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第四章
「いいかシルバー、ちぇんの肌や髪を完璧に仕立てるんだ」
お兄さんは最新型のスマートフォンを構え、ちぇんの撮影に余念がなかった。
「今のトレンドは『血統』と『物語』だ。希少な金バッジが、どれほど丁重に扱われ、どれほど上質な環境で育てられているか。その証拠を積み上げれば、市場価格はさらに跳ね上がる」
「むきゅ……ブラッシング、終わりましたわ」
シルバーは言われたとおり、ちぇんの乱れた毛並みを整え終えた。火傷で縮れたシルバーの髪先とは違う。
「にゃふふー! ちぇん、きょうもかわいくとってもらったよー!」
ちぇんはレンズよりも、撮影後のご褒美として皿に盛られた高級あまあまに夢中だった。角度を変えられ、姿勢を直されても不満一つ言わないのは、最後に甘いものがもらえると知っているからに過ぎない。
「……ええ、よかったですわね」
シルバーは平坦に答えた。
月日が流れ、ちぇんはおチビちゃんを産んだ。
出産の直後、室内には餡子と湿った保温材の匂いが満ちていた。寝床の上で、ちぇんはぐったりと目を閉じ、いつもの軽い調子もない。お兄さんは手袋越しに、生まれたばかりの小さな体をそっと持ち上げた。
「初産だったせいか、ちぇんの消耗が大きい。しばらくは回復に専念させる」
そのまま、おチビちゃんはシルバーの前に置かれた。
「世話はお前がやれ。傷一つつけるなよ」
「……わたくしが、ですの?」
「ちぇんより向いてる。お前のほうが手順を間違えない」
向いているから。
正確だから。
壊しにくい管理役として都合がいいから。
シルバーは、小さな体を見下ろした。
野良の赤ゆなら、これまでいくらでも見てきた。
赤ん坊だからといって、いまさら何か感じるはずもない。
そう思っていた。
「ゆ……」
おチビちゃんが、かすかに鳴いた。
まだ焦点も定まらぬ目が、ぼんやりとシルバーのほうへ向く。
そして次の瞬間、ちいさな体が保温布の上でもぞりと動き、頼りない口を開けた。
「……おね、ぇちゃ」
掠れた、音にもならない声だった。
その呼びかけが誰に向いたものか、本当は分からない。
ただ近くにいたものへ、ぬくもりを求めて漏れた音かもしれない。
それでもシルバーは、胸の奥を何かで軽く引っ掻かれたような気がした。
おチビちゃんの世話は、思っていた以上に手がかかった。
保温布の温度は少しでもずれると駄目だった。ミルクは飲ませすぎても足りなくてもいけない。眠りは浅く、呼吸は頼りなく、鳴き声一つで体調が変わる。
シルバーは決められた手順どおりに世話をした。
時間を記録し、体調を書き留め、体を拭き、口元を整える。
普段の選別や飼育補助と同じだ。やるべき作業が細かくなっただけ。そう割り切るつもりでいた。
だが、その割り切りは長くはもたなかった。
「ぱちゅりーおねーちゃ、あったかーい」
引きずる脚に、とことこと小さな体が寄ってくる。
「……むきゅ。くっつくと記録が書けませんわ」
「えへへー、おねーちゃだいすきー!」
野良の赤ゆたちも、人懐こい個体はいた。
餌をくれる相手に擦り寄り、やさしい声に安心して笑うものも珍しくはない。
だがそれはたいてい、群れの中の一匹としての甘えだった。
空腹や寒さに反応して、そこにあるぬくもりへ寄ってくるだけの、本能に近い動きだ。
このおチビちゃんは違った。
「おねーちゃ、みてー! ひとりでころころできるよー!」
「……見ていますわ。転がりすぎると頭がぶつかります」
「すごいー? すごいー?」
「ええ、すごいですわ」
そう返すと、おチビちゃんはきゃっきゃと笑った。
ちぇんの体調が少しずつ戻るにつれ、部屋にはまた明るい声が増えた。
「にゃふふー! ちぇん、きょうのあまあまはいつものよりふわふわしてるよー!」
「回復期用に成分を調整してある。残さず食べろ」
「はぁーい!」
ちぇんは自分用の皿に顔を埋めながら、おチビちゃんのほうにはろくに目も向けなかった。
「……さきほどまで、おチビちゃんは泣いていましたわ」
シルバーがそう言うと、ちぇんはきょとんとした顔で振り向いた。
「にゃ? でも、おねーちゃがいるからだいじょうぶだよー!」
悪びれない。
任せきりにしている自覚すらない声だった。
「お世話は、本来あなたの役目ですわ」
「ちぇん、まだつかれてるもーん。むずかしいことはおねーちゃがしてねー!」
そして次の瞬間には、もうゼリーの皿に意識を戻している。
「それに、おチビちゃんはげんきだしー。おにーさんにもほめられたしー。にゃふふ、ちぇん、えらいでしょー!」
シルバーは返事をしなかった。
金バッジとは何なのだろう。
そんな問いがシルバーの頭の中をぐるぐると回っていた。