依頼主からの記憶は、無事届けることができた。
お届け先からも、受領印代わりの言質はもらえた。
だが、これで終わりではない。いや紡織師は、これからが一番の難所だ。
挨拶もそこそこに、アネモネは外套を雑に羽織ると、鞄を引っ掴んで窓から飛び出した。
客人として招かれたのだから、窓から帰る必要は無いと思うかもしれないが、実はこの仕事、やたらめったらお腹が空くだけではなく、もう一つ厄介なことがある。
無事記憶や願いを届けたあかつきには、それに関わった全ての者から紡織師の記憶が待ったなしに消えてしまうだ。
とはいえ、神様のお情けなのかわからないけれど、一瞬ではない。
笛が腕輪に戻るまでの間は猶予がある。言い換えるなら、その間に屋敷から出ないといけない。そうしなければ、アネモネはただの不法侵入者となってしまのだ。
「お邪魔しました!」
勢い良く窓を跨いで地面に着地したアネモネは、アニスに向かって一礼する。
すぐさま引き留める声が背後から聞こえたけれど、振り返ることなく片手を上げて終わりにする。とにかく急がなければならない。
記憶が消える範囲はかなり広い。間違いなくブルファ邸にいる全員、アネモネのことを忘れるだろう。
笛が元の形に戻るのは、その時によってさまざまだ。師匠とて予測することはできなかった。
だからアネモネは、ブルファ邸の門扉まで全力疾走する。不法侵入で自警団に突き出されたら、言い逃れはできないからだ。けれども──
「アネモネっ。待ってくれ!!」
脱兎のごとく逃げるアネモネを呼び止めたのは、ソレールだった。
しかしアネモネは、ソレールの制止を振り切り、とにかく逃げる。でも、あとちょっとで門前というところで腕を掴まれた。
「どこに行こうとしているんだっ」
腕をぐいっと引っ張られたと思ったら、強く抱きしめられてしまった。
「……私、家に帰らないと」
最後の最後は嘘を付きたくないという気持ちから、アネモネは精一杯の真実を捻り出した。
でも、自分を抱きしめる腕は緩むことはない。
その力強さこそがソレールの意思で、”絶対に離さない”と宣言している。
「そうか。だが、一人では帰らせない。送っていく」
「駄目、お仕事あるでしょ」
「許可は貰うから、そんなこと心配しないでいい。さ、戻ろう」
ソレールは腕を解くと、問答無用でアネモネを抱えるように歩き出す。
けれど、数歩足を動かした後、ピタリと止まった。
「アネモネ、約束を覚えているか?……覚えているよな」
「っ……!」
「全部終わったら私の気持ちを聞いてもらう、と。もう語っても問題ないな」
返答を待つことをせず、一方的に結論付けたソレールは、アネモネの肩を掴んだまま正面に立つ。
「聞いて欲しい。アネモネ……私は君を──」
ぐっと拳を握って続きの言葉をソレールが紡ごうとした瞬間、
笛は、腕輪に形を変えた。







