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炎天の中、通気性の悪いマスクを被って長時間外にいたら具合が悪くなるのは当たり前だ。意識がはっきりしているので軽度の熱中症だな。涼しい場所に移動して水分補強をさせて……とにかく一番の原因であろう、このカエルのマスクを脱がせなくてはならない。
「マスク取るよ……」
顔を覆っているマスクに手を伸ばした。その瞬間。痛みを感じるほどの強い力でカエル男に手首を掴まれる。伸ばした手はマスクに触れることすら叶わなかった。腕がぴくりとも動かせない。手首を掴む力はどんどん強くなる。耐えられなくなり俺は声を上げていた。
「痛っ!! いて……いってーー!!」
「……余計なことするな」
「分かった! 分かったから……離せよ!!」
一瞬拘束が弱まった隙を付いて、俺は思い切り腕を振り払った。手首は真っ赤になっている。くっそ……どんな馬鹿力で掴んだんだよ。
「いきなりマスクに触ろうとしたのは謝るけど、そんなの被ったままじゃ具合悪いままだよ。あんた熱中症起こしてんだから」
「……熱中症? 僕が?」
「そうだよ。顔見せるのが嫌なら、せめて鼻と口だけでも出しな。それだけでもだいぶ変わるから」
熱中症という言葉を聞いて、カエル男は唖然としている。まるで、それにかかったのが心底意外だとでもいうように。
「えっ?」
カエル男はマスクの下部分を掴み、そのまま頭上に向かって持ちあげた。さっきまでマスクに触れられることすら拒んでいたというのに。いきなり態度変わり過ぎだろ。
そうして俺の前に晒されたカエル男の顔……といっても下半分だけ。これで個人を特定することはできない。そんなことよりも、顔に怪我をしているとかマスクを取るのを躊躇う理由があったのかもと少し気掛かりだった。でも、露わになったカエル男の顔には特にそのような痕跡はなかったので、やはり単に顔を見られたくなかっただけなようだ。
「ほんとだ。ちょっと楽になった……」
「だろ。俺んちで休ませてやるから来な。立てる?」
「いい。もう放っておいて」
「はあ?」
いくら不審者のような見た目とはいえ、具合の悪い人間を放置なんてできない。それなりにいい歳だろ……このおっさん。自分の今の状況理解してないのか。
「いやいやいや……そんな事できねーって。あっ、俺んちが嫌なの?」
それ以降、カエルのおっさんは喋らなくなってしまった。無視されることには腹が立ったが、喋るのが辛いのだろうと考えて我慢した。
どうしようか。本人が放っておけと言ったのだから、そうした方がいいのか。いや、ダメだろ。せめて日陰の……屋根がある場所で休ませないと。俺よりも背が高くて体格も良いカエルのおっさんを抱えて移動するのは難しい。
「あーー!! もうっ、しゃあねーな」
幻獣の……スティースの気配を感じる。数は少ないがこの辺りにもいるようだ。むやみやたら魔法を使わないようにすると決めたばかりだけど、人命が関わっているのだから仕方ない。カエルのおっさん、後で俺に感謝しろよな。
神経を研ぎ澄まして、スティースとの対話準備を始める。足元に魔法陣が出現し、青白く光り輝いた。
『交渉』
「……涼しい」
「あ、良かった……気が付いた。いよいよ救急車呼ぶとこだったよ」
放っておけと言ってから全く喋らなくなってしまったカエルのおっさん。症状が悪化したのかと焦ったが、なんとか大丈夫そうだ。
「コレ……キミが?」
おっさんが『コレ』と言うのは、今発動させている魔法のことだ。俺の足元に契約の魔法陣が現れているので、分かったのだろう。
「そう。この近くにいた幻獣に力を貸して貰ったんだ。さすがに日陰までは作れなかったけどね」
風を操るスティース……彼らと契約を交わした。内容はカエルのおっさん周辺に冷たい風をおこして気温を僅かに下げること。
空に浮かぶ雲を動かして日陰を作るなんてこともできたら良かったけど、ここにいるスティースの力では無理だった。仮に出来たとしても、そんな派手な魔法を使えば一体どれだけの対価を持っていかれるのか予測不能過ぎて怖い。
「だからこれで我慢して」
おっさんの頭に影ができるように日傘をさしてやった。魔法はとても便利だけど、対価を渡す必要があることを考えればなるべく自分の力で解決した方がいい。
「……見返り量が1を下回ってる。平均なら10は持っていかれるだろうに……それだけヴィータの質が良いのか」
喋らなくなったと思ったら急に意味不明なことをブツブツ呟きだした。意識が朦朧としてんのかな……だとしたら全然大丈夫じゃないな。
「カエルのおっさん、これ飲みな。すっきりするよ」
体を冷やしたら次は水分補給だ。日傘と一緒に家から持ってきたレモン水を手渡してやった。しかし、カエルのおっさんはグラスの中身をまじまじと見つめたまま手を付けようしない。
「いや……僕は……」
「熱中症なんだから水分摂らなきゃ。レモン嫌い? 普通の水にする?」
「そういうことじゃなくて……」
「だったらぐずぐずしないでさっさと飲む」
少々強引ではあったけど、俺はカエルのおっさんにレモン水を飲ませた。最初こそ抵抗する素振りを見せたが、冷たい飲み物が喉を潤す感覚が心地良かったのだろう。ひと口目以降は自ら進んでグラスを傾けた。
「……美味しい」
「良かった。それさ、俺が作ったんだよ。ランニングの後とかに飲んだりするんだ。レモンの他に蜂蜜と塩も入ってるから、熱中症対策にもおすすめな飲み物デス」
「キミが作ったの……」
「そうだよ。気に入ったならもう一杯持ってこようか?」
「うん……」
カエルのおっさんは俺の言葉に頷いた。大丈夫だと強がってはいたが、やはり体は水分を欲していたのだろうな。
「OK。すぐ持ってくるから。待ってる間にこれも……食べれそうだったら食べて」
塩飴を数個ほどカエルのおっさんに手渡した。これは祖母が夏場に常備しているおやつ。結構美味しいんだよね。
空になったグラスを受け取り、自宅に戻ろうとしたところでカエルのおっさんに呼び止められた。
「待って。キミ……名前は?」
「へ? 河合だけど……食事処『河合』の。来たことあるから知ってるでしょ」
「そうじゃなくて、キミの!! 河合……なに?」
荒々しい口調で聞き直されて体がビクついた。何でそんなキレた感じなんだよ。元気になってきたからってさ……
「透……河合透だよ」
「とおる」
「そう、漢字は透明の『透』って書く」
「河合……透。とおる……とおる、とおる」
カエルのおっさんは心に刻み付けるかのように、俺の名前を何度も繰り返し口にした。その真剣な様子に少し恐怖を覚えてしまう。 聞かれたので普通に本名を名乗ってしまったが、変なことに使われたりしねーだろうな。
熱中症で弱っていたから一瞬忘れていた。こいつが巷で噂になっている不審人物だということを……