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まなこ〜友
117
#ますしき
T
5,800
ゴールデンウィークが過ぎ去り、時は七月を目前に控えていた。
梅雨が明け、ここ数日はからりとした快晴が続いている。オフィス内は平年並みの暑さをしのぐために冷房が強めに入れられ、デスクに冷たい飲み物を置いて仕事に励んでいた。
あの連休以来、雅とは会えていない。それでも連絡は絶やさず、私達はそれぞれの日常を淡々と積み重ねていた。
「朝比奈、ちょっといいかな」
不意に上司から声をかけられ、私は「はい」と短く応じて作業を止めた。
改まった呼び出しに、背筋に微かな緊張が走る。上司の後について会議室へ向かうと、私をリラックスさせるように、穏やかな笑みを浮かべて席へと促した。
「今日本社から、七月十四日を支社での勤務を最後に23日の月曜日から本社勤務だと通達があったよ」
「え!?」
「一年程だったけれど、本当にお疲れ様」
労いの言葉が、驚きで固まった心にじんわりと染み渡る。
早ければ一年とは聞いていたけれど、予想以上に早い帰還だった。
何より、雅の誕生日は七月二十一日。その日を向こうで迎えられる。
そう確信した瞬間、思わず口元が緩んだ。
「ありがとうございます!」
「広報部で仲が深まっていたから寂しくなるんじゃないか」
「ですね。本社だとこんな雰囲気ではないので……」
「わかるよ。周りは意識高くやってるから、置いて行かれないようにするので必死だよな」
上司とそんな冗談を交わしてから、オフィスへと戻る。
お世話になった部署の人たちへの挨拶、仕事の引き継ぎ、そして引っ越しの準備。また慌ただしい日々が始まるけれど、私の足取りはどこか軽かった。
時は流れて、七月十四日。
支社での勤務最終日。クリエイティブ局の仲間達が送別会を開いてくれることになっていた。雅にはまだ、来週戻ることを伝えていない。私は送別会が始まる前のわずかな合間を縫って、彼に電話をかけた。
すでに出勤している時間だとは思ったけれど、伝えるなら今だと電話を掛けてみることにした。数回の呼び出し音の後、プツリと音が止まり『はい』と不愛想な声が響いた。
客の気配はなく、電話の奥からは話し声一つ聞こえてこない。
「久しぶり」
『久しぶりじゃん、何か用?』
「あんたに良い報告してあげようと思って」
私がそう告げると、受話器の向こうで『いい報告?』と呟くのが聞こえた。
来週帰れると言ったら、彼はどんな反応をするだろう。喜んでくれるだろうか、と少しの期待に胸を躍らせながら、私は「あのね」と本題を切り出した。
「来週、帰れそうなの。あんたの誕生日の日に」
けれど、返ってきたのは沈黙だった。
予想外の無反応に、私は戸惑いを隠せない。
「ちょっと、無視は流石に感じ悪いんじゃないの」
『……ああ、ごめん。聞いてるよ』
喜んではくれなくても『やっとか』くらいの軽口は返ってくると思っていた。それだというのに、雅の反応はどこかおとなしく、言葉数も極端に少ない。いつもと違う空気感に、どうにも調子が狂ってしまう。
「……嬉しいでしょ?」
いつもなら自信たっぷりに言えるはずの言葉が、今日は不安で震えた。ずっと待たせてしまっていた自覚はあるけれど、また一緒に暮らせるようになるのだから、彼も同じように喜んでくれていると期待していた。
不安の滲む私の問いかけに、電話の向こうで雅が微かに笑う気配がした。
『……夏帆は?』
不意の質問返しに、いつもなら先に聞いたのはこっちでしょと返してしまいそうなところだけれど、今日くらいは素直になってもいいかな、と私は尖りかけた言葉を飲み込んだ。
「……嬉しい。誕生日のお祝いもできるし、待ち遠しい」
『そっか、うん。俺も』
落ち着いたトーンで返ってきたその言葉が、何よりも嬉しかった。雅も同じ気持ちでいてくれるというその確信が、胸を安心感で満たしていく。
「これから送別会開いてくれるらしいから、行ってくるわ。またね」
『飲み過ぎんなよ』
「大丈夫よ、自分のキャパぐらい理解してるもの」
そう返して、電話を切った。
本社に戻り、またキャリアを積んでいけるという高揚感よりも、今は雅と暮らせる日常が戻ってくることに、心が浮き立っている。
もともとは出世のために、支社の方にやってきたはずだったけれど今の私にとっては、会社での立場よりも、彼と過ごす何気ない時間の方がずっと大切だった。
コメント
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支社勤務最終日、雅に「来週帰れる」と伝えたときの電話の空気感がすごくリアルで印象的でした。彼の反応がいつもより静かで「……夏帆は?」と聞き返してくるところに、ずっと離れていた時間の重さみたいなものを感じました。最後に「俺も」と返すトーンが穏やかで、ちゃんと届いた言葉だったのがじんわり沁みますね。これでようやくまた二人暮らしが再開する。この距離が縮まる瞬間をずっと待っていた気持ちが、よく伝わってきました。