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「…おはよう。」
「おはよ〜。」
「おはよ。」
梅雨の時期はまだまだ続き、今日も朝から頭痛が酷い。
ぼくは薄く目を開けながら、もぞもぞと涼ちゃんの胸に擦り寄った。
…理由は、何となく落ち着くから。
「元貴はしんどいだろうけど、この時期の元貴っていつもより甘えん坊さんで可愛いよねぇ。」
正直、もうこの頭痛も慣れっこではあるけど、苦しんでるのにそんな呑気なことを言う涼ちゃんが少しだけ憎たらしい。
だから、擦り寄った胸におでこをグリグリ押しつけてやった。
「あははっ。ごめんごめん〜。」
涼ちゃんは笑いながらも、優しく頭を撫でてくれる。
…けど。
「あれ?ちょっと待って。」
次の瞬間、せっかく心地よく目を閉じていたぼくを、涼ちゃんがバッと引き剥がした。
無言で眉間に皺を寄せ、涼ちゃんに“なにすんのさ”と言う視線を送る。
すると、涼ちゃんは少し身体を起こして、真剣な顔でぼくを見下ろした。
「元貴、熱あるんじゃない?」
そう言って額に手を当ててくる。
「ほら、やっぱり!」
昔から、手なんかで体温の数度の違いが分かるもんかって思ってるのだけど、涼ちゃんは慌てたように布団から飛び上がった。
そして、棚に閉まっていた薬箱をガサゴソと漁り、体温計を手に戻ってきた。
「元貴、お熱測って!」
絶対熱なんかないよ…と思いながらも、心配そうな顔をしている涼ちゃんに負けて、ぼくは渋々体温計を受け取り、脇に挟んだ。
ーーpipipipipi
数十秒後。
体温計の音が鳴り、取り出してみると…
「…あ。」
体温計に表示されている数字は【37.3℃】
確かに、少しだけ熱が出ていた。
「ほら〜。やっぱり。」
涼ちゃんは少し自慢気にそう言うと、今度は『大変大変!』と呟きながらパタパタとキッチンへと消えていった。
“熱がある”と発覚してしまうと、通常運転の偏頭痛プラスで具合が悪いような気がしてくるから不思議なもので。
そう言われてみれば、身体がダルい気がする…なんて思っちゃったりなんかして。
「んー…なに?元貴、熱あんの?」
涼ちゃんが騒がしく動いている間も、ずっと目を閉じていた若井が、薄目を開けて、眠そうな声で口を開いた。
「うん。そうみたい。」
ぼくがそう言うと、若井は『そっかー。おいで。』とむにゃむにゃ呟き、グイッとぼくを引き寄せた。
「わっ、ちょ…移っちゃうよ?!」
あっという間に腕の中に閉じ込められたぼくは、慌てて脱出しようと試みる。
「移んないんじゃない?だって、元貴、咳してないし。多分、風邪じゃなくて疲れからきてるんだよ…きっと。」
若井そう言って、ジタバタするぼくを落ち着かせるように背中を優しくポンポンと叩き始めた。
ーー確かに。
若井の言う通り、咳もしてなければ、喉が痛い訳でもないし、ついでに言うとお腹が痛い訳でもない。
よく考えると“病気”と言われる症状は発熱だけ。
そして最近、課題の提出期限に追われ過ぎて、寝不足だった自覚がある。
なので、若井の言う通り、疲れからくるものなのかもしれない。
「…そっか。そうかも。」
素直にそう呟くと、若井は『でしょ?』とどこか得意げに言いながら、またすぐに目を閉じた。
若井の規則正しい寝息に耳を澄ませているうちに、ぼくも少しずつ意識が遠のいていく。
――と、そこへ。
「ちょっとぉ!若井は大学あるんだから起きなきゃでしょっ。」
涼ちゃんがリビングに戻ってきた。
アラームが何度鳴っても起きない若井を叱りながら、片手にはレトロな氷枕を抱えている。
「元貴は今日、大学休めそう?」
ぼくの枕元にしゃがむと、ひょいっと頭を持ち上げて氷枕を差し込む涼ちゃん。
「…うん。今日の講義は休んでも大丈夫そうだから…休もうかな。」
後頭部を支える冷たさと、水の中で氷がカラカラと泳ぐ音。
じわじわと熱が引いていく心地よさに、思わず口元が緩んでしまう。
「ふふっ。氷枕って気持ちいいよねぇ。」
涼ちゃんの笑顔は、薬よりも効くんじゃないかと思うくらい優しい。
「元貴はゆっくり休んで。ほら、若井は起きるよっ。」
そう言って、軽くぼくの頬にキスを落とす。触れた場所だけ、じんわり熱を帯びて離れない。
氷枕の冷たさと頬のあたたかさが同居して、不思議なくらい心地いい。
『やだー!おれも休むー!』と駄々をこねる若井を引っ張っていく涼ちゃんの背中を、まぶた越しに思い描きながら――ぼくは小さく息を吐いた。
・・・
どのくらい寝ていたのだろうか。
目を開けると、さっきまで騒がしかった若井は居なく、視界の端にソファーでPCを操作している涼ちゃんの姿が見えた。
「…涼ちゃん。」
少し身体を起こして小さく呼ぶと、涼ちゃんは画面から目を離し、こちらを見てくれた。
「あ、元貴起きたの?ご飯は食べれそぉ? 」
その問いかけに無言で頷くと、涼ちゃんは『じゃあ、ちょっと待っててね〜』とニコッと笑い、キッチンに消えていった。
また布団に横になり、薄目で天井を眺めていると、カチャカチャと食器の音と共に戻ってくる気配がする。
「お待たせ〜。」
枕元に置かれたおぼんには、お粥とスプーン、それにお茶とお水と、それからお薬。
涼ちゃんは少し照れくさそうに笑いながら、スプーンをひとすくいすくって口元へ差し出す。
「お粥なんて初めて作ったから上手く出来てるか分かんないけど…」
正直、自分で食べられないほど体調が悪いわけじゃない。
けれど、その優しさに甘えて、ぼくはそっと口を開いた。
スプーンを口に含んだ瞬間、ほんのり塩気の効いた優しい味が広がった。
体調が悪いからか、それとも涼ちゃんに食べさせてもらっているせいか、胸の奥までじんわりと温かくなる。
「…どう?」
不安そうにのぞき込む涼ちゃんに、ぼくは小さく頷いてみせた。
それだけなのに、涼ちゃんがふっと安心したように笑う。
その笑顔を見ていると、食欲よりも――もっとこの時間が続けばいい、なんてわがままが生まれてしまいそうだった。
「そういえば、若井は?」
食べさせてもらったお粥を飲み込み、そう聞きながらまた口を開く。
「もう大学行ったよぉ。僕も、三限からだからあと30分くらいしたら出ちゃうけどね。」
「…そっか。」
寂しいなんて思ったら子供っぽいだろうか…?
なんで人って、体調悪くなると人恋しくなるんだろう…。
お粥をペロリと完食したぼくは、お薬まで涼ちゃんに飲ませて貰い、新しく氷を詰めなおして貰った氷枕にゆっくり頭を沈めた。
そして、ぼくのお世話を終えた涼ちゃんが、バタバタと慌ただしく大学へ行く準備し始めたのをチラチラと目で追っていた。
数分後、準備が完了した涼ちゃんがぼくの枕元にしゃがみ込むと、頭ポンポンと優しく撫でてくれた。
「じゃあ、行ってくるね。」
「…うん。」
「帰りスーパー寄って帰るから、欲しいものあったら連絡してね。」
「…分かった。…ねえ、涼ちゃん。」
「ん?」
「…ぎゅうして。」
我ながら子供みたいなお願いだと思った。
けれど、涼ちゃんは驚いた顔をしたあと、すぐにふわりと笑って、そっとぼくの身体を抱き寄せてくれる。
体温が布団越しにじんわりと伝わって、胸の奥にあった寂しさが少しずつ溶けていく。
「……行きたくなくなっちゃうなぁ。」
耳元で小さくそう囁かれて、思わず胸がきゅっと鳴った。
「……ありがと。」
小さい声でそう返すと、涼ちゃんの手がもう一度、優しく背中を撫でてくれた。
その後、名残惜しそうな顔でリビングを離れる涼ちゃんを、布団の中から見送り、ぼくはひとりぼっちになった部屋の中を頭だけ動かしてぐるりと見渡す。
思えば、ここに住み始めて一年以上が過ぎていたけど、ここで一人で過ごすのは初めてだった。
いつも騒がしい…いや、騒がしいのはぼくと若井だけど、その騒がしい片割れが居ない静かな家…
騒がしいぼく達をニコニコと見守ってくれている涼ちゃんが居ないこの家が、いつもと違う家に見えて、胸がぎゅっとした。
臭い事だとは重々承知だけど、ぼくの居場所はこの家そのものじゃなくて、大好きな二人が居るこの家なんだと、改めて思い知らされる。
若井と涼ちゃんが居ないこの家は寂しくて、それはきっと体調が悪いからだけじゃ決してなく…
二人が居ないと、ぼく自身もどこかに消えてしまう…そんな気がしてしまうから。
こんな事言ったら、“重い”って思われちゃうかな…なんて一瞬だけ不安がよぎったけど、目を閉じると瞼の裏に、悶絶してる若井と、キラキラした目でぼくを見つめてくる涼ちゃんの顔が浮かび、思わず笑ってしまった。
二人を思うだけで、寂しかった気持ちが少しだけ消えた気がして、気付けばそのまま眠りについていたーー
・・・
ーーピロン♪
スマホの着信音で目が覚めた。
涼ちゃんにお願いして枕元に置いて貰っていた眼鏡をかけ、画面を覗く。
【なんか欲しい物ある〜?】
涼ちゃんからの連絡だった。
時計を見ると、ちょうど四限が終わった時間。
身体を起こすと、朝のだるさはもう消えていて、熱っぽさも和らいでいる。
ぼくはスマホをタップして返事を送り、乾いた喉を潤すためにキッチンへ向かった。
ダイニングテーブルの椅子に、体操座りのように小さく腰掛けてお茶をちびちび飲んでいると――
ガチャガチャ、と鍵の開く音が聞こえてきた。
(え、もう? 早くない…?)
スーパーに寄っていたら、この時間に帰ってくるのはありえない。
という事は、若井だろうか?
顔を出すと、玄関に立っていたのは――
「…涼ちゃん?」
「あ!元貴!起きて大丈夫なの〜?!」
「うん。ってか、涼ちゃん、帰ってくるの早くない?」
よく見ると、いつものリュックは背負っているけれど、手にはスマホしか持っていない。
買い物をした様子なんてどこにもない。
「あんな連絡貰ったら、買い物なんか行ってられないよ〜。」
涼ちゃんが掲げたスマホには、ぼくが送ったメッセージが表示されていた。
【何にもいらないから早く帰ってきて】
「寂しかったの?」
「…うん。」
「ぎゅうしていい?」
「…いいよ。 」
靴を脱ぐ間も惜しむように、涼ちゃんは玄関で大きく腕を広げる。
何度もハグはしてきたのに、改めてそう聞かれると、不思議と胸が熱くなる。
ぼくはとことこと近づいて、そっとその胸に飛び込んだ。
「…おかえり。」
「ふふっ。ただいま〜。」
ぼくがぎゅっとすると、涼ちゃんも優しくぎゅっと返してくれる。
それだけで、空っぽだった心が一気に満たされていく気がした。
「…涼ちゃん、なんか熱くない?」
抱きしめたまま感じる温度が、いつもより高い。
耳を澄ますと、呼吸もどこか荒い気がした。
「あははっ、走ってきたからかなぁ。 」
「え、走ってきたの?」
「うんっ、元貴に早く会いたくて。」
不意打ちみたいに真っ直ぐな言葉に、胸の奥がじんわり熱くなる。
「…ふふっ。ありがと。」
それ以上は何も言えず、ただ涼ちゃんの胸に額を預けた。
少しだけ早いその鼓動と、背中を撫でる手の温かさに包まれていると、時間の感覚が少しずつ遠のいていく。
言葉も要らない。
このままずっと、こうしていられたらいい――
そんな子供じみた願いが、胸の奥で密かに膨らんでいった。
……どれくらいそうしていただろう。
涼ちゃんの胸に額を預けて、少しずつゆるやかになっていく鼓動を聞いているうちに、ぼくは時間を忘れていた。
そのとき――
ガチャガチャ、と玄関の鍵が回る音がした。
「もうー!涼ちゃんおれに…って、うわっ!何してんの?!」
若井の賑やかな声と共に、ドタバタと玄関に現れたのは若井だった。
その場に流れていた空気を一瞬でぶち壊すような騒がしさに、ぼくと涼ちゃんは思わず顔を見合わせる。
「ちょっとー!おれに買い物押し付けてそれはズルくない?!」
見ると、若井は両手いっぱいにビニール袋をぶら下げていて、肩で息をしている。
「だってぇ、元貴が寂しいって言うからさぁ。」
涼ちゃんがさらりと言うと、若井は『ぐぬぬ…』と顔をしかめ、ぼくを睨む。
「おれだって元貴とハグしたいし!」
その場で地団駄を踏む若井。
そして、両手の荷物を強引に涼ちゃんへ押し付けた。
「次はおれの番!涼ちゃんはこれ運んどいて!」
「はいはい。」
苦笑いしながら荷物を受け取る涼ちゃんを横目に、若井は大股でこちらへ歩み寄ってくる。
「はい。」
涼ちゃんがキッチンへと消えると、若井はバッと手を広げた。
「…もう、仕方ないなあ。」
ぼくはそう言いながら、“渋々だから”という雰囲気を出しながら若井の背中に腕を回した。
…本当はそんな事思ってないのだけど。
「ただいま。 」
「おかえり。」
「あんまり涼ちゃんばっかに甘えてると、おれ…拗ねるからね。」
「…拗ねるの?」
「うん、拗ねる。」
「ふふっ、分かった。」
ぐりぐりと若井の首元に顔を埋めると、若井のぼくを抱きしめる力が強くなった。
少しだけ苦しいけど、“おれの!”と言われているようで、胸の奥がきゅんとする。
暫くそうしていると、全然部屋の中に入ってこないぼく達に痺れを切らした涼ちゃんがキッチンの扉から顔を出した。
「お二人とも〜。いつまでそうしてるの?イチャつくならお部屋の中でしなさいよぉ。」
そう言うと、『あ!焦げちゃう!』と言ってキッチンに戻っていった。
ぼくと若井はお互い顔を見合わせ、笑い合うと、手を繋いで少しだけ焦げた匂いが漂うキッチンへと入っていった。
キッチンに立つ涼ちゃんと、リビングのソファーで寛ぐ若井。
ぼくはいつの間にか、自然とその光景を眺めていた。
これがぼくの居場所。
騒がしくて、でも温かくて、安心出来る…
いつもの三人の世界が目の前に広がっていた。