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コメント
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はる。だわ!第35話読んだわよ…! 彩、間に合ったね…!蹴破って入ってくるシーン、めっちゃカッコよかった🔥 で、その浄化の光、ただの回復じゃなくて「事実を塗り替える」って表現、めっちゃゾクッとしたわ。 玲が初めて「死にたくない」って自覚するところ、このキャラの成長として超グッときた…! でも彩の数珠の赤い光、あれ絶対フラグだわ…気になる😭
第35話 間に合った祈り
焔の手首に、犬歯の先端が触れた、その時だった。
外で、荒々しい足音が響く。次いで、朽ちかけた扉が勢いよく蹴破られ、外の月明かりと共に、冷たい夜風が吹き込んできた。
「――玲……ッさん!」
息を切らし、髪を振り乱した彩が、そこに立っていた。純白の聖衣は泥に汚れ、裾は無残に破れている。頬には木の枝にでも引っかけたのか、細い切り傷が走り、うっすらと血が滲んでいた。よほど急いで、道なき道を駆けてきたのだろう。
犬歯を突き立てる寸前だった手首から、力が抜ける。何が起きたのか、鈍った頭がすぐには追いつかなかった。
「陛下……! なんてこと……!」
彩が、床一面に広がる血だまりと、その中心で力なく横たわる焔の姿を見るなり、顔から一気に血の気が引いていくのが見えた。転がるようにして駆け寄ってくると、震える手で焔の傷を確かめる。
「こんな、こんなに深い傷……! 玲様、どうしてこんな……!」
「……説明は、後で。今は、陛下を……浄化の、」
失血の症状は思いのほか重い。言葉を発するだけでも、喉が渇いて掠れる。それでも、優先順位だけは、はっきりと分かっていた。
「はい……! 大丈夫です、そのために私はここに来たんですから!」
それだけ言うと、彩は聖杖も取り出さぬまま、両手を高く掲げた。
その手のひらから、眩い光が溢れ出す。それは、いつも見慣れている温かな白い光とは、どこか違って見えた。祈りの言葉と共に、その光は焔の傷口へと降り注いでいく。
見る間に、抉れていたはずの肉が、内側から押し上げられるように盛り上がっていく。裂けた血管が、まるで意思を持つ蔦のように絡み合い、繋がっていく。破れた皮膚が、縫い合わされるように閉じていく様は、まるで時が逆回しになっているかのようだった。ほんの数十秒のうちに、あれほど深く、致命的だったはずの傷が、まるで最初から存在しなかったかのように、滑らかな肌へと戻っていく。
その時だった。彩の手首に巻かれた古い数珠が、ふと禍々しいほどの赤い光を帯びる。淡い癒やしの白光の中に混じる、その異質な赤だけが、私の目には妙に鮮明に映った。
(……あの明滅の仕方、どこかで)
見覚えがある、と思った。だが、思考はすぐにそこで途切れる。今の私に、記憶の糸を手繰る余力は残っていなかった。
やがて、光が収まると、そこにあったのは、傷一つない、健やかな肌だった。焔の胸は、規則正しく上下している。呼吸も、脈も、明らかに落ち着いていた。まるで数刻前まで、生死の境をさまよっていたことなど、嘘であったかのように。
「……間に合いました」
彩は安堵の息を漏らし、汗の滲んだ額を拭うと、崩れ落ちるようにその場にへたり込んだ。
「良かった……本当に、良かった……」
その声には、聖女としてだけでなく、一人の人間としての、純粋な安堵が滲んでいた。
薬師として、私はこれまで無数の傷を見てきた。どれほど優れた治療でも、必ず痕跡は残る。引き攣れた皮膚、色の違う新しい肉、あるいは、二度と元通りには動かない筋。それが、この世の傷というものの道理のはずだった。傷とは、生き物がその代償として支払う、消えない記録のようなものだ。
だが、今目の前で起きたことは、その道理そのものを否定するような光景だった。切り裂かれた肉も、貫かれた臓腑も、まるで最初からその事実がこの世に存在しなかったかのように、跡形もなく塗り替えられている。
私自身の再生能力も、常人からすれば十分に理不尽な力だ。だが、それでも私の再生は、あくまで「私自身の」肉体の記憶をなぞって治すだけのものだった。極端な話、傷の回復を早めるだけの、いわば単純な修復に過ぎない。今、彩の力が成し遂げたのは、それとは全く異質な何かのように思えた。外部から、事実そのものを塗り替えてしまうような、そんな力だ。
(一体、どこまでのものを「なかったこと」にできるのでしょうか)
欠損した四肢も、失われた命さえも、あるいは……。そこまで考えて、私は自分の思考に、小さく身震いした。
再び、脳裏を不確かな記憶がよぎる。赤く明滅する何か。……瘴魔獣の首輪、だったか。あるいは、もっと別の何かだったか。記憶が朧げで、うまく像を結ばない。
(……気のせいーー)
考えを深める前に、頭の芯が重く沈み込む感覚に襲われた。血を失いすぎた体は、これ以上の思考を拒んでいるらしい。今は、考えられない。
それよりも。
完全に癒えた焔の胸が、規則正しく上下しているのを見て、私はようやく詰めていた息を吐き出した。全身から、糸が切れたように力が抜けていく。安堵は、確かにあった。この人は、死なずに済んだ。ただそれだけのことが、これほどまでに胸を締め付けるとは、自分でも思っていなかった。
だが、その安堵の奥底に、ずっと居座り続けているものがあった。
――死にたくない。
あの想いは、まだ胸の奥に、そのまま残っている。これまでの人生で、一度も抱いたことのない感情だ。どうせ死なない身だからと、死という概念そのものを、他人事のように扱ってきた。それなのに、あの時、胸の中にあったのは、紛れもなく「生きたい」という、剥き出しの欲だった。
「玲様も、顔色が……。少し、私の力で――」
「必要ありません。……これは、傷ではなく、ただの血の量の問題ですので。時間をかけて、体が血を作るのを待つしかありません」
「ですが……」
「大丈夫です。死にはしません」
いつもの調子で、そう言った。だが、その言葉の裏に隠した想いに、彩は気づかないだろう。
(……死にたくない、と。今の私は、心から、自覚してしまった)
この気持ちを、どう扱えばいいのか、分からない。損得でも、合理性でもない、ただの剥き出しの欲を、私はまだ持て余していた。
隣で、規則正しく上下していた焔の胸が、不意に大きく動いた。
「……うっ」
瞼が震え、金色の瞳が、ゆっくりと開かれる。
「……陛下?」
「……ここは」
辺りを緩慢に見回す焔に、私はどうにか声を絞り出した。
「彩殿の力で、傷は完全に塞がりました。もう大丈夫です」
焔は自分の腹に手を這わせ、傷がないことを確かめると、小さく息を吐いた。
「……そうか」
「陛下、お目覚めになったのですね! 良かった……!」
彩はほっと胸を撫で下ろすと、すぐに何かを思い出したように立ち上がる。
「陛下も無事にお目覚めになったことですし、わたくし、神官たちを呼んで参ります。荷馬車もありますので、お二人をお運びする支度をしなければ」
「……神官たちを、連れてきていたのですか」
「はい。単身で参るのは危険だと、大神官様が数名つけてくださいました。……、結局置いてきちゃったんですけどね」
彩はバツが悪そうに笑う。
「少し、行って参ります。お二人とも、決して無理はなさらないでくださいね」
彩は聖衣の裾を翻し、蔵の外へと駆けていった。
蔵の中に、再び静寂が戻る。今度は、私と焔の二人だけの静寂だった。