫か、周防?」
心配そうな顔して、じっと見つめられると、どうしていいかわからない。思わず隠すように、顔を俯かせてしまった。
「いろいろ考えることがあってね。困り果てたら、ももちんに相談するよ」
なんとか笑顔を作って、桃瀬を一瞥してから診察室に戻る。躰を投げ出すように椅子に座り、天井を仰ぎ見た。
「……桃瀬に相談できたら、とっくにしてるよな」
親友だからこそ、伝えられないこの気持ち。そして太郎の病気のこと。この件に関しては、医者の俺と患者である太郎の問題。なんとかしなきゃいけないのは、自分自身なんだ。
病気のことを考えたら、早くなんとかしたいのに時間だけがどんどん過ぎ去って、太郎の命を削っている。俺が太郎のことを好きになり、この身を捧げればいいだけなのに。
机に頬杖を突いて、どうすりゃいいのか思案していると、女のコが泣きながらいきなり診察室に入ってきた。
「うわぁん、すおー先生っ!」
「どうしたの? 誰かに、いじわるでもされたの?」
小さな躰をぎゅっと抱きしめてやり、落ち着かせるべく、頭を何度も撫でてあげた。
「桃瀬のお兄ちゃんが、お願いした絵を描いてくれたんだけど、全然違う絵になってて、すっごく怖かったの……」
(あぁ、どんなものになったのか大体想像つくよ。顔はいつもの人間離れしたゲテモノで、かわいらしさの欠片もないものができあがっただろうな)
女の子の涙を優しく拭ってやり、仲良く手を繋いで待合室に顔を出した。
「ちょっと、ももちん! 患者さんを泣かせるとか、なにやってんの!」
子ども同士のケンカならいざ知らず、大人のおまえが小さな子どもを泣かせて、どうするんだか。
「いや、その、な。リクエストに応えただけなんだが」
「見せてみなよ、まったく――」
プンプン怒りながら、桃瀬の目の前で手を腰に当てて立ってみせると、困った顔して描いたものを手渡してきた。
「なにこの、軟体動物が玉乗りしてる絵は?」
「う……スポーツカーです」
どこからどう見ても蛇か何かが、玉乗りしているようにしか見えない。
「それと一緒に、青いネコ型ロボットを描いたみたいだけど、想像ついたよ。ももちんの描く絵は、いつも顔が同じだからね。愛らしいキャラクターが、見事に台無しだわ」
俺の言葉にショックを受けた桃瀬は、ガックリとうな垂れた。
「ももちんは、ここで絵を描くのは禁止! 病気の子どもたちを、これでもかってくらい、不安にさせるからね」
強い口調で言ってやり、ついでに隣で描いていた太郎のスケッチブックを、チラリと覗いてみる。
(へぇ、これは桃瀬の倍は、うまいじゃないか)
そこにはちゃんとしたイラストが描かれていて、その横には空を飛びそうな格好いい車も描かれていた。
なぜに桃瀬、こんな絵を描く太郎に対抗して、無謀にも立ち向かったのか――まぁ昔から、負けず嫌いだったもんな。
肩を竦めながら深いため息をついて、診察室にゆっくり戻る。
『子どもたちだけじゃなく、太郎ちゃんは周防先生にも描いている絵を褒めてほしいと思っていますよ。きっと』
村上さんが言った言葉が、突然ふっと頭を過ぎった。
しまった――桃瀬のやらかした失態についイライラしちゃって、太郎に声をかけられなかったじゃないか!
「ホントなにやってんだよ、タイミングが悪い……」
こういう小さな積み重ねがすごく大事だって、痛いくらいにわかっているのに、ままならない自分が悔しくてならなかった。