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それから半年間は、偶然通りかかったハローワークでもらったチラシに乗っていた産業用ロボット部品の組み立ての住み込みスタッフとして働いた。
性別を隠し男性寮に入ったが、中は意外と清潔で部屋もシャワールームも個室に分かれており、襲われることは愚か、女性だとバレることもなかった。
任期を終えて元の街に帰ってみると、半年前3人のホームレスが何者かに殺されたという事件は、とうに忘れ去られていた。
給料を握りしめて私は再びハローワークを覗いた。
食事付きの住み込みの仕事がいい。
制服やユニフォームがあれば尚都合がいい。
短期でも長期でもいいから、働きながら衣食住が得られる職業がよかった。
と検索画面に、「急簿」という真っ赤な字が浮かび上がった。
【短期 住み込み 三食付き 日当2万円(週払い)力仕事あり。簡単な運送業務あり】
見た瞬間、これだと思った。
すぐにハローワークを通じて連絡してもらい、即席の履歴書を作って応募した。
訪れた秋元家はものすごく大きくて、私は思わず口をあんぐりと開けた。
通されたリビングで、絵が高いのか額の方が高いのかわからないような絵画に囲まれつつ、私は妙に美しい女主人の顔を見ながら言った。
「秋元さんって、どこかの社長さんか何かですか?」
その言葉を聞くと、女主人は一瞬目を見開いた後、カラカラと楽しそうに笑った。
「あなた、採用よ」
目尻の涙を拭きながら言った彼女の顔は年齢不詳で、何も知らない無垢で幼気な少女にも、獲物を捉えてほくそ笑む老婆にも見えた。
「秘密厳守よ。できる?」
彼女は真顔になって聞いた。
もちろん私は頷いた。
「質問も禁止よ。守れる?」
彼女の的を得ない質問に、それでも私は頷いた。
「―――案内するわ」
彼女はおもむろに立ち上がると、私を連れて広い屋敷の中を歩き出した。
ダイニングとキッチンを抜け、水回りの脇を通過し、続きの和室を突っ切った奥の廊下に、それはあった。
黒く重々しいドア。
ここだけ他の洋室のドアと材質が違う。
まるで玄関ドアのように厚くて重くて厳重だ。
てっきりインナーガレージにでも繋がるのかと思っていたが、ドアの向こうに現れたのは地下へと続く階段だった。
意味深に振り返った女主人は口元に人差し指を当てた。
「…………」
黙って頷く。
彼女は小さく頷くと、階段を下り始めた。
トン。
トン。トン。トン。
そのリズムは一定で、彼女が普段からその階段を下り慣れているのが分かった。
やけに暗い階段だ。
それもそのはず、
地下なのにその階段にあるのは、数個のダウンライトだけだった。
階段が終わると、女主人がポケットから鍵を取り出し、ドアを開けた。
今度は部屋が続くとばかり思っていたが、現れたのはもう一つのドアだった。
――――まるで刑務所みたいだ……。
明らかに異質な家の造りに、私は眉間に皺を寄せた。
しかし女主人は、今度は振り返らなかった。
2枚目のドアの向こうに部屋の明かりが漏れたので、私はほっとして中を覗いた。
「――――」
二人掛けのダイニングテーブル。
ドアを開け放ったユニットバス。
ベッド。
その上に――――
男が眠っていた。
いや、正確には眠っていない。
目は開いているのだが、意識がここにない。
病気なのだろうか。
それとも薬でもやっているのだろうか。
彼の眼はうつろで、その焦点は僅かに左右にずれていた。
何もない天井の一角を見ながら、男はただ呼吸を繰り返していた。
ーーー美しい顔だった。
目は大きく睫毛が長くて、鼻筋が通っていて、下唇が厚い。
まるで西洋の彫刻のように整った顔に、私は一目で生まれて初めての恋に落ちた。
「―――あなたには」
私を男だと疑わず、私の感情など露ほどにも予想していない女主人は、
「彼の世話をしてもらうわ」
口元を綻ばせて微笑んだ。
彼の世話とは清拭と排泄介助、そして食事介助の三つだった。
一見すると五体満足にしか見えない彼は、自力でトイレに行くことは愚か、起き上がることさえできなかった。
若い成人男性が介護用のオムツを当てられた姿は、異様な光景だった。
上腕二頭筋が盛り上がっている。
外腹斜筋も副直筋も十分だ。
中学高校と6年間、筋トレに明け暮れていた自分だからわかる。
寝た切りの人間はこうはならない。
突然病に倒れた?
いや、予期せぬ怪我を負ったのか?
彼の額に残っている赤黒い傷跡を見て、何かがあったことは分かった。
しかし女主人に質問は禁止されていたので黙っていた。
オムツのテープを外すと、私とは違う黒々しい陰毛が覗く。
その下にある男性器。
父親とは会ったことがないし、物心ついてからは祖父と風呂に入る機会などなかった。
中学でレイプされたときだって、恐ろしくて気持ち悪くて、見ることができなかった。
男を見る。
彼はただ黙って天井を見上げている。
ーーー反応は、ない。
私は改めてソレを見つめた。
太腿よりもワントーン暗い色合い。
亀頭がなんだか痛そうに赤く染まっているのは、皆、そうなのだろうか。
陰部を拭きながら、そっとに触れてみる。
顔色を窺う。
ーーー反応は、ない。
振り向いて部屋のドアが閉まっていることを確認する。
そして彼に向き直ると、ソレを掴んだ。
「……………」
ーーー反応は、ない。
握って軽く上下に扱いてみた。
「っ………」
そのとき彼の口から小さく息が漏れた。
―――反応した……?
私は今度はもっと強くソレを握ると上下に扱いた。
ブヨブヨと柔らかい肉の棒の中で、確かに芯のようなものができた。
上下に擦るたび、その芯がみるみる大きく硬くなっていく。
「……は……あ……」
天井を見つめている瞳が、何かを探すように揺れ始めた。
右手が私の腕を掴もうとする。
それを左手で押さえつけて、夢中で彼の陰茎を扱いた。
「ああ……あっ、ああ!ああ!」
言葉にならない彼の声が高くなる。
口がだらしなく開き、押さえつけている右手がビクンと震える。
腰が上がりつま先が突っ張る。
右足がだらんとベッドから落ち、開け放ったままだった彼の目は、ギュッと皺を寄せて瞑られた。
「――あ」
赤く反り立った陰茎の先端から白い液がドクドクとあふれ出した。
握っていた手に流れ落ちる。
熱い。
ドクン。
ドクン。
脈打つように後から後から白濁液が溢れてくる。
狭い部屋の中がたちまち雄の匂いになったところで、私はやっと正気に戻った。
「―――なんてことを……!」
女主人とこの男との関係は不明だが、彼女に知れてはまずい気がした。
ここは地下だ。窓はない。
換気口はあるが、換気扇がない。
慌ててその根源をふき取ると、トイレに流した。
ドアに駆け寄る。
少しでも空気が流れるように、開閉を繰り返した。
そのときーーー
「――――」
背後で気配がした。
私は、ゆっくりと振り返った。
今まで寝たきりだった男がベッドの上で起き上がり、
焦点の合わないまま天井を映していた瞳が、真っ直ぐにこちらを見つめていた。
「―――あんたは……誰だ」
その日、その瞬間、
ーーー彼は“思考”を取り戻した。
◆◆◆◆◆
慌てて部屋を飛び出した。
―――やってしまった。やってしまった……!
自分は、今まで反応のなかった彼の何かを刺激してしまった。
リビングで優雅に紅茶を飲みながら、どこかの社長が死んだテレビのニュースを観ていた女主人の前に座り込んだ。
「ーーー何事?」
「オムツ交換をしようとしていたら、“彼”が起き上がって……!」
迷惑そうに白い眉間に皺を寄せる女主人に、都合の悪いところは隠して報告した。
「―――それで?」
彼女はただでさえ大きな目を見開いて聞いた。
「“あんたは誰だ”って―――!」
「言葉を発したの……?」
言い終わる前に彼女は立ち上がっていた。
そしてワイン色のロングスカートを靡かせながら、廊下を走ると、地下室とは逆の方向に走っていった。
「―――奥様?」
慌てて追いかける。
そこはインナーガレージだった。
彼女は真っ赤なビートルの向こう側の壁に掛けてあった黒いケースを下ろすと、チャックを開け放った。
「…………!それは……!」
そこには、黒光りする散弾銃が入っていた。
「猟銃よ」
彼女は振り返った。
「念のため……」
振り返った彼女のこめかみから汗が一筋流れ落ちた。
なんで散弾銃があるの?
念のため?
彼は何なの?
何のためにあの部屋に閉じ込めているの?
聞きたいことは山ほどあったが、質問は禁止されている。
私は黙って頷いた。
彼女は、今度はゆっくり廊下を踏みしめるように地下へと向かった。
そこでスリッパを脱ぐと、足音を忍ばせながら階段を下る。
恐怖を感じる。
突如意思と思考を取り戻した男にではない。
猟銃を手にし、状況によってはその引き金を引くつもりの女主人に対して、だ。
場合によっては、その銃口が自分の方へ向く可能性もゼロではない。
記憶を反芻する。
精液を拭いたティッシュはトイレに流した。
時間が立っているからその匂いが排泄の匂いか射精の匂いか、あいまいになっているはずだ。
ーーー大丈夫。
彼女は私を男だと思っている。
大丈夫だ。バレない。
―――バレない……。
彼女はドアを開けた。
「――――!」
そして部屋に飛び込んだ。
ただならぬ様子に私も慌てて部屋に駆け込む。
いつもベッドの上に狭そうに乗っていた身体がない。
―――まさか、逃げた……?
2人で顔を見合わせた瞬間、
ジャーーーー。
その音に私たちは振り返った。
用を足した彼が、トイレから出てきたところだった。
右足を引きずっているがふらつかずに歩いている。
不思議と寝転がっているときよりも背は低く感じた。
思わず身を引いた女主人と、茫然としている私の間を抜けて、彼は何食わぬ顔でベッドに戻った。
大きな欠伸を一つ。
そして傍らにあった毛布にくるまると、彼は横向きに丸くなって眠った。
「―――――」
彼の中で何が起こっているのだろう。
トイレで用を足すことができた彼は、私と女主人にも、女主人が握っている銃にも反応せず、ただ眠りに入ってしまった。
「―――奥様……?」
私は女主人を見つめた。
しかし猟銃を握ったままの彼女は、早々に寝息を立て始めた彼をただ見下ろし、
口元を綻ばせていた。