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「なつ様、朝でございます。お目覚めください」
重厚な遮光カーテンを開けると、隙間から差し込んだ鋭い朝光が、広大な寝室のペルシャ絨毯を白く染めた。
最高級のシルクシーツに包まれた主人は、眉をひそめて小さく唸る。
寝起きの悪さはいつものことだ。
俺――らんは、高校の制服のまま、ベッドの傍らに音もなく膝を突いた。
「……らん、うるさい。カーテンを閉めろって言ってるだろ」
低く、不機嫌極まりない声。
シーツの隙間から覗いたのは、目が覚めるほど鮮やかな金髪だ。
毛先には、生まれ持った少し尖った赤色が混じっている。
のそりと顔を上げたなつ様の、ルビーのように深く煌めく赤い瞳が、俺を鋭く射抜いた。
その冷徹な視線に、俺の背筋は心地よく震える。
なつ様。
俺が高校一年生の春から専属を務めている、この屋敷の若き主人。
この世のものとは思えない美貌、莫大な資産、そして何より、一度見ただけで何でも完璧にこなしてしまう恐ろしいほどの天才肌。
努力という言葉を知らない彼は、いつも退屈そうに世界を見下ろしている。
なつ様がベッドから足を下ろす。
俺はすかさず、温めておいたスリッパをその綺麗な足元に滑り込ませた。
「おい、らん。今日のネクタイ、お前が選んだのか」
「申し訳ございません。なつ様の今日のラッキーカラーが青でしたので、つい。お気に召しませんでしたか?」
「……べ、別に気に入ったわけじゃないからな。お前がそこまで言うなら、つけてやるだけだ。勘違いするなよ」
ふい、と顔を背けるなつ様。
口を開けば意地悪で厳しい言葉ばかりをぶつけてくるけれど、その奥に見え隠れする、素直になれないツンデレな態度が愛おしくてたまらない。
俺を困らせるような無理難題を言うのも、すべて俺を信頼してくれているからだ。
パタン、と寝室の重い扉が閉まる。広い廊下に二人きりになった瞬間、俺たちの間の「空気」が一変した。
「なっちゃん!今日の寝癖、結構ひどかったよ」
「うるさいな~。誰のせいで夜更かししたと思ってるんだ。お前が昨日、新しい紅茶の茶葉の選定に付き合えって言ったんだろ」
さっきまでの冷徹な主人の仮面が剥がれ落ち、不満げに頬を染めた「高校二年生の男の子」の顔がのぞく。
二人きりの時だけ許された、特別な特権。
俺が「なっちゃん」と呼び、タメ口で話すこの時間が、俺にとって何よりも甘美な報酬だった。
「ごめんごめん。でも、なっちゃんが選んでくれた茶葉、すっごく良い香りだった。やっぱりなっちゃんは何を選んでも一級品だね!」
「ま、まぁな……//俺を誰だと思ってる」
「ふふっ、そうだね~っ」
「……//、おい、早くネクタイ締めろ。手が止まってるぞ」
「はいはい、お坊っちゃま」
至近距離でなっちゃんのシャツの襟を整え、ネクタイを結ぶ。
整った顔立ちがすぐ目の前にあって、彼から香るほのかなシトラスの香りが鼻腔をくすぐる。
すると、なっちゃんは俺の顎を、少し強い力でぐいと押し上げた。
そのままぐっと顔を近づけられ、俺は思わず息を呑む。
赤い瞳が、俺を完全に支配するように見つめてくる。
「お前、今日も学校で色んな奴に愛想振りまくんだろ。誰にでも優しい『良い子』のらん」
「え?そりゃ、クラスメイトとは普通に仲良くするよ?」
「気に入らない。お前は俺の執事だろ。俺だけを見ていればいいんだ。どうして他の奴にまでその笑顔を分ける必要があるんだよ。……お前がどうしてもって言うなら、俺だけを見てる特別なご褒美を、やらなくもないけど?」
いたずらっぽく、だけど有無を言わせない強引さで、なっちゃんの唇が俺の耳元に寄せられる。
低い声で囁かれ、胸の奥がトクンと激しく跳ねた。
なっちゃんが時折見せる、この強い独占欲とリードの仕方。
彼なりの、俺への熱い「お気に入り」の示し方なのだと、この時の俺は純粋に信じ込んでいた。
「俺が誰に優しくしても、一番尊敬してて、一番大好きなのはなっちゃんだよ。主人は貴方だけ」
「……ば、馬鹿かお前は! 恥ずかしいセリフを真顔で言うな!」
急に真っ赤になって顎を離し、なっちゃんは足早に先に歩き出す。
俺はその広い背中を追いかけながら、翻弄される心地よさに胸をいっぱいにしていた。
俺らが通っているのは、私立の進学校。
そこでもなつ様――いや、なっちゃんの完璧さは際立っていた。
学業は常に学年首席。スポーツをやらせても、少し手本を見ただけでレギュラー陣を抜き去ってしまう。
金髪に赤のメッシュ、そして赤い瞳という鮮烈な容姿も相まって、誰もが彼を羨み、敬意を込めて遠巻きに見つめていた。
なっちゃんはそんな周囲を「退屈だ」と一蹴し、学校では常に冷徹なオーラを放っている。
対して、俺は誰とでも波風立てずに付き合うタイプだった。
「執事」という職業柄、人の機微に聡いこともあって、クラスの連中からはよく相談事をされたり、頼み事をされたりする。
「らん、次の移動教室、一緒に移動しようぜ!」
「らんくん、この前のノート、見せてくれてありがとう!」
昼休み、俺の席の周りには自然と人が集まっていた。
俺は誰にでも同じように微笑み、親切に接する。
それが俺の生き方であり、なっちゃんの執事として恥ずかしくない人間であるための処世術でもあった。
ふと、教室の特等席――窓際の、一番後ろの席に目をやる。
なっちゃんは頬杖をつき、つまらなそうに手元のタブレットを眺めていた。
だが、その赤い瞳が、時折鋭く俺のほうへ向けられていることに気がつく。
目が合うと、なっちゃんはあからさまに不機嫌そうな笑みを浮かべ、フンと鼻を鳴らしてすぐに視線を逸らした。
(あ、また拗ねてる……後で機嫌取りに行かないとな)
そんな風に、軽く考えていた。
なっちゃんは俺を愛してくれている。
その愛は少し強引で、厳しくて、独占欲が強いけれど、それは彼が「完璧な主人」だからだ。
(俺がしっかり支えてあげなきゃっ)
しかし、その関係のバランスは、ある日の放課後、急速に崩れ去ることになる。
文化祭の準備期間。
俺はクラスの実行委員に頼まれ、夕方遅くまで残って買い出しの仕分けや書類の整理を手伝っていた。
「らん、本当に助かったよ! お前がいなかったら終わらなかった!」
「いいよ、これくらい。じゃあ、みんな気をつけて帰ってね」
教室に残っていた最後のクラスメイトを見送り、俺は大きく息を吐いた。
時計の針は、すでに午後七時を回っている。
いつもなら、なっちゃんと一緒に屋敷の送迎車で帰る時間だ。
今日は「先に帰っていてください」と伝えてあったが、なっちゃんは今頃、屋敷の部屋で退屈しているだろうか。
急いで片付けを終え、誰もいない薄暗い廊下を歩く。
その時、生徒会室の前に、見覚えのある人影が立っているのが見えた。
「……なっちゃん?」
常夜灯の青白い光に照らされていたのは、先に帰ったはずのなっちゃんだった。
壁に背を預け、俯いている。
その姿は、いつも自信に満ち溢れている彼とは、どこか違って見えた。
「なっちゃん、どうしてここに? 先に帰っててって言ったのに……」
俺が駆け寄ると、なっちゃんはゆっくりと顔を上げた。
その瞬間、俺は息を呑んだ。
いつも冷徹で、傲慢で、すべてを見下ろしているはずのなっちゃんの赤い瞳が――見たこともないほど暗く、激しく、そして酷く歪んで揺れていた。
「遅い」
ぽつり、と。
掠れた声が、静まり返った廊下に響いた。
「遅すぎる、らん。お前は、俺をどれだけ待たせれば気が済むんだ?……別に、寂しかったわけじゃない。ただ、お前が俺の命令を無視したのが、気に入らないだけで……っ」
強がろうとする言葉とは裏腹に、その肩は微かに震えている。
なっちゃんが一歩、足を踏み出す。
その圧倒的な攻めの気配に押され、俺は思わず後ろに下がった。
背中が冷たい壁にぶつかる。
なっちゃんは俺の両脇にドン、と手を突き、退路を完全に断った。
至近距離で見つめ合う。
彼の呼吸は荒く、身体が微かに震えていた。
「なっちゃん……?」
「お前は、俺の執事だろ……?俺が、お前を愛してやってるんだ。それなのに、どうして他の奴を見る?どうして俺を置いていくんだよ……っ」
ツンと尖った態度で隠しきれない、狂おしいほどの執着。
プライドの高い彼が、必死に俺を繋ぎ止めようと、狂気を含んだ瞳で俺を激しく責め立てる。
それは、あまりにも歪で、悍ましいほどの『依存』の証明だった。
「なっちゃん、落ち着いて。俺はどこにも行かないよ。ただ、クラスの皆が困っていたから、少し手伝っていただけで――」
「皆、皆、皆……っ!お前はいつもそうだ!俺以外の奴にも優しくして……っ。俺がお前にどれだけ特別にしているのか分かってんのか!?二人きりの時はタメ口をきいて、名前を呼ぶことも許してやってるのに……っ、どうしてお前は俺だけを特別に扱わないんだよ!」
なっちゃんの叫びが、薄暗い廊下に反響する。
その端正な顔は、嫉妬と不安で無様に歪んでいた。
いつもなら何でも簡単に手に入れ、世界を退屈そうに眺めているはずの天才が、俺というたった一人の存在に振り回され、ボロボロになりながら縋り付いてきている。
その瞬間――俺の胸の奥で、何かがパチンと弾けた。
(あぁ……そっか)
恐怖ではなかった。
困惑でもなかった。
湧き上がってきたのは、脳の奥が痺れるような、ぞくぞくと背筋を駆け上がる強烈な『快感』だった。
何でもできる完璧な主人が。
誰のことも必要としないはずの冷徹な天才が。
俺のせいで、こんなにも狂いそうになっている。
俺のせいで、こんなにも醜く、美しく、泣きそうな顔をしている。
「俺の主は……俺を、こんなにも求めてくれているんだ」
今まで『全方位への親切』で覆われていた俺の心が、なっちゃんの歪んだ愛によって、一瞬で剥ぎ取られていく。
他の誰かに優しくすることなんて、どうでもよくなった。
この完璧な男を、自分だけの存在で満たし、自分なしでは生きていけない身体にしてしまいたい。
そんな恐ろしい本能が、一気に目を覚ました。
「なっちゃん……」
俺の瞳に灯った暗い歓喜に気づいたのか、なっちゃんはハッとしたように目を見開いた。
しかし、すぐにその赤い瞳に暗い光を取り戻し、俺の頭を掴んで強引に顔を上向かせる。
「……何その目。お前、俺がこんなに怒ってるのに、嬉しそうにしてるわけ?」
なっちゃんは歪んだ笑みを浮かべ、そのまま俺の唇を奪うように、荒々しく、だけどどこか必死に押し込んできた。
唇に痛いほどの衝撃が走り、彼の熱い舌が口内を蹂躙していく。
なっちゃんに強引にリードされ、頭が真っ白になるほどの快感が全身を駆け巡る。
俺は抵抗することすら忘れ、彼のジャケットの胸元を掴んで、その激しい愛にただただひれ伏した。
ようやく唇が離れたとき、なっちゃんは俺の顎を親指で乱暴に拭い、低く、命令するように囁いた。
「お前が……お前が悪いんだからな。二度と俺を置いていくな。俺以外の奴に、優しくするな。……これからは、俺のことだけ考えて、俺に溺れてろ」
「……うん、なっちゃん。俺、なっちゃんのことだけを見るよ。なっちゃんだけの執事になるっ♡」
息を切らしながらそう答えると、なっちゃんは満足そうに鼻を鳴らし、今度は愛おしそうに俺の身体を強く抱きしめてきた。
その背中に回した俺の手は、もう二度と、彼を引き離すことはないと誓うように力がこもる。
繋がれた二人の影は、青白い常夜灯の下で、まるで一つの巨大な怪物のように、歪に融け合っていた__
to be continued__
後 半 ➭ おもち。 様 の 垢 へ
合 作 相 手 ➭ おもち。 様
今 回 は 合 作 あ り が と う ご ざ い ま し た !
頑 張 っ た の では ~ と く れ た ら 嬉 し い で す っ
ば い ち ゃ ~ !
コメント
3件
🌾失っ.ᐟ.ᐟ …うますぎやしませんかおねぇさん。 赫桃らぶらぶぐふふ(((((殴 ほんとにあてぃしなんかが後編でいいのか心配になってきた… オチは決まってるけど途中がむずかちっ….ᐟ.ᐟ ま、頑張るよぉ.ᐟ.ᐟ
わあ、読み終えました……! 第1話からもう、なっちゃんの歪んだ独占欲と、それに応えるらんくんの豹変――これ、すごく好みです。特にラスト、なっちゃんが泣きそうな顔で「遅い」って言うシーン、天才肌のプライドと不安が混ざっててぞくぞくしました。二人の関係がどう転がっていくのか、続きが気になりすぎますっ😊