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ミシェルが原因不明の体調不良で入院をしてから2週間が経過したが、ミシェルの容体は一進一退を繰り返していた。
血液検査などのデータの数値が改善する日もあれば突如悪化する日もあり、その理由の不明さに主治医のリアムだけではなく、他のドクターやナースらも頭を抱えていた。
乳児に行える検査のすべてを行い、その結果から治療法を選んでいるが、昨日は改善した数値が今朝になると悪化している理由が分からず、ミシェルを担当しているナースらは口に出しはしないが、乳児専門の高度な医療を行える病院への転院を考えた方が良いのではという考えが頭を過るようになっていた。
それは主治医であるリアムも同様で、己の診断に何か誤りがあるのではないか、何か見落としている事はないかと、連日病棟に顔を出してはミシェルの件についてスタッフらと話し込んでいた。
その様子を遠近それぞれの場所で見聞していた他の科のドクターらは、この病院に入ってまだ1年足らずのリアムが初めて迎えた深刻な試練にどのように立ち向かうのかを興味深げに観察していたり、中には潜めた声ながらもこれで失敗をすれば評判が下がるといった悪質なものも病院内を小さな池か何かのように回遊し始めていた。
リアムが苦戦している、その情報が脳神経外科にまでやってきた時には患者である乳児はすでに高度な医療ができる提携病院へと転院した、リアムは随分と周囲に当たり散らしていたという、彼の事を良く知る者からすればほぼすべてが嘘だとわかる尾鰭を自慢げにひらつかせていて、患者の容体の報告を受けて今日は仕事を切り上げてもいいなと思案していた慶一朗が興味無さげにふぅんと返事をするが、それを運んできたアンディが友人ですよねと少し困惑した顔で慶一朗を見て微苦笑する。
ナースステーションで他のスタッフにたった今目を通していた書類を差し出し、気になる事があるからCT画像を出してくれと指示をするが、アンディの言葉に色素の薄い目を丸くした後、はん、と何かを侮蔑するような息を吐き己が指導している研修医へと向き直る。
「アンディ、彼と仕事をしたことは?」
「ありません」
「プライベートで飲みに行ったことは?」
慶一朗のいつもと変わらない飄々とした声にアンディが一緒に仕事をしたこともなければプライベートで出かけたこともありません、仕事終わりに飲みに行ったことすらありませんと返すが、研修医としてずっと指導を受けひそかに敬愛している慶一朗の目に一瞬浮かんだ強い光を見逃してしまう。
「じゃああいつのことを何も知らないんだな?」
「そう、ですね」
「人の勝手だけどな、知らない人のことをあまりとやかく言わない方が良いと思うぞ」
友人なら庇う気持ちから、敵なら貶める気持ちからその話題を口に出したくなるのは理解できるが、そのどちらでもないのならお口にチャックをしておけと、唇をなぞるように人差し指を左右に移動させて口の端を持ち上げる。
「そうですね・・・」
「ちょっと部長の所に行ってくるから何かあれば呼び出してくれ」
「はい」
それ以上の話をここでするつもりはないと言いたげに立ち上がり、一つ伸びをして他のスタッフにも聞こえるようにテイラー部長の部屋にいることを再度伝えると、ナースステーションを軽快な足取りで出ていく。
その細い背中を見送ったアンディだったが、二人の会話を聞いていたスタッフが安心したような溜息を吐いたことに気付き、どうしたと首を傾げれば、いつドクター・ユズ謹製の爆弾がいつ爆発するか心配だったと肩を竦められて目を丸くする。
「アンディ、さっきドクターも言ってたけど、知らない人のことをあまり悪く言わない方が良いわ」
あなたも知っているとは思うけれど、ドクター・ユズとドクター・フーバーは仲が良いのよと教えられ、それぐらい知っていると少しムッとした顔で返したアンディに返ってきたのは呆れたような溜息だった。
「じゃあ簡単な話。あなたはあなたの友人を知らないからと悪く言われて許せるかしら?」
ボードを手にしたナースの呆れたような声に大きく目を見張ったアンディは、己が口にした話題は慶一朗にとって最悪のものだったと教えられたことに気付いて蒼白になる。
「どんな立場の人でも友達を貶されたり悪口を言われていい気がする人はいないと思うわよ」
あなた、友達がいないわけじゃ無いでしょうと、研修医としてはある程度尊敬するが人としてどうなのかと問われている気になったアンディは、戻ってきた慶一朗が許してくれるだろうかと蒼白な顔のまま呟くが、それに対しては誰も返事をしなかった為、自らの言葉をどのように許してもらおうか己一人で考えるしか無いのだった。
廊下をいくつか曲がり部長であるテイラーがいる部屋の前に到着した慶一朗だったが、角を曲がるたびに廊下の壁を殴る事で腹の底でふつふつと湧き立つ感情を堪えていた。
ドアをノックしどうぞと長閑な声が返ってきた瞬間、限界が来たようにドアを押し開け、室内のデスクで何やら書類に記入していたテイラーが文字通り飛び上がるような大声を出す。
「ジャック! あのクソの役にも立たない研修医を何とかしろ!!」
入室するなり怒鳴られてしまったテイラーはただ驚きに目を丸くし、何をそんなに興奮しているのか分からない、事情を聞かせてくれと苦笑しつつソファを指し示すと、クソ、腹が立つ、たかが研修医のくせにと腹の虫が治まっていないのか、ソファに勢いよく腰を下ろして足を組む。
「研修医というと・・・アンディか?」
「ロクに何も出来ないくせに人の欠点をあげつらうことは出来るみたいだ」
脳神経外科医を目指しているのか知らないが、良く知らない人のことをあげつらうドクターになんか俺は身を委ねたくないと、苛立たしさの頂点でやり場のない感情を堪えようと爪を噛もうとした慶一朗にテイラーが心底驚いたように目を丸くするが、何をそこまで怒り狂っているんだと問いかけそうになってふと何かに気付いたように口を閉ざす。
脳神経外科の部長としてドクターたちを統括している己の耳にまで届いた、他科のドクターが苦戦しているとの噂を思い出して納得したテイラーは、あまり美味くないがコーヒーを飲むかと問いかけると、炭酸水とぶっきらぼうな声が返ってくる。
この怒り狂っている時に口から発せられるぶっきらぼうな声とドイツ語の罵詈雑言はテイラーにとってはすっかり見慣れた光景だったために何も気にせずにデスクの受話器を取り上げて一言二言頼みごとをすると、まるで拗ねているかのようにそっぽを向いてソファの背もたれに肘をついている慶一朗の向かいに腰を下ろす。
「アンディにドクター・フーバーのことを悪く言われたのか?」
「何も知らないくせに」
一緒に仕事をしたこともない研修医ごときが何を偉そうなことを言っていると、親しい人たちの前でしか見せない不遜な顔で笑い飛ばした慶一朗だったが、あいつごときに馬鹿にされるリアムじゃないと呟き、苛立たしそうに前髪をかきあげる。
「お前の大切な人だしな。馬鹿にされると腹が立つな」
「・・・」
テイラーはリアムと慶一朗が付き合っていることを知っている数少ない人間であり、慶一朗の友人でもありそして最大の理解者でもあった。
そんな彼にお前が腹を立てる気持ちは理解できると頷かれて少しだけ苛立ちが治った時、ドアがノックされたことに気付いたテイラーが慶一朗に目配せをする。
「失礼します」
「ああ、ありがとう」
二人分の飲み物を運んできてくれた女性にテイラーがにこやかに礼を言い、慶一朗も少しだけ会釈をする余裕が芽生えたようで、水をわざわざありがとうと礼を言い、相手もにこやかに頷いたのを確かめると水のボトルを手に取る。
「・・・リアムが担当している乳児の容体が安定しないらしいね」
「俺もそう聞いた。改善の兆しが出ているのに次の日にはまた悪くなっているらしい」
ミシェルという乳児にかかり切りになっている為にリアムが帰ってくる時間も遅く、今まで当たり前のように出来ていた事が出来なくなったと呟くと、慶一朗の言葉にテイラーが微苦笑する。
「ケイ、前にも言ったが、プライベートと仕事はちゃんと別けるんだ」
「分かっている。それに対して腹を立てているんじゃ無い」
仕事が忙しくて帰宅が遅いことに腹を立てているわけじゃ無いと、己自身どちらかと言えば仕事人間の為にその事情に関して不満を訴えている訳じゃないと少しだけ慌てたように言い募る慶一朗にテイラーも分かっていると頷き、何に腹を立てているんだと問いかけると、リアムのことを良く知りもしない癖にここぞとばかりに嘲笑する存在に腹が立つと、さっきよりは幾分落ち着いた声で慶一朗が己の本心を吐露すると、確かにそれは腹が立つとテイラーも同意をする。
「私情を抜きにしてもリアムは優秀だと思う。それは患者やその家族からの声を聞けば分かる」
この病院で評判の良い医者の名前をあげろと言われれば必ず入る程だが、それは何も患者とのコミュニケーションが上手というだけではなく、診断の正確さが根底にあるはずだと天井を見上げながら溜息を吐いた慶一朗は、他科の己の耳にすら入る良い噂を思い出し、スタッフからの評判も良い、悪い噂はあまり耳にしないと目を細めて呟くとテイラーも確かにそうだと同意をする。
「そのリアムが手を焼いている患者だ」
他のドクターらも一緒に検討しているだろうが本当に原因が分からないのかと、流石に医師の顔でテイラーを見つめた慶一朗だったが、ドクター・マーティンは何か言っていないのかと更に問いかけると、実はこの後マーティンと話をすることになっていると教えられてナイスタイミングと口笛を吹く。
「普通ならありえないとマーティンも頭を抱えているようだった」
「本当に、原因はなんだ」
「マーティンにも聞いておこう」
「ああ。教えて欲しい」
リアムに直接聞いてもいいのだろうが、さっきも言ったようにここのところロクに会話をしていないと、いつもならどちらかの家で同じベッドで眠って朝を迎えているはずなのにそれもできていない現状に歯痒さを感じている慶一朗が舌打ちをする。
「あいつが今頑張っているから俺も我慢しているけど・・・」
自宅でもそうだが、職場でもリアムがランチタイムにカフェに来ない為、何を食べても何の味もしないと慶一朗が肩を竦め、以前のようだなとテイラーに苦笑されてしまう。
「そうだな・・・あいつと付き合うようになってから食い物に美味いものがあるって知った」
双子の兄に良くお前はコーヒーとビールで出来ていると揶揄われるが、あながち間違っていないんじゃないかと今になってそう思うようになったとしんみりとした声を出せば、お前をそこまで変えたリアムの存在は偉大だなぁとテイラーが友人の変化を見守る優しい顔になる。
「お前の健康維持のためにも彼が担当しているミシェルの不調の原因を早く突き止めないといけないな」
「・・・そう願う」
一頻り文句を垂れ流したことで気持ちがスッキリした、マーティン部長との話し合いで何か見えてくることを祈っていると心の底から願いながらソファから立ち上がった慶一朗は、リアムと少し話をして見るかと猫か何かのように伸びをし、それもいいなとテイラーが頷く。
「・・・ちょっと顔を出してくる」
「そうしてやりなさい」
こちらはこちらで話をしておくから、お前は現場に顔を出してお前の大切な人を労ってやれと背中を押されて素直に頷いた慶一朗は、文句を聞いてくれてありがとうとこれまた素直に礼を言い、さっきは蝶番を外す勢いで開け放ったドアを今度はそっと開けてテイラーの部屋を後にするのだった。
ミシェルの不調の原因が分からずに重苦しい溜息を吐いたリアムは、診察室のドアがノックされた事にも気付かなかったが、そっとドアが開いた後、大丈夫かと声を掛けられて椅子の上で飛び上がりそうになる。
「ケイ!?」
「今大丈夫か?」
何か考え事をしているんじゃないのかと問いかけながら診察室の簡易ベッドに腰を下ろした慶一朗は、どう切り出そうか悩んでいる顔で一度天井を見上げるが、リアムの口からお前の耳にも入っているのかと自嘲に染まる声が流れ出した事に気付いて驚きに目を見張ってしまう。
「リアム?」
「情けないな・・・」
こんなことは今まで初めてだが、本当にミシェルの不調の原因が分からないと、今まで見た事がないような顔で呟くリアムに一度口を開いた後閉ざしてしまった慶一朗だったが、こんな時どう言えばいいか分からない俺の方が情けないと苦笑しつつリアムを正面から見つめる。
「できることは全てしているんだろう?」
「そのつもりだ」
「ああ。・・・ミシェルの家族は面会に来ているのか?」
「毎日では無いけど、来ているようだな」
俺は最初の診察の時以来会ったことはないと自嘲するリアムの言葉に慶一朗が何かが気になるのか、主治医のお前が乳児の家族に会っていないのかと問いかけ、ああと頷かれる。
「・・・何だ、何か引っかかるな」
「ケイ?」
この時慶一朗が覚えた違和感は診察時にリアムが抱いた妙な感覚と同じだったが、どちらも明確にそれを口に出す事が出来ない程あやふやなものだった為、いや、確信が持てないからと慶一朗が己の言葉を否定し、リアムも口を閉ざしてしまう。
奇妙な沈黙が診察室に流れ、何かを言わなければと慶一朗が口を開こうとした時、ポケットに入れていた連絡用の携帯が着信を伝える。
「ハロー」
『ドクター・ユズ、先ほどのCT画像が用意できました』
「あー、ああ、ありがとう、すぐに戻る」
アンディと話をしていた時に画像を出してくれと頼んでいたことを思い出した慶一朗は、リアムがノロノロと見つめてくる事に気付いて周囲を二、三回見回したかと思うと、リアムの大きな手をそっと掴んで掌に口付ける。
「ケイ・・・」
「今回のことが落ち着いたらキャンプに行こう」
お前がお前に戻れる場所に、良ければ俺も連れていってくれと誘いの言葉を掛けた慶一朗は、驚くリアムが何かを言う前に簡易ベッドから立ち上がり、邪魔をしたと手を上げて診察室を出ていくのだった。
だからこの後、珍しく慌てている様子のテイラーから聞かされるまでリアムの身に何が起きたのか知ることはないのだった。
家の中という第三者の目が無い場所でしかスキンシップをしてこない慶一朗からの掌のキスにしばらく呆然としていたリアムだったが、そこから暖かな力が湧き起こってくるような気持ちになり、気合を入れるように己の両頬を一つ叩く。
「よし」
様々な手を打ったがまだ何か出来ることがあるはずだ、何がある、己は何を見落としているんだと、慶一朗のキスから力をもらって己の背中を蹴り飛ばすように呟いたリアムは、何か重要なことを見落としているのでは無いかとカルテやナースらが作ってくれる報告書に目を通し始める。
先ほど慶一朗が驚いたようにリアムはミシェルの父親であるアダムスには診察以来会っておらず、面会時の様子を報告で知る以外は出来ていなかった。
面会の日時を記されたページを読み、三日に一度のペースでアダムスが来ていること、その翌日にミシェルの容体が悪化している可能性が高い事に気付き、初めて診察した時に抱いた違和感とが綯い交ぜになってリアムの中に一つの単語を産み落とす。
アダムスが面会に来た時にミシェルに何かしているのではないか。
調子がいい時はミルクを沢山飲む事からも、生まれつき食が細かったりといったミシェルの体質は疑っていなかった。
そんなミシェルに父親が面会に来た後必ず調子が悪くなっているのだとすれば、考えられることはひとつだった。
その考えに到達した瞬間、集中していた身体がびくりと揺れ、呼吸を忘れていたような顔でリアムが胸を喘がせる。
考えたくはないがありえないことではなかった。
己が考えに考えを尽くした結果到達した結論に冷や汗が流れてしまうが、一つの可能性も見逃せない思いから息を吐き、病棟のスタッフらにたった今思い浮かんだ事を伝えようとデスクから立ち上がって診察室のドアを開けて苦笑する。
どうやら己でも驚くほど集中していたようで、気がつけば外来から人がいなくなる時間になっていた。
そろそろ日も沈みそうな時間、流石に診察をこんな時間から受ける人は少ないために静まりかえっている待合室を通って病棟へと向かう廊下へとリアムが足を向けた時、背後からすみませんがと呼び止められて何気なく振り返ると、一瞬目眩を覚えてしまいそうになる。
「・・・レイラ・・・?」
「リアム・・・!?」
振り返ったリアムの視界には何かに追い詰められているような切羽詰まった表情の元恋人、レイラがいて、お互いにその名を呼んだきりどちらも絶句してしまう。
どうしてここにほぼ一年前に別れた彼女、レイラ・シモンズがいるのだろうか。
その疑問が脳内で渦を巻き、その強さにリアムから言葉を奪い去ってしまったようだったが、先に我に返ったらしいレイラがリアムのシャツの胸元を掴むように詰め寄り、私の娘に会わせてと悲鳴じみた声をあげる。
「きみの、娘・・・?」
「そうよ! ここに入院しているってケヴィンから聞いたわ!」
そして、いくら俺が懇願しても頑としてミシェルに会わせてくれないとも言っていたと、リアムにしてみれば耳を疑うようなことを叫ばれ、ちょっと待ってくれとしか言えなかった。
「ミシェルの母親は君なのか?」
どれだけ連絡を取っても繋がらなかった彼女の母はきみなのかと、リアムが驚きに声を大きくしてしまうと、周囲にいたスタッフらが何事だと二人を見て尋常じゃない雰囲気に近寄らない方がいいとそそくさと離れていってしまう。
「そうよ! 私のミシェルを返して!」
「返してって・・・ミシェルの容体が安定しない。退院なんてさせられない」
レイラの剣幕にたじろぎそうになるリアムだったが、自ら感じている不調や痛みを言葉に訴えることができない幼いミシェルを今のまま退院させるわけにもいかず、無理だとレイラを見下ろして告げると、どうして返してくれないのと叫ばれてしまう。
「返してくれないのなら訴えてやるわ!」
どうせあなたを振った私が憎くてミシェルを返してくれないんでしょうと叫ばれ、カッと目の奥が真っ赤に染まったリアムは、そんなことがあるかと強い口調でその言葉を否定する。
「そんな訳があるか!」
「!!」
リアムの強い口調の声は廊下に響き渡り、その声に少し離れた場所にいたテイラーとマーティンの耳にまで届いてしまう。
顔を見合わせた二人が何事だと足早にリアムの元に向かった時、蒼白な顔でお願いだからミシェルに会わせてとリアムの胸倉を掴む女性と、虐待の可能性があるのに返せるはずがないと女性の手首を握りながら目を釣り上げる横顔が見え、さすがに尋常ではない様子から二人同時に駆け寄って間に割って入る。
「ドクター・フーバー、どうしたんだ?」
「大丈夫ですか?」
マーティンがリアムの前に立って何があったんだと事情を問いかけている間にテイラーが少し離れた場所へと移動させてミシェルに会わせなさいよと興奮気味に叫ぶ彼女を何とか宥めようと手を尽くすが、己の娘に会えない原因がリアムにあると思い込んでいるレイラにテイラーの声は届かなかった。
「ちょっと、離して! ミシェルに会わせなさいよ! あの医者をクビにしてよ!」
ここのスタッフなのでしょう、早く何とかしてと叫ぶレイラにテイラーとマーティンが顔を見合わせるが、容体が安定していないのに退院なんて認められない、それよりも今まで面会に来てくれと何度も連絡をしていたのにそれを無視するだけではなく大騒ぎをするなんてどういうつもりなんだと、何度か深呼吸を繰り返した後にリアムがレイラを睨みつけると、そんな連絡なんて受けてないわよと叫び返される。
「ドクター・フーバー、少し話をしよう」
「・・・はい」
レイラとリアムの視線がぶつかる場所に割り込んだマーティンが目を細めながら私の部屋に来るようにと告げ、テイラーに一つ頷いて踵を返す。
「ミス、詳しい話を聞かせてもらえますか?」
興奮気味のレイラに穏やかに話しかけたテイラーは、近づいてくるセキュリティのスタッフに気付き、病院で問題が発生した時に動いてもらうスタッフに連絡を取ってくれと伝えると、話が終われば必ずミシェルに会わせます、だから今はこちらに来てくださいと丁重な言葉ながらも逆らえない笑顔で彼女を促す。
「あんたなんか訴えてやる!」
覚えていなさいと、セキュリティのスタッフとテイラーと一緒に立ち去る直前に足を止めたレイラが振り返り、マーティンの部屋に向かおうとしていたリアムに向けて憎しみのこもった怒声をぶつけるが、リアムは拳を握って覚えた感情の全てを堪えるだけで特に何も言い返さないのだった。
それぞれ別の廊下へと歩いていく二人を遠巻きに見つめていたスタッフだったが、どちらの背中も見えなくなると同時に、己が見聞きした場面から想像を膨らませてひそひそと事件について語り、それがまた噂となって翌日病院内を駆け巡るのだった。