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伊織
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職業訓練所と学校は、多少のドタバタこそあったものの、順調に軌道へ乗り始めていた。
毎朝届く報告書にも、大きなトラブルはなし。そして、建国祭を翌日に控えたその日の朝――。
(……明日は、建国祭)
机の上の暦へ目を落とす。
ゲームでは、この祭りを境にカイル殿下とシェリーの距離が一気に縮まる。カイル殿下が聖女をエスコートし、二人で祭りを回り、最後の花火を見て――そこから、ソフィアの破滅は加速していった。
けれど、今は違う。横領事件のように、ゲームと同じ出来事が起きても、その結果は変えられてきた。何より――今のカイル殿下は、ゲームの彼とは全然違う。
(……だから、明日だってきっと大丈夫)
そう思いながら、アンナから渡された予定表へ目を落として――固まった。
(……何これ?)
午後からの欄が、ぽっかりと真っ白に空いている。
(会議もなし。視察もなし。書類仕事も……ゼロ!?)
こんな空白、皇太子妃になって以来初めてのことだ。殿下の侍従に呼ばれ、彼の執務室へやってきたのだけれど――。
「……何か御用ですの?」
「今日は、お前と城下町へ行く」
「は?」
「明日の建国祭を前に、街では前日祭が始まっているらしい」
カイル殿下は一度言葉を切り、真っ直ぐな瞳でこちらを見つめた。
「……前に言った通り、お忍びで祭りを見に行かないか?」
「…………」
そういえば以前、そんな誘いを受けていた。
『……お忍びで、城下町の祭りを見に行かないか』
「お前の予定に差し支えないよう、部下に指示して前から調整しておいた」
(そこまでして!?)
(そんなに私とデートしたかったわけ!?)
仕事でも視察でもないことに、半日も使うなんて……。カイル殿下が、期待に満ちた瞳でじーっとこちらを見つめている。
(うっ……そんな顔しないでよ……)
「……分かりましたわ」
パァァッ!
(分かりやすすぎる……)
カイル殿下が、机の上へ小さな木箱を置いた。
「その前に、これを使う」
「これは……宝石?」
「《幻装石》だ。かつて大魔導士が皇室へ献上した変装用の魔道具で、髪と瞳の色を数時間だけ変えられる。ただし、一度使えば砕ける。現存数も少ない」
(髪と瞳の色を変えて、数時間は別人になれる……)
(これ、逃亡用にめちゃくちゃ便利じゃない!?)
私はすっと身を乗り出す。
「カイル殿下……♡ これ、ほかにもありますの?」
「あるにはあるが、皇室の管理品だ」
「でしたら、一つ私に譲ってくださいません?」
「駄目だ」
「即答ですの!? 一つくらいいいじゃありませんか!」
「特別な使用許可が必要なものだ。勝手に持ち出して譲ることなどできない」
(それじゃあ仕方ないけど……!)
「ふんっ、ケチ!」
私はそっぽを向いて腕を組んだ。
「融通の利かない男は嫌いよ!」
「…………っ!!」
カイル殿下が目を見開く。そして――しゅん……と、分かりやすく肩を落とした。もし犬の耳と尻尾があったなら、両方ともぺたぁっと垂れ下がっているに違いない。
「……ほかに欲しいものがあるなら言え」
「はい?」
「俺に用意できるものなら何か贈る。だから……機嫌を直せ」
(何これ。チョロい)
(あまりにもチョロすぎるわ……!)
「私が言いすぎましたわ。よしよし」
「……子ども扱いするな」
背伸びをして頭を撫でる。文句を言うくせに、避ける気配は微塵もなかった。やがてカイル殿下は小さく息を吐くと、机の脇に置かれていた包みを差し出した。
「これに着替えろ」
「……服?」
中に入っていたのは、庶民の女性が着るようなブラウスとロングスカートだった。
「準備がよろしいですこと」
「目立っては意味がないからな」
「では、更衣室をお借りしますわ」
執務室の奥にある更衣室へ入り、手早く着替える。髪もサイドへ流し、ゆるく三つ編みにまとめた。
数分後。
「お待たせしましたわ」
執務室に戻り――思わず足を止める。
「…………」
私が着替えている間に、カイル殿下もすでに支度を済ませていたらしい。いつもの軍服ではなく、白いシャツに革のベスト。
(服が違うだけで、ずいぶん雰囲気変わるわね……)
「準備はいいか」
「ええ」
カイル殿下が二つの《幻装石》へ魔力を流す――。 淡い紫色の光が、ふわりと私たちを包み込んだ。
「わあ……」
姿見を覗き込み、目を丸くする。金色だった髪は、ハニーブラウンへ。エメラルドグリーンだった瞳は、紫色へ変わっていた。
「……誰?」
「お前だ」
(いや、分かってるけど!)
振り返り――今度は私が息を呑んだ。
「…………」
カイル殿下の黒髪は、アッシュグレーへ。青い瞳は、温かみのある琥珀色へ変わっている。
(…………何これ)
「どうした?」
(顔が良すぎる街の好青年じゃないの……!)
「ソフィア? 顔が赤いぞ」
「変装魔法の副作用ですわ!」
「そんな副作用はない」
「いちいち細かいわね!」
「……街では“殿下”と呼ぶな」
「あ」
確かに。せっかく姿を変えても、『殿下』なんて呼んだら全部台無しだ。
「では、何と?」
「……カイでいい」
「カイ」
「…………」
呼んだ途端、カイル殿下はふいっと視線を逸らした。
「何ですの、その顔」
「いや……もう一度呼べ」
「嫌ですわ!」
「なぜだ」
「なんか負けた気がして悔しいからです!」
(だって普通に、休日デートする彼氏そのものなんだもの!)
(しかも超絶イケメン!)
するとカイル殿下は、満足そうに目を細めた。
「お前も、今日はソフィだ」
「……ソフィ?」
「ああ。嫌か?」
「いえ……」
(何これ)
(名前が変わっただけなのに、急に距離が近すぎて調子狂うんだけど……!)
コメント
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みぅです🤍🥀 第40話、読ませていただきました…! お忍びデート、しかも変装魔法なんてロマンチックすぎます…💘 「逃亡用に便利じゃない?」ってソフィアの転生者感、最高でした(笑) カイル殿下がしゅん…ってなるところとか、名前呼びのやり取りとか、甘酸っぱくて胸がきゅんとしました🌙 二人の距離が確かに縮まってるのが伝わってきて、建国祭がどうなるのか、すごく楽しみです…!