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獣としては有り得ないことに、三匹が同時に飛びかかってきたために、フリッツは跳躍して避ける事を選択した。
しかし、それを予想していたかの様に、最後の一匹が空中で自由に動けないフリッツに向かって襲いかかった。
棍を立てて、その鋭い爪をどうにか弾く。しかし、抑えきることはできずに、フリッツは空中で吹き飛ばされた。
崩れた体勢を見逃さず、地上にいる3匹がそれぞれフリッツに牙を、爪を突き立てようと跳ぶ。
次の瞬間、鮮血が舞った。だが、フリッツの身体は落ちてこない。
「おおおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
叫びと共に、吹き飛んだのは闇の獅子の方だった。地面へと叩きつけられるそれらにわずかに遅れて、フリッツが両足で着地する。
衣服は破れ、傷こそあるものの、どれも浅い。空中での交錯を、最小限のダメージにとどめた証だった。
「ふううううぅぅぅ……」
フリッツが息をゆっくりと吐く。それを吐ききるよりも先に、地上で先に待ち構えていた四匹目が、低い軌道でフリッツへと突っ込んでいった。
闇に溶ける黒い弾丸と化した獅子は、しかしフリッツへとは届かなかった。
獅子の額に金色の光が爆発し、砂のように砕け散った。
「後、三匹」
フリッツはそう呟くと、一気に加速した。
次の瞬間、ようやく立ち上がった金の獅子は、間をおかずにすべて、闇へと還っていった。
息を乱すこともないフリッツに、声がかかる。
「神器、ですか」
声のした方を見ると、柔らかい笑みと共に、そしてまったく気配を感じさせずに、シウムはそこにいた。
彼がいつからいたのか、フリッツにはまったくわからなかった。
「よくご存じですね」
フリッツは内心の動揺を悟られないよう、努めて平静に声を出した。
神器。――遥かなる昔、神々によって作られたという武具。人の身にも扱えるように作られたそれらは、現在はほとんど失われている。
折れることも壊れることもない神器が消えた理由は、世界から外れた存在と戦うための武具である神器は、真魔がその姿を消していったことで、その役割を終え、神々が天使に回収させているからだと言われている。
その希少な神器はすでにその存在すら忘れられているものである。
実際、フリッツも自身の棍を神器と呼ぶことを知ったのは、アリシアに教えられてからだった。
シウムはどうやら、頭も相当切れるらしい。少なくとも、知識量という意味では。
フリッツはそう判断した。
一層警戒を強くするフリッツに、シウムはわずかに苦笑した。
「知っていますよ、もちろん。真魔に対抗できる、数少ない手段ですしね」
真魔。その言葉が再びフリッツの頭をよぎった。
粘つくような不快感がこびりつき、フリッツは相手がアリシアの命を奪いかけたことも忘れて、思わず問いかける。
「真魔とは、一体何ですか?」
その言葉はシウムには意外だったらしい。一瞬目を見開き、そして苦笑を一層深くする。
「神器を持っているのに、真魔に詳しくないとは、珍しい事があるものですね」
皮肉かそうではないのか、わからないことを口にしてから、シウムはフリッツを見つめた。
深い、暗灰色の瞳。従兄弟であるはずのクリスとは似ても似つかないその瞳が、フリッツを見定めるように、動かなくなる。
「真魔というのは、反存在です」
一言で表現されて、フリッツは眼を点にした。その様子を見てから、シウムは言葉を続ける。
「もう少し詳しく言いましょう。人間であれ、獣であれ、魔族であれ、私たちは生きることを第一の目的としています。皆がそうすることで争いも生まれますが、連綿と世界は形を変えて、続いていくのです」
シウムは少しだけ、花畑を見た。フリッツがつられて視線を向けると、白い小さな花が、先程までと変わらずに佇んでいた。
わずかに、苦笑ではない笑みを一瞬浮かべてからシウムは続ける。
「しかし真魔は違います。真魔は、世界を壊すことを目的としています。そこには、自分が生きるという考え方はありません。ただ世界を滅亡へと一歩、進めるために全存在をかけるのです」
フリッツの視線の先で、シウムは表情を一変させていた。怒りを堪えるその顔は、フリッツが初めて見る、笑み以外の顔だった。
「あらゆる種族から生まれる、滅亡の因子。反転した存在。それこそが真魔」
私と貴方たちは、対立していますが、と前置きを忘れずに、それでもシウムは言葉を紡いだ。フリッツにもはっきりとわかる、強い感情を込めて。
「世界の敵です」
込められた感情は、敵意。
一瞬、強い風が吹き抜けた。
それでも、頭上では変わらず輝く月が、星が、二人を見下ろしていた。
「今はやめましょう」
どれくらいの時間がたったのか。フリッツはシウムの声で我に返った。
シウムはその隙をつくでもなく、ただもう見慣れた微笑みを浮かべ、続ける。
「こんなにも美しい夜に、戦う必要もないでしょう?」
言われて、フリッツは自分がいまだに棍を握りしめていることを思い出した。
それをシウムに向けるか、わずかに考えて――
「そうですね」
主の言葉に反応して、金の棍は螺旋を描く金色の腕輪へと戻っていった。
それに満足気に頷いて、シウムは昼間フリッツとクリスがお茶を楽しんだ椅子へと腰を下ろす。
「座りませんか?」
その誘いに頷いて、フリッツも隣の椅子へと座る。
「世界は美しい。花も、月も、星も。それから、人も」
シウムは一人呟く。フリッツは何も言わない。
それは奇妙な空間だった。
互いに対立していて、恐らく次に会った時は互いの命すらかけて戦うことがわかっているのに――今は隣に座り、誰もいない中庭で、夜に咲く白い花を、空に浮かぶ月を眺めている。
それは奇妙で――心地いい空間だった。
「どうして、夢魔の味方のような真似を?」
フリッツが下手糞な探りを入れると、シウムは無粋ですね、と小さく零してから、それでも隠しもせずに答えを告げる。
「夢魔も生きているのですよ。この世界に」
微笑はそのままに、しかしその言葉には確固たる意志が込められているのがわかった。
それはもしかすると、フリッツやビット、そしてアリシアと何も変わらない、強固な自身を支える意志。
それを説得するのは、無駄とわかりつつ、フリッツはさらに尋ねる。
「クリスの妹を眠らせていてもですか?」
シウムは一瞬だけ表情を曇らせたが、それでも否定することなく頷いた。
「それでも、ですよ。人間も動物を食べます。それと同じように、夢魔は人の精気を吸います。それらは哀しいですが、避けられないことです」
やはり無駄らしい。フリッツは説得を諦めた。
「そうですか。なら……」
「そうですね」
フリッツの言葉を遮って、すべてわかっているというようにシウムは頷いた。
そして、別の言葉を紡ぐ。
「ただ、今は……」
「そうですね」
今度はフリッツがシウムの言葉を遮った。すべてわかっているというように、頷く。
それきり二人は一言も喋らず。
この大きな世界で同じ風景を眺め、そして同じ時間を過ごしていった。
隣にいるのは敵であるにも関わらず、フリッツはこの時間をなぜか、得難いもののように感じていた。