恋人が胸に秘めた過去を知りたいと思いつつも、それを口にすれば彼の精神が危険な方へ一歩を踏み出すことをここ数日の出来事で嫌と言うほど思い知らされたリオンは、先日告げた様に自ら語り出してくれるまで待つと再度腹を括り、通常の仕事へと戻っていた。
あの夜図らずも恋人の父を護衛する仕事に就き、仕事上では対象者として、また仕事を離れれば自分の親ほどの男に対する興味を抱いたが、公私ともに思わぬ成果を得た気分になっていた。
結局、パーティの警備責任者に対する法的な手段とやらは実行された気配が無く、数日経った今もリオンは誰に何を訴えられずにヒンケルとともに絶え間なく起こる事件を解決する為、日夜忙しく街中を飛び回っていた。
リオンの同僚達も護衛よりは、ささやかだったり重大だったり程度の差がある刑事事件を追いかけている方が似合っていると顔を寄せて笑っていたある日、強盗傷害事件の報告書と睨み合いをしていたリオンが頭を掻きむしりながら奇声を発する。
犯人を追いかけたり参考人に対する取り調べなどは苦にならないが、書類仕事に関しては一も二もなく投げ捨てて逃げてしまいたいと思うらしく、アアもう嫌だ、代わりに書いてくれジルと叫んで背中合わせで仕事をしているジルベルトに飛びついてヘッドロックを極める。
「痛ぇじゃねえか!いきなり何しやがる、クソガキ!」
「うるせぇ!俺がクソガキならお前はジジイだ!」
刑事部屋の中央部分で始まった口論と暴力寸前のやり取りに、煮詰まってまるでコールタールのようになったコーヒーを美味そうに飲んでいたコニーが暢気な声を挙げる。
「お前らー、いい加減にしないと警部の鉄拳制裁を食らうぞー」
「冗談じゃねえ!食らうのはこいつだけだ!!」
「お前が食らって来いよ、ジジイ!」
一向に収まる気配のない二人の口論にコニーは最早何も言わず、ただコーヒーを飲み干しながら自らの書類を仕上げる為にデスクに向き直るが、鉄拳制裁を食らわせると言われた警部が仕事をしている部屋のドアが開き、リオンの肩の高さほどしか背丈がないヒンケルが足音も荒く近寄ったかと思うと、ほぼ同時に色の違う頭の上に拳を落下させた。
「痛いっ!!」
「ぃてぇ!」
二種類の悲鳴にいくつかの溜息と自業自得だと言う嘲笑が重なり、その嘲笑に向けて二人が完全に同調した動きで中指を立ててくそったれと叫ぶ。
「何度言えば分かる。ここは警察署であって幼稚園じゃないぞ」
「・・・万年幼稚園児がいるからなぁ」
「誰の事だよ、あぁ!?」
一触即発の二人の間に割って入った小柄なヒンケルだが、自分の頭上で睨み合う部下に苛立ちを隠さないで舌打ちをすると、いい加減にしろと二人のシャツの胸元を掴んで引き寄せる。
「リオン、さっさと報告書を上げろ。ジルベルトもそうだ」
直属の上司のその言葉にはさすがに二人も逆らえず渋々返事をし自らのデスクに戻っていくが、椅子のキャスターを軋ませながらリオンがジルベルトの横に向かい、記入している途中の報告書を丸めながらぼそりと呟く。
「ジル、その報告書はこの間のものか?」
「ああ。・・・・・・金が絡めば親も兄弟も関係ないって事だな」
ジルベルトが不本意ながら答え、リオンの鼻先に突きつけたのは数日前に一報が入った殺人事件のもので、その日の午後にはもう容疑者は逮捕され担当になったジルベルトとヴェルナーが送検の準備に取りかかっている事件の報告書だった。
ざっと目を通したリオンが抱いた感想は、ジルベルトも言った通り金が絡めば親であろうが兄弟であろうがこんな凄惨な事件を引き起こすと言う事実の一面だけを捉えたものだった。
「家族の仲は評判になる程良いものだったが、母親が亡くなった直後から兄弟の不仲が顕れた・・・母親がキーパーソン?」
「そうだな。元々仲は悪くはなかったが、母親が兄弟の仲を繋いでいたらしい」
だが、兄弟の中心にいたような母が死去し、遺言で兄が最も大切にしていたものを弟に遺すと書いていた為、今回の凄惨な事件が起こったとジルベルトが溜息を零して天井を見上げる。
「まあ弟を殺したのは極端だけどさ、遺産相続に関しては金があればあるほど兄弟でも揉めるよな」
「そうだな・・・どうした?」
いつもならば他の同僚が担当する事件に首を突っ込まない癖に一体何が気になるんだとジルベルトの緑の目に見つめられて肩を竦めたリオンは、同じように気になるのか二人の傍にやってきたコニーに気付いてくるりと椅子を回転させる。
「ほら、オーヴェの母親がロイヤルファミリー出身だって言ってただろ?この間親父にそれを聞いたんだよ」
「お前、直接会長に聞いたのか!?」
良くそんなプライベートな話を切り出したと感心するコニーにリオンが肩を竦め、こちらが一方的に話を聞き出されるのは好きじゃないとあの夜も伝えた事を告げると、椅子の背もたれに胸を押しつけて腕をだらりと垂れさせながら手を組んで親指をくるくると回転させ始める。
何かを考え込んでいる事に気付いたコニーが視線で先を促すが、ばあちゃんの遺産がウーヴェにだけ相続された事を伝えると、ジルベルトとコニーが顔を見合わせて同じ表情を浮かべ合う。
「ドクには兄と姉がいるだろう?それなのに総てがドクに行ったのか?」
「そうらしい。それだけでも不思議なのに、オーヴェが総てを受け継ぐとなってもお兄さんもアリーセも反対をしなかった」
「長男長女をすっ飛ばして次男に遺産が全額回っても上の二人は反対をしなかった?」
考えられない、一体どこの聖人君子なんだとジルベルトが大げさなほどの驚きの声を挙げて肩を竦めると、コニーも確かになかなか考えにくい事だと顎に手を宛がって考え込む。
「均等に分けても揉めかねないのに、兄弟げんかすら無かったのかよ?」
「親父がそう言ってたぜ」
「本当に信じられないな」
「俺もそう思う」
ジルベルトの冷めた声にリオンも同調をして再度肩を竦め、あのアパートを購入できる程の金を遺産として受け取っているのだから一般的な遺産相続とは桁が違う筈だが、それでも文句一つも言わずに兄姉は末子に総てを譲り渡したそうだと答え、理解出来ないと真剣な顔でぽつりと呟く。
「オーヴェはばあちゃんの遺産でクリニックを開業したって聞いた事があったけど、クリニックの開業とあのアパートの購入を全額遺産で賄うとなれば・・・どのくらいの金額を相続したことになるんだ?」
「・・・どれぐらいになるんだろうな」
クリニックを開業する為にどれだけの費用が必要なのかなど親類縁者に開業医がいないコニーもジルベルトも実感として理解出来ず、ただ税金を支払ってもやっていける金額を受け継いだ事実しか理解出来なかった。
「纏まった額って親父は言ってたけどさ・・・」
もしかしてその纏まった額というのは自分たちが想像する金額と一桁違うのではないのかとリオンがげっそりとしながら問いかけると、二人が当然だろうと大きく頷く。
その言葉からも己の恋人が本当に金持ちなんだなぁとまるで他人事のように呟いてしまうが、その呟きに被さるようにレオポルドの声と表情が浮かんできて言葉を発する。
あの夜、レオポルドはウーヴェの事を特別な子どもと称したが、あの時は特別という言葉が持つ意味について深く考えることはせず、ただその言葉が他者に与える響きに小さな嫉妬を抱いただけだった。
だが、もしも溺愛する意味での特別ではなく、他の事情からそう称したとすればどうだろうとぼんやりと思案し、他の事情と口に出して呟いてしまう。
「何だ?」
「総てが末っ子に行くってさ、余程溺愛されてないと無理だよなぁ」
「後は何かそうしなければならない事情があったか」
「・・・あ」
コニーの呟きにリオンがぽかんと口を開け、特別の意味が分かったと掌に拳を打ち付けて大きく頷く。
「・・・事件」
10歳の時に事件に巻き込まれ、その後の人生を大きく狂わされてしまったウーヴェだが、自分が好き勝手なことをした結果が何の罪もないウーヴェに向かってしまった事だけはどれだけ悔やんでも悔やみきれないと、あの時レオポルドが悔しさを顔中に滲ませつつ呟いた事を思い出し、特別という言葉が表すものは誘拐事件だったと目を瞠る。
あの事件の後、心を壊してまるで人形のように成り果てたウーヴェを生かす為に憎まれることを選択したレオポルドだったが、生きていく上で必要なものを良く理解している為、ウーヴェの祖母が残した遺産を総て愛する末子に与え、また仲が良かった兄姉達もそれがこの先の弟の人生で必要不可欠になる事を察し、総てを譲り渡したのではないのか。
今年になって姉が突如家にやってきた時に感じた、まるで弟を小さな子どものように扱っている態度を見れば当然ながら兄も似たり寄ったりの気持ちだろうし、すでにバルツァーの社長という社会的地位を得ていたであろう兄や、結婚して夫と何不自由もなく暮らしている姉にしてみれば、祖母の遺産を目の前にしても手を伸ばす必要など無いだろう。
「じゃあ・・・」
「・・・・・・親父なりの事件への贖罪、憎まれることでオーヴェを生かし、金銭的にも困ることがないように遺産を相続させた。それが真相かもな」
確信はないがきっとそうだろうと溜息を零したリオンは、ドクに聞いてみればどうだとジルベルトに笑われて自嘲にも似た笑みを零す。
聞いたところで素直に認めるどころか、そもそもそんな裏の事情などウーヴェは一切知らないだろうと苦笑し、ウーヴェの両親や兄姉の彼に対する溺愛ぶりには感心してしまうと溜息を零しつつくすんだ金髪に手を宛がう。
恋人の心を今も支配している事件の傷跡の深さを別の角度から教えられた事にやるせない溜息を零し、いつか傷が癒えてくれれば良いなと呟きながら椅子を軋ませる。
ロイヤルファミリー出身の母を持ち、祖母から莫大な遺産を受け継いで今は開業医としてそれなりに成功しているとだけ聞かされれば、何の事情も知らない人からすればただ羨望の眼差しで見つめるだけだろうし、現にリオンは初めてウーヴェに出会ったときに抱いた印象はたった今己が想像したとおりの、羨望と嫉妬というフィルターを通したイヤなものだけだったのだ。
初めて出会った時の事を思い出したリオンは、初対面の相手に冷たい顔で接するウーヴェと事件を通したり様々な場所での出会いを重ねていくうちに互いの連絡先を教えあって友人として付き合い始め、その中でウーヴェの人となりを少しずつ知っていった時にはもう目を離すことなど出来ないほど惹かれていたが、それまで冷たいと思っていたウーヴェが、不意に柔らかな笑みを浮かべて名を呼んでくれた時、リオンの胸に暖かな感情がじわりと芽生え、血の流れに乗って一気に頭の先から爪先まで行き渡ったあの不思議な感覚を思い出すと、今もまたごく自然に想いが溢れかえる。
「どうした?」
「んー・・・やっぱり俺はオーヴェが好きだなぁって」
コニーの言葉にリオンが照れたような自慢するような笑みを浮かべて小さく笑い、オーヴェが好きだともう一度繰り返すと、コニーとジルベルトが顔を見合わせた後、お前の惚気に付き合っている暇はないと断言し、中断していた仕事に戻るためにそれぞれのデスクに向き直っていく。
「あ、何だよそれっ!」
「早く仕事に戻れ。また警部に殴られるぞ」
「げー。あー、ヤダヤダっ」
殴られるのは絶対にイヤだが書類仕事もイヤだと文句を言いながらも、傷害事件の被害者の事を少しだけ思い出して何とか仕事へのモチベーションを高めていく。
だがそんなリオンの脳裏には穏やかな顔で笑って名を呼ぶウーヴェの顔が消えないで浮かび続けているのだった。
今日も苦手な書類仕事を何とかこなせたのは、胸の内側に宿った暖かな思いと脳裏に浮かんでいる笑顔があったからだと、鼻歌交じりにウーヴェのクリニックが入っているアパートの階段を昇ったリオンは、いつものようにドアを開け放って呆れ顔で出迎えてくれるオルガに満面の笑みで手を挙げる。
「ハロ、リア。仕事お疲れさま」
「あなたもお疲れさま、リオン」
挨拶もそこそこに、診察室のプレートが掲げられているドアをノック-と言うよりはどう見ても殴りつけている-をしたリオンは、げんなりとした声がどうぞと応えてくれた為、蝶番が外れる勢いでドアを開け、彼女に見せた笑顔に比べれば遙かに嬉しそうな笑みを浮かべる。
「ハロ、オーヴェ!」
今日も苦手な書類仕事を頑張ったから誉めてくれ、何が何でも誉めてくれとまるで脅迫紛いのことを告げながら室内に一歩足を踏み入れるが、先客の背中が一人がけのソファから見えている事に気付き、踏み出した足を中空で止めて身体も止めてしまう。
「・・・・・・げ」
「その声は何なのよ!」
ソファの上でくるりと振り返ったのは、今日もまたいつものように悪夢のような厚化粧を顔中に施したブルックナーで、彼の顔を一目見たリオンは器用なことに片脚を軸にしてくるりと身体を反転させて開いたままのドアから一目散に逃げ出そうとするが、待ちなさいと怒鳴り声に襟首を掴まれて亀のように首を竦めて立ち止まる。
「どうして逃げるのよ?」
「や、いきなりそぉんな怖い顔で睨まれたら誰でも逃げるって。な、オーヴェ!」
どうかこの窮地から愛する俺を救い出してくれと、デスクの端に尻を乗せて腕組みをしつつ眉根を寄せるウーヴェに向けて手を組んだリオンは、むんずと襟首を掴まれて目を白黒させる。
「誰が怖い顔よ」
「・・・・・・ブルックナー?」
素直に白状しなさいと言われて言葉通り素直に白状したリオンは、怒りに震え始めた彼の手を振り切ると同時に駆けだし、ウーヴェの背後に回り込んで自分より一回り横幅の狭い身体を盾代わりにしようと身を屈める。
「・・・・・・お前のスーツを持ってきてくれたんだぞ、リオン」
「へ?」
「そうよ。穴の開いたスーツを完璧に繕ったのよ。誉めて欲しいぐらいよ」
憤慨するブルックナーにリオンがウーヴェの肩越しに目を瞠り、そうなのかと呟けば至近と少し離れた場所からそうよという声が返される。
「ダン、ブルックナー!」
あのスーツの修繕が終わったのかと顔を輝かせ、早く見せてくれと無言で強請ったリオンに二人が同時に溜息を零すが、ウーヴェの指がデスクを指し示した事に気付いて視線を向け、店のロゴが入ったスーツカバーが鎮座しているのを発見すると、二人の間に回り込んで鄭重な手付きでカバーを外す。
久しぶりの対面となったスーツを無造作に手に取り、完璧に修繕されている事を確認したリオンは、ウーヴェにそれを預けると同時にくるりと振り返ってブルックナーに満面の笑みで笑いかける。
「ダンケ!マジ嬉しい」
ここまで綺麗に直してくれてありがとうと心からの思いを告げたリオンは、背後でウーヴェが嬉しそうな気配を滲ませたことに気付き、呆気に取られている彼の前でジャケットを羽織ってくるりと一回りする。
「似合うか、オーヴェ?」
前にも聞いた言葉だが今の俺にも似合っているかと問い掛けると、小さな小さな声がああと返してくれた為に笑みの質を切り替えて目を細め、もう一度振り返って今度はブルックナーにどうだと問い掛ける。
「よ、良く似合ってるわ・・・」
背後と前面の唖然の理由を正確に把握したリオンがどちらに向けてかは分からないが自信に満ちた男の顔で笑みを浮かべて頷き、大切にする事を明言しつつジャケットをカバーに戻すと心なしか呆然としているウーヴェの横に並んでデスクに尻を乗せる。
「次にこれを着るときは普通のパーティが良いな」
「そうだな」
このスーツにも約束にも穴を開けてしまったパーティは仕事がらみだったから次こそはプライベートで着てみたいと苦笑し、ぽかんと見上げてくるブルックナーに気付いて首を傾げたリオンに冗談のような化粧を施した顔が一瞬にして表情を変えただけではなく、顔を背けて肩を小さくしてしまう。
「ブルックナー?」
「・・・何でもないわっ!次にまたスーツが欲しいのなら必ず私に声を掛けてちょうだい!」
顔を背けたまま命じるように怒鳴られて気圧されたリオンだったが、その横ではウーヴェがターコイズに苦笑を浮かべてその時はよろしく頼むと信頼する友人に告げる。
ウーヴェの言葉に素っ気なく頷いて立ち上がった彼だが、意味が分かっていない顔で見つめてくるリオンの前に立つと、この間は言い過ぎたけれど私の忠告が素直に受け入れられた事は本当に嬉しい事だと笑みを浮かべてリオンを褒め称え、さすがにウーヴェが選ぶだけはあるとウーヴェを褒めることも忘れなかった。
その言葉に一方は明らかに舞い上がり、もう一方は舞い上がりそうな気持ちを抑え込んだ顔で頷き、差し出された手を交互に握って次は夏物のスーツかなと笑い合う。
「そうね。ああ、そうだわ、アイヒマンがリオンにお礼を言っていたわよ」
「へ?」
「何かは分からないけど、ありがとうと言って欲しいって」
「・・・うん」
「じゃあね」
手を挙げて踵を返す大きな背中かを見送った二人は、入れ替わるようにやってきたオルガにブルックナーが帰ったことを教えられて頷き、どちらからともなく溜息を落としてデスクに寄りかかる。
「今日もお疲れ様でした、ドクター・ウーヴェ」
「フラウ・オルガもお疲れ様」
いつもの二人のやり取りを見守っていたリオンだが、ウーヴェが発した言葉に興味を惹かれたのか、デスクから降り立って先程までブルックナーが腰掛けていたソファの肘置きに座って長い足を組む。
「リア、この間のパーティで欠席したマンフリートが今度是非リアと一緒に飲みたいと言っているんだ。どうだろうか」
「確か産婦人科医をしている人、だったわよね」
「ああ。あの後皆にリアの話を聞いたら自分だけが参加できなくて悔しいと言っていたそうだ」
だから是非とも一緒に飲みに行くか食事に行くかをしたい、だからここは友人としても彼女のボスとしてもお前が出会いの場をセッティングしろと言われた事を告白し、呆気に取られるリオンに肩を竦め、彼がいる事は伝えてあるから好きにしてくれればいいと彼女の負担にならないように告げるが、あなたも参加するのならばご一緒するわと笑顔で返されて胸の裡でのみ驚いてしまう。
「良いのか?」
「ええ。あなたのお友達は一緒にいて楽しかったわ。ウーヴェさえ良ければセッティングしてくれるかしら」
彼女の言葉に小さく頷いたウーヴェは、次いでリオンの顔を真正面から見つめると、オルガを見つめるときとは全く違う色を双眸に浮かべて口元にも笑みを湛える。
「リオン、お前の都合はどうだ?」
「へ?俺?」
「ああ。彼女ともう一人連れて行くと言ってある」
あのパーティで本来ならば紹介するつもりだったが、今度は本当に仲間内だけの集まりだから遠慮することなく一緒に来ればいいと笑い、どうすると笑顔で促してくる。
「・・・オーヴェ」
いつか必ず友人達に紹介すると言う言葉を守ろうとしてくれる態度が嬉しくて、その感激を胸の裡に閉じ込めたリオンは、仕事がどうなるかはっきりと分からないが可能ならば顔を出すと穏やかに告げて手を伸ばす。
「分かった。詳しい日程が決まれば教える。リアもそれで良いか?」
「もちろん。楽しみにしているわ、ウーヴェ」
「ああ・・・明日もよろしく、フラウ・オルガ」
「こちらこそ、よろしくお願いします」
これまたいつもの恒例の挨拶を交わす二人をぼんやりと見つめていたリオンは、リアが踵を返して診察室から出て行ったと同時に、伸ばしていた手を掴まれて身体ごと引き寄せられたことに目を瞠るが、辿り着いた先が恋人の胸だと気付いて嬉しそうに目を細める。
「オーヴェ、オーヴェ」
「どうした?」
今日は仕事中に仲間と話し合っていたが、初めて出会った時の顔や初めて名前を呼んでくれた時の感激、そして付き合い出すようになってからの事などを思い出して幸せな気分も蘇らせ、やはりお前が好きだと背中に手を回して笑み混じりに告白すると、分かっていることを教えてくれるように背中をぽんと一つ叩かれる。
「・・・ブルックナーがお前が来るまでの間、ずっと感心していたぞ」
「何が?」
唐突な苦笑混じりの言葉にリオンが身体を離してウーヴェの顔を覗き込むと、自慢と同じ男としての嫉妬が入り交じったような不思議な色を双眸に浮かべて上目遣いに見つめてくる。
「・・・この間店に行ったときの態度が想像出来なかったそうだ」
「ひでぇ」
初めて店に来たときの明らかに場違いな身形やウーヴェと一緒に来たときに見せた敵意丸出しの顔などを思い出せば先日の穏やかな礼儀正しい態度など想像することすら難しかったと教えられ、俺もやるときはやるんだと憤慨したリオンは、ウーヴェが許してやってくれと宥めてくれた為に即座に許すと口走る。
「悪いと思えばすぐに態度を改められる、それに随分と感心していたな」
「お前は?」
「うん?」
ブルックナーが褒めてくれるのは嬉しいがお前はどうだと問いかけたリオンは、暫くの間沈黙を与えられて焦れてしまうが、見つめているウーヴェの形の良い唇が左右に弧を描くように持ち上がったかと思うと、いつか何処かで見た事のある笑みを浮かべて目を細めた為に文字通り息を飲んで見守ってしまう。
「リーオ」
「・・・っ、うん・・・」
「前も言ったが、変わることが出来るお前だから好きになったし、今もなり続けているんだ」
ターコイズを伏せてまるで自らに言い聞かせるように囁いたウーヴェは、リオンがぽかんと口を開けている様に小さく吹き出しながらも、そんなお前も愛していると告白し赤味が増した頬に手を宛がう。
「俺の太陽・・・いつまでも特別なお前でいてくれ」
ウーヴェの有りっ丈の思いを込めた告白にリオンが最大限に目を瞠るが、じゃあ俺にとっても特別な人でいてと目を細めてウーヴェの背中を抱きしめる。
「特別な人でいさせてくれるか?」
「もちろん!何があってもお前は特別だ」
親父があの夜告げた真意は分からないが、俺にとっての特別な存在はお前だけだと力強く断言し安堵の溜息をウーヴェに零させたリオンは、お互いにとって特別な人でいられる事は本当に嬉しい事だと子ども顔負けの笑みを浮かべてウーヴェの額に額を重ねて嬉しそうに肩を揺らし、その後そっと唇を重ね合うのだった。
クリニックからの帰りに行きつけのイタリア料理店で軽く食事をした二人だったが、ウーヴェを助手席に載せていつも以上に浮かれ気分でスパイダーをリオンが走らせる。
自宅があるアパートの地下駐車場に車を停め、ウーヴェがいるから来客用ではないエレベーターで最上階に上がり、ただ一つ存在しているシンプルなドアの前に立った二人は、足下に落ちている封筒に気付いて拾い上げ、ウーヴェが差出人を確認すると同時に驚きに目を瞠る。
「どうした?」
「・・・・・・教授からだ」
「この間のパーティの主賓の人?」
「ああ。・・・何だろうな」
先日のパーティでは名残惜しさを何とか押し隠して別れを済ませ、後日クリニックを再訪した際に話を聞いて貰って落ち着いた経緯を思い出したウーヴェは、疑問を顔中に浮かべながらドアを開け、リオンに先に着替えていろと言い残して自分はリビングへと向かう。
ソファに腰掛けてまだ冷たい夜風を少しだけ部屋の中に招き入れるように窓を開け、風に白い髪を弄ばれながら封を切ったウーヴェは、この街で最近知られるようになってきている歴史は浅いがそれなりの実力を持つオーケストラのコンサートチケットと手紙が添えられている事に目を瞠る。
「オーヴェ、俺のパジャマ知らない?」
ベッドルームで着替えを済ませようとしたが、パジャマがない事に気付いたリオンが下着姿でリビングへとやってくるが、窓が開いていた為に入り込む風に素肌を刺激されて立て続けにクシャミをしてしまう。
「・・・ゲズントハイト」
「ダン、オーヴェ」
三度のクシャミに纏めてお大事にと告げるウーヴェにリオンが首を傾げて何を見ているんだとソファに同じように座り込んでその手元を覗き込み、コンサートのチケットと手紙だと知ってどうしたと顔を覗き込む。
「教授からの誘いだな」
「オーケストラのコンサートかぁ・・・いつなんだ?」
「来週末だな」
「ふぅん・・・」
オーケストラのコンサートになれば当然ながら服装もそれなりのものを必要とするが、ウーヴェならば持っているから大丈夫だろうと暢気に笑うリオンに苦笑し、手紙とチケットをその鼻先にずいと押しやったウーヴェは、瞬きを繰り返す蒼い瞳に苦笑を深め、お前の分もあると告げてリオンの口をぽかんと開けさせる事に成功する。
「へ!?」
「きみの大切な人と一緒に来てくれたまえ、だそうだ」
「俺、クラシックなんて聴きに行ったことねぇよ、オーヴェ」
リオンが好んで聞く音楽と言えば当然のようにノリの良いハードロックであったり、海外のロックであったりするが、世界にも名を馳せるオーケストラが本拠地を置くこの街で生まれ育ったにも関わらず、今までオーケストラのコンサートなど一度も行った事がないと肩を竦め、せっかくのチケットだけど誰か他の人と行ってこいよと苦笑するが、意外な強さで否定されて目を瞠る。
「ダメだ」
「オーヴェ?」
先日、クリニックにやってきたアイヒェンドルフと交わした言葉を思い出し、自分にとって大切な人がいることや職業まで伝えている事をリオンに教えると、苦笑が静かに消えて無表情に近い顔で見つめられる。
「先生には父の護衛をした刑事だとも話した。もちろん・・・・・・恋人とも言ってある」
だから他の人を連れて行くわけにはいかないと穏やかな中にも強さを秘めた声で告げるウーヴェの頬に手を宛がい、そっとその唇に触れるだけのキスをしたリオンは、うんと小さく頷いてもう一度触れるだけのキスをする。
「・・・やっぱりさ、オーケストラのコンサートだからタキシード?」
「先生が選んだものだ、その方が良いだろうな」
「俺さ、分かんないから教えて欲しいな、オーヴェ」
今度こそお前に恥を掻かせないようにするからどんな身形をすればいいのか教えてと素直に告げて任せろと胸を叩かれたリオンは安堵に目を細めて頷き、俺のパジャマはどこだと一転して情けない声を出す。
「ああ、悪い」
よく考えればリオンは下着一枚の姿だと言う事を思い出し、窓を閉めてベッドルームに向かおうと苦笑したウーヴェは、穏やかな顔で笑う恩師の顔を脳裏に思い描こうとするが、何かを企んでいる時の青年のような双眸が脳裏でクローズアップされてしまい、このコンサートで何があるのか興味半分困惑半分で手の中のチケットと手紙を交互に見つめてしまうのだった。
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