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第一話 神杯戦争、開幕
冬木の空は、五年前と同じ色をしていた。
鉛のように重い雲。
湿った夜気。
そして、街の奥底に沈殿する、焼け焦げた魔力の残滓。
衛宮士郎は、古びた土蔵の前に立っていた。
赤い髪は少し伸び、少年だった輪郭には青年の影が差している。けれど、その瞳だけは変わっていなかった。
折れそうで、折れない。
間違っていると知りながら、それでも誰かを救おうとする、ひどく不器用な光。
「……また、ここか」
ぽつりと呟いた声は、夜に吸い込まれた。
衛宮邸の土蔵。
かつて彼が、剣の少女と出会った場所。
五年前。
聖杯戦争。
灼熱の夜。
命を救われ、命を預け、命の意味を知った。
そして別れた。
別れたはずだった。
土蔵の床には、魔術円が刻まれていた。
士郎が刻んだものではない。
誰かが侵入した形跡もない。
それなのに、そこには確かに在った。
円は、聖杯戦争に用いられる召喚陣に酷似している。
だが、違う。
致命的に違う。
英霊の座へ接続するための術式なら、士郎にも見覚えがあった。遠坂凛に散々叩き込まれた知識だ。
だが目の前の陣は、中心部の構造が歪んでいた。
英霊の座へ伸びるはずの霊脈の導線が、途中で裂けている。
裂けた先は、空白ではない。
何か、もっと古いものへ繋がっている。
人が英雄を語るより前。
国が神話を編むより前。
火が名を得るより前。
世界がまだ、世界でなかった時代へ。
「おいおい……冗談だろ」
背筋が冷えた。
魔術師としての直感ではない。
人間としての本能が告げていた。
この陣は、開けてはいけない扉だ。
その瞬間、士郎の右手が焼けた。
「っ……!」
令呪。
五年前に消えたはずの赤い刻印が、手の甲に浮かび上がっていた。
三画ではない。
四画。
いや、違う。
三画の令呪の外側に、もう一つ、輪のような刻印が重なっている。
それは剣にも、翼にも、鎖にも見えた。
士郎が息を呑む。
直後、土蔵の空気が爆ぜた。
光ではなかった。
炎でもなかった。
夜そのものが裂け、そこから白銀の粒子が溢れ出す。
床板が軋む。
壁に掛けられていた工具が震える。
魔術円の中心から立ち上る魔力は、かつて士郎が知っていたどんな召喚よりも濃密で、重く、そして美しかった。
これは英霊召喚ではない。
聖杯戦争の始まり方ではない。
なのに。
士郎は知っていた。
この光を。
この剣気を。
この、世界を真正面から断ち切るような気配を。
光の中から、少女が現れる。
蒼いドレス。
銀の甲冑。
金砂の髪。
湖面のように静かな瞳。
五年前と同じ姿で。
五年前よりも遠い場所から。
彼女は、そこに立っていた。
「問おう」
凛とした声が、土蔵に響く。
「貴方が、私のマスターか」
士郎は、言葉を失った。
喉が詰まる。
息がうまく吸えない。
夢だと思いたかった。
けれど、右手の痛みが現実を告げている。
「……セイバー」
少女の瞳が、わずかに揺れた。
王としてではなく。
騎士としてでもなく。
アルトリア・ペンドラゴンという一人の少女として、彼女は士郎を見た。
「シロウ」
その名を呼ぶ声は、五年分の時間を飛び越えてきた。
士郎は一歩、踏み出しかけて止まった。
再会を喜ぶには、状況が悪すぎる。
泣きたくなるほど懐かしいのに、身体の奥で警鐘が鳴り止まない。
「セイバー、これは……聖杯戦争なのか?」
アルトリアは答えなかった。
代わりに、彼女は土蔵の外を見た。
その視線が鋭くなる。
「違います。これは、聖杯戦争ではない」
「じゃあ、何だ」
「おそらく」
セイバーは、見えない剣を握る手に力を込めた。
「神々が混ざっています」
その言葉と同時に、遠くで雷が落ちた。
ただの雷ではない。
空が叫んだ。
街全体を覆う結界が、悲鳴を上げるように軋む。
冬木の霊脈が逆流し、空の雲が渦を巻く。
その中心に、巨大な光の柱が立っていた。
場所は新都。
冬木大橋の向こう側。
士郎は歯を食いしばる。
「……行くぞ、セイバー」
アルトリアは一瞬だけ、士郎を見る。
その瞳に迷いはなかった。
けれど、そこには確かに、人としての感情があった。
「はい。ですが、シロウ」
「なんだ?」
「五年前と同じようにはいきません。今度の戦いは、英雄の戦いではない」
セイバーは静かに告げる。
「神話そのものが、戦場に降りてきます」
◆
遠坂邸の地下室は、赤い光で満ちていた。
宝石を媒介にした召喚陣。
精密な魔力制御。
術式の補助線。
どれも完璧だった。
遠坂凛は、完璧に準備していた。
はずだった。
「……嘘でしょ」
召喚陣の中心に立つ男を見て、凛は片手で額を押さえた。
赤い外套。
褐色の肌。
白い髪。
皮肉げな目つき。
最悪で、最高で、二度と会うはずのなかった相棒。
「久しぶりだな、凛」
アーチャーは、まるで昨日別れたばかりのような口調で言った。
凛は数秒黙った後、深く息を吸った。
そして。
「何であんたなのよおおおおおおおおおおおおおおおおっ!」
地下室に怒声が響いた。
アーチャーは眉一つ動かさない。
「再会の挨拶としては、実に君らしい」
「うるさい! こっちはね、今度こそまともな召喚をする予定だったの! 前回みたいな事故召喚じゃなくて、触媒も陣も時間も完璧に整えて、今度こそ完璧なサーヴァントを――」
「私では不満かね?」
「不満じゃないのが腹立つのよ!」
凛は叫び、すぐに口を噤んだ。
それが本音だったからだ。
五年前。
彼女はこの男と共に戦った。
憎まれ口を叩き合い、衝突し、騙し合い、助け合った。
最後まで素直になれなかった。
それでも、背中を預けられる相手だった。
凛は顔を背ける。
「……五年ぶりね、アーチャー」
「ああ」
「変わってないわね」
「君もな」
「私は成長したの」
「そうか。背は?」
「殺すわよ」
アーチャーは薄く笑った。
その瞬間、遠坂邸の結界が軋んだ。
凛の表情が変わる。
魔術師の顔になった。
「感じた?」
「当然だ」
アーチャーは天井を見上げた。
「これは聖杯の魔力ではない。質が違う」
「ええ。人類史の英霊じゃない。もっと古い……神代の匂いがする」
凛は唇を噛む。
地下室の壁に埋め込まれた魔術観測盤が、異常値を叩き出していた。
冬木全域に十五の巨大反応。
さらに別種の十五反応。
計三十。
聖杯戦争であるなら、あり得ない数。
凛は震える指で数値を読む。
「サーヴァント十五騎……それに、未分類霊基十五柱」
「未分類?」
「違うのよ。霊基が英霊のものじゃない。神核に近い。でも完全な神霊でもない。器に落とし込まれてる。まるで……」
「神を使い魔として再定義した、と?」
凛は苦い顔をした。
「冗談じゃないわ。そんなの、世界のルール違反よ」
「聖杯戦争がルールを守ったことなどあったか?」
「それをあんたが言うな」
凛はコートを掴み、階段へ向かう。
「行くわよ、アーチャー。士郎にも確認しないと」
「衛宮士郎か」
アーチャーの声が、わずかに低くなる。
凛は振り返らない。
「何よ」
「いや」
男は、苦笑とも諦めともつかない表情で弓を取った。
「また面倒な戦場に戻ってきたものだと思ってな」
◆
冬木大橋の上で、神が笑っていた。
それは少年の姿をしていた。
年齢は十代後半ほど。
白い短髪。
海の底を閉じ込めたような青い瞳。
薄い外套を羽織り、裸足で橋の欄干に立っている。
その足元で、水が逆巻いていた。
川ではない。
海だ。
内陸の街である冬木に、海の概念が流れ込んでいる。
橋の下を流れる川が、塩の匂いを帯びていた。
水面には無数の白い泡が浮かび、その一つ一つに魚影のような魔力が宿っている。
少年の手には三叉の槍。
神器。
宝具ではない。
人が神話として語り、英雄が手にした武装ではない。
神が神であるために持っていた、原初の権能のかけら。
橋の中央で、黒いコートの青年が膝をついていた。
彼の右手には、令呪に似た刻印がある。
しかしそれも、普通の令呪ではない。
三画の令呪を囲むように、波の紋様が渦巻いている。
「契約は成った」
少年が言う。
声は明るい。
無邪気ですらある。
だが、その一言で川の水位が上がった。
「我はサーヴァリアント。クラスはランサー。真名は、今は伏せておこう。神というものはね、名前を知られると面倒なんだ」
黒いコートの青年――神杯戦争参加者の一人、久遠寺零士は息を呑む。
「お前は……何者だ」
「だから伏せると言っただろう?」
少年はくすりと笑う。
その笑みだけで、周囲の魔術結界がひび割れた。
「ただ、そうだな。海を見たことがあるかい、マスター」
「海?」
「人は海を眺めて、広いと言う。深いと言う。美しいと言う。だが、違う」
少年は三叉槍を軽く振った。
橋の下から巨大な水柱が立ち上がる。
それは龍のように身をよじり、夜空へ昇った。
「海とは境界だ。陸と陸を分かち、生と死を分かち、神と人を分かつ。ならば、その境界を握る者が戦場に立つ意味を考えたまえ」
久遠寺零士の顔が青ざめる。
その時、橋の端に二つの影が現れた。
衛宮士郎。
そして、セイバー。
五年ぶりに剣を取った王は、静かに前へ出る。
少年神が、嬉しそうに目を細めた。
「へえ」
セイバーは見えない剣を構える。
風王結界が唸る。
士郎は右手を握りしめ、目の前の存在を睨んだ。
「お前が、この異常の原因か」
「いいや。僕は呼ばれただけさ。穴が開いたから、覗き込んだ。覗き込んだら、手招きされた。なら降りるだろう?」
少年神は欄干から飛び降りる。
裸足が橋のアスファルトに触れた瞬間、地面が濡れた。
「君たちがサーヴァントか。英雄というやつだね」
セイバーは答えない。
代わりに、踏み込んだ。
速い。
人間の目では捉えられない加速。
橋の欄干が風圧で歪み、夜気が裂ける。
見えない剣が、少年神の首を狙う。
しかし、届かない。
三叉槍が、剣の軌道を受け止めていた。
金属音ではなかった。
剣と槍が衝突した瞬間、橋全体に波音が鳴った。
セイバーの眉が動く。
「……重い」
たった一合。
それだけで理解する。
目の前の敵は、強い弱いの次元ではない。
神話そのものが人型を取っている。
少年神が笑う。
「軽いね、騎士王」
槍が跳ね上がる。
セイバーの身体が宙に浮いた。
だが、王は崩れない。
空中で姿勢を制御し、不可視の剣を振り下ろす。
少年神は後ろへ退く。
その足元から水が噴き出し、彼の身体を滑らせる。
追撃するセイバー。
迎え撃つ少年神。
剣と槍がぶつかるたび、橋の上に異なる世界が生まれた。
一撃目は嵐。
二撃目は潮流。
三撃目は騎士道。
四撃目は神話。
セイバーの剣は、あくまで人の手で振るわれる最強の剣だった。
技術、経験、信念、そのすべてが圧縮された武。
対する少年神の槍は、技術ではない。
海が押し寄せる。
波が砕ける。
大陸が沈む。
そういう現象が、槍の形をしている。
「セイバー!」
士郎が叫ぶ。
投影を開始する。
骨子を想定。
構成を解析。
材質を複製。
技量を――
「っ、無理か……!」
神器は読めない。
士郎の投影魔術は、武器を解析し複製する魔術だ。
だが、神の武装は武器である以前に権能だった。
形は見える。
理屈も一部なら分かる。
けれど、核に届かない。
それは剣ではなく「海を支配する」という概念が、たまたま槍の形をしているだけ。
ならば、複製できるはずがない。
「面白いな、君」
少年神の目が士郎へ向く。
「その眼。武器を視ているのか。いや、違う。武器の中にある死因を視ている?」
槍の穂先が、士郎へ向けられる。
セイバーが割り込んだ。
「させません!」
不可視の剣が槍を弾く。
だが、弾かれたはずの槍の軌道が、途中で曲がった。
水だ。
槍にまとわりついた水流が、攻撃の角度を変えた。
セイバーの脇腹へ迫る穂先。
その瞬間、黒い矢が飛来した。
矢は槍とセイバーの間に割り込み、爆ぜる。
衝撃で少年神が半歩下がった。
「遅かったじゃない、士郎!」
橋の反対側から、遠坂凛が走ってくる。
その隣に、赤い外套の弓兵。
アーチャーは既に次の矢を番えていた。
「セイバー、五年ぶりにしては派手な歓迎だな」
セイバーはわずかに目を見開く。
「アーチャー……!」
アーチャーは皮肉げに笑った。
「再会を懐かしむのは後だ。あれは少々、洒落にならん」
凛が士郎の隣に立つ。
「状況は?」
「分からない。ただ、あいつはサーヴァントじゃない」
「でしょうね」
凛は少年神を睨む。
「霊基の密度が異常よ。神霊級……いえ、神霊を無理やり使い魔の器に落としてる。だからサーヴァリアント」
「サーヴァリアント?」
「神の使い魔。誰が名付けたのか知らないけど、観測盤にはそう出てた」
少年神は楽しげに拍手した。
「素晴らしい。人間はいつもそうだ。名前をつけることで、理解した気になる」
凛は宝石を構える。
「理解する必要なんてないわ。倒せるなら、それで十分よ」
「いいね。実に人間らしい」
少年神が槍を掲げた。
その瞬間、橋の下の川が消えた。
いや、違う。
川が、上に落ちた。
巨大な水の壁が夜空から降り注ぐ。
冬木大橋を丸ごと呑み込むほどの質量。
凛が叫ぶ。
「アーチャー!」
「分かっている」
アーチャーの手に、夫婦剣が現れる。
干将・莫耶。
黒白の双剣が回転し、水流を切り裂く。
だが水は斬っても死なない。
切断された水流は無数の刃となって降り注ぐ。
セイバーが前に出る。
「風王鉄槌――!」
不可視の剣にまとわれていた風が解放される。
圧縮された暴風が水壁を押し返す。
風と水がぶつかり、橋の上に白い霧が爆発した。
士郎はその霧の中で、見た。
少年神の背後に、巨大な影がある。
三叉槍。
海。
地震。
馬。
境界。
真名が、脳裏に浮かびかける。
だが、それを口にしてはいけないと本能が告げた。
サーヴァントの真名看破は戦術的優位になる。
だが神の場合、真名を呼ぶこと自体が契約に近い。
名前とは、神への接続だ。
「士郎、下がって!」
凛の声。
霧を裂いて、少年神が迫っていた。
速い。
水流による加速。
橋の上を走るのではなく、世界の表面を滑るような移動。
槍が士郎の胸を狙う。
セイバーが間に合わない。
アーチャーの矢も、わずかに遅い。
士郎は、反射的に投影する。
「――投影、開始」
現れたのは一本の剣。
特別な宝具ではない。
神を殺す魔剣でもない。
ただ、かつて何度も握った、無銘の剣。
士郎はそれを両手で構えた。
防げるはずがない。
分かっている。
それでも、下がらなかった。
少年神の目が、初めて細くなる。
「君は馬鹿か」
槍と剣がぶつかる。
士郎の腕に、凄まじい衝撃が走った。
骨が軋む。
膝が砕けそうになる。
視界が白く染まる。
それでも、剣は折れなかった。
いや。
折れながら、次の剣が内側から生えていた。
投影による即時修復。
破壊と生成を同時に行い、神器の圧力を一瞬だけ受け止める。
少年神が笑った。
「人間!」
その声は、歓喜だった。
「君たちは本当に、どうしようもなく面白い!」
次の瞬間。
橋の上に、黄金の光が落ちた。
一本ではない。
十、二十、百。
無数の宝具が夜空から降り注ぎ、少年神の周囲に突き刺さる。
水流が破裂した。
少年神は槍を回し、宝具の雨を弾き飛ばす。
だが、表情から笑みが消えた。
橋の上空。
黄金の舟が浮かんでいた。
その上に、金髪の王が立っている。
赤い瞳。
傲慢な笑み。
人類最古の英雄王。
ギルガメッシュ。
「雑種どもが群れて騒いでいると思えば」
英雄王は、神を見下ろした。
「今度は神の残り香まで這い出てきたか」
少年神は静かに槍を構える。
「君は英雄だね」
「違うな」
ギルガメッシュの背後に、王の財宝が開く。
夜空に黄金の門が並ぶ。
そこから覗く宝具群は、まるで星座のようだった。
「我こそが原典だ。神が人に与えたもの、人が神より奪ったもの、そのすべてを所有する王である」
凛が顔を引きつらせる。
「最悪……こいつまでいるの?」
アーチャーは小さく息を吐いた。
「状況はさらに悪化したな」
セイバーは剣を構え直す。
士郎は砕けかけた投影剣を握りしめる。
少年神は、嬉しそうに笑った。
「いいね。実にいい。英雄、騎士王、錬鉄の守護者、魔術師、そして折れない人間」
彼は三叉槍を天へ掲げる。
「ならば名乗りの代わりに、海を見せよう」
橋の下から、冬木には存在しないはずの潮騒が響いた。
夜空が割れる。
雲の向こうに、巨大な海が見えた。
空に海がある。
星の代わりに波があり、月の代わりに深淵が浮かぶ。
凛が震える声で言った。
「固有結界……じゃない」
アーチャーが続ける。
「神域展開か」
少年神の周囲に、青い紋様が走る。
神代の文字。
人類が言語を得る前に刻まれた、祈りと恐怖の原型。
「さあ、始めよう」
少年神は告げる。
「神杯戦争を」
その言葉が、冬木の夜に刻まれた。
同時刻。
街の各地で、十五の英霊と十五の神が目を覚ます。
狂戦士ヘラクレスが咆哮し。
征服王イスカンダルが笑い。
聖女ジャンヌ・ダルクが祈り。
山の翁が沈黙し。
エルキドゥが空を見上げ。
メディアが結界を編み。
メドゥーサが鎖を鳴らし。
ランスロットが黒い霧を纏い。
リチャード一世が剣を抜き。
クー・フーリンが槍を肩に担ぎ。
アストルフォが夜空へ駆け。
ジル・ド・レが狂気を抱え。
そして、再召喚された者たちが、かつての縁を手繰り寄せる。
だが、そのすべてを見下ろすように。
冬木の上空に、巨大な杯が現れた。
聖杯ではない。
黄金でも、白銀でもない。
それは、星の死骸で作られたような黒い杯だった。
杯の内側には、無数の神話が沈んでいる。
英雄を呼ぶ器ではない。
願望を叶える装置でもない。
神を選別し、英雄を試し、人間の祈りを踏み越えるための儀式。
神杯。
士郎は空を見上げた。
五年前、自分は聖杯を否定した。
願いを叶える万能の器など、必要ないと。
ならば今度は。
神すら呼び寄せるこの杯を前にして、自分は何を選ぶのか。
隣でセイバーが剣を構える。
その姿は五年前と同じで、けれど確かに違っていた。
再会は奇跡ではない。
これは、戦争の始まりだ。
士郎は右手の刻印を握りしめた。
「行くぞ、セイバー」
アルトリアは頷く。
「はい、シロウ」
アーチャーが弓を引く。
凛が宝石を握る。
ギルガメッシュが天上から哄笑する。
少年神が海を背負って笑う。
そして冬木の夜は、神話と英雄の殺し合いへ変わった。
神杯戦争。
それは、聖杯戦争の失敗ではない。
人類史そのものに突きつけられた、神々からの問いだった。
――英雄は、神に勝てるのか。
――人間は、願いを持つ資格があるのか。
――そして。
――再び出会った者たちは、今度こそ別れを越えられるのか。
第一夜。
神と騎士王の刃が、冬木大橋で激突する。
その余波で、夜空の海が割れた。
世界はまだ知らない。
この戦争が、やがて英霊の座と神々の座、そして人類史そのものを巻き込む大災厄になることを。
ただ一人。
黒い杯の底で眠る何者かだけが、静かに笑っていた。
「さあ、始めよう」
その声は、誰にも届かない。
「これは願いの物語ではない」
杯の底で、赤い光が瞬いた。
「神を殺した人間が、神になるまでの物語だ」
夜が、落ちる。
Fate/Divine Eclipse。
神杯戦争、開幕。
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「神杯戦争、開幕」ってタイトルからして痺れた……。もう最初の土蔵のシーンから涙出そうになったよ。士郎の「また、ここか」って一言に、五年分の想いと覚悟が全部詰まってた。セイバーとの再会、泣きたくなるほど懐かしいのに、警鐘が鳴り止まない感じが切なくて…。少年神との戦いも圧巻だった。アーチャーと凛の漫才みたいな掛け合いも大好きだから、嬉しかったな。もう続きが気になって仕方ないです…!