星歌がまんじりともせずに世界遺産のDVDを見ていた週末。
土日が休みの行人はストレスからくる胃痛がこうじて、実家に戻っていたらしい。
星歌としては、それならそれで連絡くらいよこせと言いたいところだが、彼は言葉を濁す。
前夜、姉に言ったことへの負い目もあったのかもしれない。
「たまに帰るとお母さんが張り切って、鍋にするから泊まっていけって。次の日は朝からカレーだし、昼は昼でステーキ作ってくれるし。もぅ、お腹が苦しくて……」
「お母さん、やたらと行人に食べさそうとするよね。私には痩せろって言うのにね。なんでだろうね、私は太ってない。むしろ痩せ気味なのにね」
「う、うん……。今度、姉ちゃんの誕生日に体重計を贈ろうか」
「えっ、なに?」
「いや、べつに……。ありがたい反面、未だ腹がこなれないなぁって」
「あははっ!」
「だから、あははじゃないし」
例の騒動の顛末はこうである。
とりわけ美しいものが好きな美術教師・呉田。
理想の顔かたちをした美少女、石野谷ケイをぜひとも絵のモデルにしたかったらしい。
星歌が睨んだとおり天然気質のあるケイが、それを異様に深刻に受け止めたことから騒動が始まったのだ。
見事に巻き込まれた行人は、ケイの口から顛末を聞いてストーカー事案だと推察する。
生徒のプライバシーに関わることなので、できれば大事にせず解決してやろうと考えた。
呉田に付きまとうようにして説得を試みるも、話が通じる気配もなく。
その話し合いの様子に、ケイ自身が慄いてしまって星歌を呼び出したとのことで、先日の美術室の騒動となったのだ。
「いや、私はてっきりケイちゃんという美少女をめぐる男二人の争いかとばかり……」
「そんなわけないだろ……。あのあと、呉田先生に眼鏡代弁償したの俺なんだからな」
「ごめんってば。でも、メガネ捨てたのはケイちゃんで……アハハッ」
笑ってごまかそうとする星歌。
チラリと見やると、行人は心の底からというような重い溜め息を吐いている。
夕暮れの空。
さいごに一際、鮮やかに朱色が光り──そして消える。
やわらかな薄藍が向こう側から空を徐々に侵食する。
星歌の腕と、行人の手元で白い星が互いにぶつかって軽やかな音階を奏でた。
「ま、まぁまぁ。姉弟がそろって異世界に行くってのはどんな感じだろうね。モテ度でいくと、せめてあっちの世界では私の方が上であってほしいもんだよ。せめてね、人生で一回くらいモテ地獄を味わってみたいもんなんだよ」
「……たとえ異世界であっても、星歌にはそんなモテ期は訪れないよ」
「お、お姉ちゃんをバカにしてるな!」
気色ばむ星歌の前に、行人の呆れ顔。
「言ってるだろ。俺は星歌を姉としてなんて見たことないって」
「うっ……」
見事に顔を赤らめる星歌。何だか、誤魔化されたみたいで腹が立つ。
あのとき、美術室で行人から大切だって言ってもらえたこと──それだけで今はうれしい。
でも、自分の方がずっと行人のことを大事に思っているのに──そう思うとすこし悔しい。
「で、でも、アドレス帳には『姉』って入れてたんだって?」
「五十音順で一番上にくるだろ。星歌が騒ぎを起こしてもすぐに対処できると思って」
合理的判断だよと、行人は小憎らしい面をする。
それに、と彼は続けた。
「星歌は俺以外からモテる必要ないし。異世界でも、現世でも」
プイッとそっぽを向く行人の顔を覗き込むため、星歌はそちらに回り込んだ。
「行人、顔赤いよ?」
「あ、赤くない!」
夕陽のせいだよ、と彼は首を振った。
夕焼けの赤なんて、もう地上には残っていないのに。
「当分異世界はいいよ、私は。だって、現世に行人がいるからね」
「星歌……」
行人の頬は夕暮れ色だ。
そっと伸ばされた手が、彼の指を握る。
見上げた空は、街の灯かりに照らされて青白く霞んでいる。
けれども、ふたりの周りには輝く星が降り注いでいた。
星降る世界で君にキス・完
これで完結です。
読んでくださってありがとうございました。
また今度、新しいお話を投稿しようと思っています。