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(少し長めのストーリーです。よろしくお願いします。)
第一話 愛を知らぬ皇帝に、捧ぐ痛みの名前
ミ ヒャエル・カイザーは、すべてを手に入れた男だった。世界最高峰のストライカーとしての地位、富、名声、そして誰もが羨む美貌。
彼の前に跪かない者などおらず、彼の望むものは何だってその手の中に収まってきた。だが、彼にはどうしても手に入らないものがあった。いや、正確に言えば、その存在自体が理解できなかった。
「……愛、だと?」
クラブのラウンジ、喧騒から少し離れたVIP席で、カイザーはグラスを傾けながら低く呟いた。
目の前にいる男――アレクシス・ネスは、いつものように歪みのない、純粋な信仰を宿した瞳でカイザーを見つめている。
「はい、カイザー。僕はあなたに愛を捧げています。僕のすべては、あなたのためにあるんです」
ネスの声は心地よく、どこまでも一途だった。彼はカイザーの影となり、手足となり、その王座を支えるためだけに生きていた。ピッチの上でも、プライベートでも、ネスの視線は常にカイザーだけを追っている。
カイザーは鼻で笑い、髪を指先で弄んだ。
「お前のそれは、単なる依存か狂信だろ。俺が求めているのは、そんな言葉で片付く安っぽいものじゃない。もっと……胸の奥が焼き切れるような、奪い尽くしたくなるような何かだ。だが、誰を見ても、何をされても、俺の心は微動だにしない。愛なんてものは、凡人が生み出した都合の良い幻想だ」
「幻想ではありませんよ」
ネスは穏やかに微笑んだ。その微笑みには、どこか寂しげな色が混ざっている。
「あなたがそれを感じられないのは、まだその時が来ていないだけです。でも、もしあなたが愛を知る日が来るなら、それはきっと……」
「来るわけがない」
カイザーはネスの言葉を遮り、立ち上がった。
「俺は世界一のストライカーだ。すべてを支配する王だ。そんな不確かなものに振り回される必要などない」
それがカイザーの傲慢であり、彼の孤独だった。他者からの好意を浴びるほどに、彼の内側にある冷徹な空白は広がっていく。ネスがどれほど献身的に尽くそうとも、カイザーの心にその温もりが染み込むことはなかった。
カイザーにとってネスは「最も優秀な道具」であり、それ以上でも以下でもなかった。変化は、あまりにも唐突に訪れた。ある日の練習中、ネスがピッチに倒れ込んだ。激しい接触があったわけでもない。
ただ、いつものようにカイザーへ完璧なパスを供給した直後、糸が切れた人形のように崩れ落ちたのだ。検査の結果は、深刻なものだった。心臓の疾患。それも、激しい運動を続ければ命に関わるレベルの進行度だった。
「どういうことだ、ネス」
病室の白いベッドに横たわるネスを、カイザーは冷たい目で見下ろした。怒っているのではない。理解が追いつかないのだ。
「お前は俺の最高の下僕だろ。俺にパスを出すためだけに存在しているはずだ。なぜ、そんな身体になるまで黙っていた」
ネスは青白い顔に、それでもいつもの柔らかな笑みを浮かべた。
「すみません、カイザー。でも、あなたにサッカーができない僕なんて、価値がないでしょう? あなたの隣にいるためには、限界を超えるしかなかったんです」
「馬鹿か、お前は」
カイザーの声が、自分でも驚くほど低く震えた。
「命を削ってまで俺に尽くして、お前に何のメリットがある。そんなものは対等な取引じゃない。ただの自己満足だ」
「そうですね。自己満足かもしれません」
ネスはそっと手を伸ばし、ベッドの脇に置かれたカイザーの手に触れようとした。だが、触れる直前で躊躇うように手を止める。
Mami
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#大人のロマンス
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「でも、僕は幸せでした。あなたのために全てを捧げることが、僕の生きる意味だったから。カイザー、どうか僕がピッチを去っても、世界一の王様でいてくださいね 」
その言葉を聞いた瞬間、カイザーの胸の奥で、何かが小さく爆ぜた。それは今まで感じたことのない、不快で、息苦しい、奇妙な焦燥感だった。
ネスはクラブを去り、療養生活に入った。カイザーの隣には、別のMFが就くようになった。
新しい相棒は優秀で、カイザーの要求通りのパスを出す。 スタッツも悪くない。チームは勝ち続けた。
なのに、何かが決定的に違っていた。ピッチに立つカイザーの視界は、かつてないほどに寒々としていた。どんなにゴールを決めても、大歓声を浴びても、脳裏をよぎるのは、あの病室でのネスの 最後の笑顔だった。『あなたのために全てを捧げることが、僕の生きる意味だった』
「…… 狂ってやがる」
カイザーは自室で一人、頭を抱えた。なぜ、あいつのいないピッチがこんなにも退屈なのか。なぜ、あいつの言葉が呪いのように頭から離れないのか。富も名声もここにあるのに、どうして自分は、こんなにも飢えているのか。
*
数ヶ月後、ネスの容体が急変したという報せが届いた。カイザーはすべてを投げ出して病院へ向かった。取り巻きも、マネージャーも、メディアの目も、すべてを無視して走った。息が切れ、心臓がうるさいほどに脈打つ。
その時、カイザーは気づいた。今、自分の胸を支配しているこの猛烈な痛みが、かつて自分が「胸の奥が焼き切れるような何か」と呼んだものそのものであることに。
病室のドアを乱暴に開けると、そこにはいくつもの医療機器に繋がれたネスがいた。呼吸は浅く、今にも消えてしまいそうだった。
「ネス……!」
カイザーはベッドに駆け寄り、その細い手を掴んだ。冷たかった。いつも自分を温かくサポートしてくれていた手のひらが、凍りつくように冷えていた。
「カ、イザー……? どうして……試合は……」
かすかに目を開けたネスが、途切れ途切れに呟く。
「黙れ。試合なんてどうでもいい」
カイザーは、生まれて初めて、サッカー以外のもののために声を荒らげた。
「お前、俺に言ったよな。愛は幻想じゃないって。お前のすべてを俺に捧げるって」
「はい……僕の、すべては……あなたの……」
「なら、勝手に消えるな!」
カイザーの目から、熱いものが溢れ、ネスの手の甲に落ちた。
カイザー自身、それが自分の涙だと気づくまでに時間がかかった。泣いたことなど、物心がついてから一度もなかったからだ。
「俺はまだ、何も分かっちゃいないんだ。お前が俺に捧げたものの価値も、お前がいないと、この世界がどれほど色褪せて見えるかも……。お前が俺を王にしたんだろ。なら、最後まで見届けろ。勝手に一人で満足して逝くな!」
ネスの目が見開かれた。カイザーの涙を見て、その青い瞳に、信じられないほどの光が灯る。
「カイザー……あなた、泣いているんですか……? 僕のために……?」
「そうだ、お前のせいだ! 胸が痛くて、壊れそうだ。これが、お前の言う……愛っていうやつなのか……?」
カイザーはネスの手を自分の額に押し当てた。
奪い尽くしたいのではない。ただ、この男の温もりを、一秒でも長く、自分の内側に留めておきたかった。この男を失うくらいなら、世界一の座など、いくらでもくれてやる。そう心から思った 。
ネスの唇が、かすかに弧を描いた。それは狂信の笑みではなく、一人の人間として、最愛の人に受け入れられた、心からの幸福の笑みだった。
「ああ……嬉しいな。最後に、あなたに愛を……教えることができた……」
ネスの繋がれたモニターの音が、不規則に高鳴り、そして――。
*
月日が流れた。
スタジアムは、割れんばかりの大歓声に包まれていた。
ミヒャエル・カイザーが放ったシュートが、ゴールネットを揺らした瞬間だった。世界最高のストライカー。その称号は、今も彼の手の中にある。だが、今のカイザーのプレイスタイルには、かつての冷酷な傲慢さだけでなく、どこか凄絶なまでの美しさと、他者を惹きつけてやまない「熱」が宿っていた。
試合終了のホイッスルが鳴り響く。カイザーは天を仰ぎ、胸元に触れた。そこには、あの日、ネスの遺品から見つかった、小さなクロスのアンクレットが、ユニフォームの下で静かに彼の肌に触れていた。
「見ているか、ネス」
カイザーは一人、心の中で呟く。お前が命を賭して俺に植え付けたこの感情は、今も俺の胸を焼き続けている。痛くて、切なくて、けれど、愛おしい。
お前が捧げてくれた愛を、俺は一生、手放さない。
この痛みを抱えたまま、俺はお前が愛した「最高の王」として、世界の頂点に立ち続ける。
カイザーの瞳には、もう迷いはなかった。理解できなかった愛は、今や彼の血となり、肉となり、彼を唯一無二のストライカーへと昇華させていた。青空を見つめる彼の表情は、どこまでも切なく、そして、世界で一番美しかった。
第一話で完結です。読んでくれてありがとうございます。