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「事が事なので、噂になることは覚悟していました。実際、本社にいる時も暫くは社員たちの話題の的でしだし。私は優しくないけれど、美味しい手料理を届けてくれて、私を好きだと言ってくれた滝川さんのお願いを突っぱねることが出来るほど鬼にもなれません」
「……話してくれるんですか?」
課長の言葉に顔を振り上げると、泣きそうにも見える苦しそうな表情をした課長と目が合った。
課長が何かを話し出そうと「ふぅ」と小さく息を吐いた。
「『私が妻を死なせた』という噂は、事実です」
「……」
『嘘でしょう?』『そんなはずないでしょう』など、言いたい言葉はいっぱいあった。でも、それらを全て飲み込み、課長の次の言葉を待つ。
課長の話の腰を折ったり邪魔をしたくなかったから。
「死んだ妻とは、大学で出会いました。同い年で学部も学科も一緒。すぐに仲良くなって、付き合うようになりました。大学を卒業しても順調に交際を続けて、社会人になって3年が経った頃に結婚しました。結婚までの付き合いも長かったですし、お互いに子ども好きだったこともあり、新婚生活を楽しみたいというよりは、早く子どもが欲しいと2人共が願っていました。でも、なかなか授かることが出来ませんでした。結婚して5年が過ぎた頃、彼女から『病院に行こう』と提案されました。2人で検査を受けて分かったのは、【彼女が妊娠しにくい身体】ということでした。彼女は、それでも私の子どもを産みたいと不妊治療を頑張ってくれました。治療は実を結ばないまま、さらに5年が過ぎました。……辛かった。治療が上手く行かずに苛立ち悲しむ彼女を、自分のせいだと自分を責める彼女を見るのが。私たちより後に結婚した同僚に子どもが出来ると、『おめでとう』という気持ちは確かにあるのに、焦り羨んでしまう自分のことも嫌になりました」
課長が自分の膝の上で拳をぎゅうっと握った。
無理矢理そんな話をさせている私に、苦しそうに言葉を発する課長の手を撫でることは出来ない。
私もまた、自分のスカートを握りしめた。
「私には、【我が子を真ん中にして、奥さんと3人で手を繋いで歩く】という夢がありました。結婚したら叶うものだと思っていました。大そうな夢ではない。ささやかな希望だと思っていました。諦めきれなかったんです。結婚して10年。彼女も私も35歳。『今なら間に合うのではないか』と当時の私は思ってしまったんです。彼女にプレッシャーをかけたことはなかったと思います。しかし、彼女は私が子どもを欲している事を知っていた。だから、私が何も言わずとも、私との生活に何らかの圧力を感じているのではないかと思いました。世の中には子ども嫌いの人もいる。子どもを欲さず2人だけの生活をしたい夫婦だっている。お互いに別のパートナーを探した方が良いのではないかと考える様になりました。その方が、彼女もプレッシャーから解放されて幸せになれるのではないか。自分の夢も叶えられるのではないかと……。本当に馬鹿野郎でした。私からそんなことを言われれば、子どもが出来辛い彼女は『嫌だ』と叫ぶことも出来ない。お互いに別々の道を歩むことが最善策だと思い込んでいたあの時の私は、そのことに気付きもしませんでした。離婚話が纏まって、彼女に離婚届を渡したその日、彼女は自ら命を絶ちました。離婚届には署名はなく、その欄には『ごめんなさい。貴方の妻のまま逝かせてください』と書かれていました」
課長の声が震えていた。
自分が納得したいが為に、好きな人に辛い過去を思い出させて苦しめている私の方こそが、本当の馬鹿野郎なんだと思う。
「『子どもはいなくてもいい。2人で楽しく暮らせばいい』『どうしても子どもが欲しければ、養子を貰っても良い』という発想にならなかった私は悪魔でしかない。優しいわけがない。そもそも、人ひとり幸せに出来ずに殺してしまう私に、子どもを育てることなど出来るはずがない。だから、子どもが出来なくて良かったんだと思います。私はきっと、子どもまでも不幸にしていたと思います」
手までも震えだした課長が、後悔に落涙した。
「彼女は最後まで私の妻でいたいと願っていました。それほどに愛されていたのに私は……」
肩で呼吸をしながら嗚咽する課長。
大人の男の人がここまで泣く姿を見たのは、初めてだ。
「殺したんじゃない‼ 課長が殺したわけじゃない‼ 課長だって奥さんを愛していたでしょう⁉ 大切に思っていたんでしょう⁉ 奥さんに幸せになって欲しいと願って離婚を切り出したんでしょう⁉」
自責の念に駆られる課長を救いたいと思った。でも、何を言えば良いのか分からない。打ち消しの言葉を並べるのが精いっぱいだった。
「確かに直接手を下したわけではありません。彼女に死んで欲しいとも、彼女を殺してやろうと考えた事も1度だってありません。悪気がなければ何をしても良いのですか⁉ 彼女が死んだのは、私が離婚を切り出したことが原因です。悪意の無さは言い訳にならない‼」
課長の涙が幾粒も床に垂れ落ちて広がった。
「離婚話をせずに結婚生活を続けて、課長は奥さんを幸せに出来ましたか⁉ 課長自身は幸せになれていたと思いますか⁉ 奥さんの苦悩は計り知れません。でも、苦しんでいたのは奥さんだけじゃないでしょう⁉ 課長だって同じくらいに悩み苦しんでいたでしょう⁉ 課長は奥さんをずっと愛していたかったんじゃないですか? 子どもが出来ない奥さんを疎んでしまう日が来ることが怖かったから、離婚したかったんじゃないんですか? 離婚話をしなければ、奥さんが命を落とすこともなかったかもしれません。今も結婚生活が続いていたかもしれません。その中で、課長の考え方も変わって子どもを欲することもなくなったかもしれません。でも、変わらなかったかもしれません。変わらなかったら、課長はずっと自分の気持ちに嘘吐いて蓋をして日々を過ごしていたでしょうね。奥さんも、そんな課長を見ながら毎日を送っていたでしょうね。 それって、幸せって言うのでしょうか?」
私の目から、さっきとは違う涙が伝う。
振られて悲しい涙ではなく、課長の話に納得できずに悔しくて苦しくて、涙が出る。
「昔のドラマのセリフみたいなことを言うんですね」
課長は「フッ」と小さく息を吐いた。
「『自分の気持ちに嘘が吐けなかった』『自分の気持ちに素直に正直に生きるべき』。そんなのただの甘えです。我儘です。自分の気持ちになんか嘘吐けば良いんです。そうでなければ人が死んでしまう。大切な人が死んでしまうんです‼」
課長が拳を振り上げて、自分の太腿を叩きつけた。
やりきれない思いが溢れ出ているのが見て取れた。
「滝川さん。知っていましたか? 山下くん、今月最終日にも顔を出すと言っていましたが、実質今日がこの支店で仕事をする最終日だったんです。明日、10時の飛行機で向こうへ行くそうです。滝川さんはまだ間に合いますよ。自分を大切に思ってくれている人の手を離しても良いんですか?」
課長が私の肩を掴んで揺らす。
「……それは、自分の気持ちに嘘を吐け……ということですか?」
「山下くんを大切に思っていた気持ちを思い出してくださいということです。滝沢さんには後悔して欲しくないということです」
真剣な眼差しで私を諭す課長。
「……明日、有給にしてください」
「分かりました。申請は後日で大丈夫ですから」
課長がやっと笑顔を見せてくれた。
課長の言葉に背中を押され、洋樹に会いに行かなければと思った。
洋樹に会いたいと思った。
コメント
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第10話、読み終わりました……。 課長の過去、あまりにも重くて胸がぎゅっとなりました。自分を責める課長に「♡♡♡たんじゃない‼」って叫ぶ滝川さんの言葉が、まっすぐで泣けました。子どもを望む気持ちと、相手を想う気持ちのすれ違いって、こんなにも悲しいんですね。最後に課長が滝川さんを背中押すシーン、優しさが溢れててじんわりきました。洋樹くんに会いに行ってほしい……。