テラーノベル
アプリでサクサク楽しめる
そしてまた、洋樹は私のアパートに来なくなった。
プロポーズを断ったあの日の会話が、別れ話だったのだと思う。
今日、洋樹が来月他の支社に異動することが社内報で開示された。
しかし、引き継ぎや引っ越しの手続きの為に、今月の半ばにはこの支店に来なくなるらしい。
洋樹は、支店のみんなで計画した送別会の開催を『絶対泣くからやらなくていい』と断った。
『何故滝川を連れて行かないのか』など、探られるのが面倒なのだと思う。わざわざ『別れました』などと発表するのもおかしな話だし。
私はと言うと、他の社員たちに『滝川さん、山下さんについて行かないってことは、そういう話にならなかったんだよね』と影で可哀想な人扱いされている。
いちいち詮索されたくないので、噂はそのままに。
誰も私たちの事情に触れないで。首を突っ込まないで。
だってあれからずっと、心臓の辺りがヒリヒリするの。
本日も定時に仕事を終え、帰宅。
洋樹と一緒に帰ることは、もうない。当然1人だ。
乾いた喉を潤そうと冷蔵庫を開き、ミネラルウォーターに手を伸ばす。
ミネラルウォーターのボトルの蓋を捻りながら、冷蔵庫の中身を眺める。
「……夕食、何を食べよう」
おいしいと言って食べてくれる洋樹は、もういない。
自分の為に料理をするのは、何だか億劫だ。
「……課長」
課長の為に料理を作ろうと思った。
正確に言うと、料理を持って行くという口実で、課長と話をしたいと思った。課長に話を聞いて欲しいと思った。
課長に聞きたい話があった。
課長にとって、触れられたくない、首を突っ込んで欲しくない話かもしれない。
だけど、知りたい欲求が私を動かす。
冷蔵庫から、茄子とオクラと豚肉スライスを取出し、夏野菜の肉巻きを作る。
野菜に豚肉を巻きつけて火を通すと、甘辛のタレに絡める。
出来上がったものをいつものタッパーに詰め込み、トートバックの中に入れると、アパートを出た。
チャリの籠にトートを押し込み、サドルに跨ると、会社へと走る。
会社のビルに辿り着くと、会社の電気が点いているかの確認の為にビルを見上げる。
明かりは点いていた。
時刻は20:00ちょっと過ぎ。
この時間まで残業をしている社員は少ない。
いるとしたら、課長だ。
チャリの籠からトートを引き抜き、会社へと急ぐ。
早く、課長に会いたいと思った。
エレベーターに乗り込み、会社のある階へ。
セキュリティカードを翳し、会社のドアを開けると、
「あ、お疲れ様です。滝川さん」
今や私が就業後に会社にやってくるという行為をすんなり受け入れている課長が、笑顔で近づいて来た。
「お疲れ様です。今日は、茄子とオクラの肉巻きです」
そんな課長に、トートからタッパーを取出し、渡す。
「流石滝川さん。分かってますね、男の好物が。有り難く頂戴します」
課長が嬉しそうにタッパーを受け取った。
目じりを下げる課長につられて、私も笑みが零れる。
課長に会うと、いつも心がほっこりする。
だから私は、課長に会いたくなってしまうんだ。
給湯室で2人分のコーヒーを淹れると、それを持って課長のデスクへ。
コーヒーを飲みながら、いつもの談話モードに入る。
コーヒーに息を吹きかけて冷ましながらマグカップに口を付けていると、
「込み入った事を聞いてしまいますが、滝川さんはどうして山下くんについて行かないのですか?」
初っ端から課長が、結構な鋭角から話を振ってきた。
思わず口の中のコーヒーをリバースしかけたのを、無理矢理喉に押し通す。
「……はい?」
課長には、洋樹と付き合っていたことを話していなかった。話す必要もないと思っていたから。
「山下くんと付き合っているんでしょう? 2人、異常に仲が良いから普通に気付いていましたし、実は山下くん本人からも聞いていたんです。この前、『日花里に手料理作ってもらってるんですよね?』って詰め寄られていたりもします」
困った顔をしながらも、あっけらかんと笑いながら話す課長。
「……え」
知らなかった。洋樹が課長にそんな話をしてたなんて。
「自分の彼女が他の男に手料理を食べさせることに腹が立つのは理解出来るのですが、相手は一回り以上も年上のオジサンじゃないですか。山下くんが嫌がるなら、滝川さんの厚意をお断りしようと思ったんですけどね、それじゃあまるで、私が滝川さんを意識して恋愛感情を持っているみたいじゃないですか。滝川さんだって、独り身のオジサンの恐ろしい食生活を危惧してくれただけで、それ以上の感情なんかあるはずもないのに。まぁ、若い男の子に嫉妬の対象にされたことは、ちょっと嬉しかったですけどね」
洋樹との会話を思い出して「ふふふ」と笑う課長。だけど、私は笑えない。今日は課長と笑い合えない。
「で、その時に『もうすぐ山下くんに異動の内示が出る』と伝えたんです。心配なら、覚悟があるなら、滝川さんを連れて行ったらどうですか? って。山下くん、言ってましたよ。『日花里を連れて行きたい』って。でも、『自分には覚悟がある。でも、日花里が同じとは限らない』と心配していました。山下くん、1度だけ浮気をしてしまったことがあるそうですね。やっぱり引っかかりますか? でも山下くん、滝川さんを本当に大切に思っていますよ」
課長が、諭す様に私に話し掛ける。
課長の話で、洋樹と私のケンカからプロポーズまでの空白の1週間が埋まった。
洋樹が決意を固めた1週間。私は『どうやって仲直りしようか』などと学生の様に悩んでいた。
情けなくて、申し訳なくて、胸がぎゅうっと締め付けられる。
私だって洋樹を大切に思っていた。だけど……。
「……私が課長に料理を作るのは、課長の食生活を心配してだと思いますか? 本当にそう思いますか? 私が課長に料理を届ける目的は、課長と話がしたいからです。課長に会いたいからです。私は課長のことが好きなんです」
勢い余って自分でも思いも寄らぬ言葉が口を吐き、言ってしまった後に口を手で押さえた。
何でこんなことを言ってしまったのだろう。
自分の気持ちに気付いていなかったと言ったら嘘になる。
だけど、洋樹との別れに気落ちしているのも確かで、課長を好きなのならば、どうしてこんなに辛い思いをしているのか分からない。
頭の中がごちゃごちゃだ。
「滝川さんって、お父さんっ子だったでしょう。オジサン好きなのかな」
課長が私の突拍子もない告白を笑い流した。
脳内の整理もついていないままの告白だったけれど、そんな風に片づけないで。
だって、好きな気持ちは本当だ。
「おばあちゃんっ子です。ファザコンじゃないです。笑わないでください。冗談話にしないでください。……迷惑でしたか? それならそう言ってください。私は真剣に言いました。そんな風に流さないで……」
言いながら涙が出た。
情緒不安定にヒステリックに泣く自分を、どうして良いのか分からない。
「滝川さんの気持ちは凄く嬉しいです。ありがとうございます。でも、滝川さんとお付き合いすることは出来ません」
課長が笑うのをやめ、真剣に私の告白を断った。
課長に振られ、涙の量が増す。いい大人が何てみっともない泣き方をしているのだろう。
自分でも驚くほどに、子どもみたいに鼻水を垂らしながら号泣。
好きな人に好きになってもらえないことは、いくつになっても悲しい。
なかなか泣き止めずに、何度も手の甲で顔を拭う私の傍に、課長がボックスティッシュを箱ごと置いた。2、3枚では足りないと判断したのだろう。
箱からティッシュを豪快に何枚か抜き取り、ビショビショの顔に押し当てた。
振られた自分。涙で化粧の落ちたボロボロの顔。
思考回路に恥も遠慮もなくなり、脳みその大半をヤケクソが支配した。
「……私も込み入ったことを聞いていいですか?」
ティッシュで顔を覆いながら、課長が話したがらないだろう事を聞き出そうとする。
振られたのに。だから課長の過去に何があろうとも、私には関係ないのに。
でも、どうしても気になる。
「……死んだ妻の話ですか?」
私が『込み入ったこと』と言った時点で察しがついたのだろう。課長の表情に影が差した。
「……噂が立っていること、知ってたんですね。ずっと、引っかかってたんです。課長が自分のことを『優しくない』と言っていたことが。私は、そうは思わないから。課長といると、心が穏やかになりました。優しくて楽しい人だなって思いました。だから私は、課長を好きになりました。亡くなった奥様の話は、他人にベラベラ話たくはないと思います。だけど、課長に振られて馬鹿みたいに大泣きする私を、【可哀想な人間】と同情して話してもらえませんか? だって私、本当に好きなんですよ。課長のことが。せめて、納得して諦めたいんです。誰にも口外しません。約束します。だから……」
『聞かせてください』まで声が続かず、頭を垂れながらまた泣く。
私は貪欲な人間だ。
振られても尚、好きな人の事を知りたがる。
コメント
1件
うわ、第9話めっちゃ刺さった……。課長に告白した後の日花里の心情、胸がぎゅうぎゅうするわ。好きな人に「お付き合いできない」って真剣に言われるの、大人になっても悲しいよね。課長の過去話も気になるし、振られたのに「知りたい」って貪欲になるところ共感しちゃう。感情描写が丁寧で泣けた。続きめっちゃ気になる!