「お前、昨夜、寝言で、誰かに叱られてるみたいに、
『……はい』
って言ってたぞ」
方向性が定まらないままなので。
まだ物の少ない悠里の部屋のベッドで七海はそんなこと言う。
誰かにって。
それは、あなたにではないですかね……?
と思う悠里のこめかみに軽く口づけ、七海は言う。
「せっかく撮った目覚まし。
いらなくなったな。
毎朝、お前に直接、起こしてもらえる」
七海はそう言って笑うが、
いや、私の方が寝起き悪いんですけど……、
と悠里は思っていた。
天井を見つめ、七海と出会ってからのことをいろいろと思い出す。
「社長、最初のころ言ってたじゃないですか。
お前とは話が合いそうだって。
いえ、全然噛み合ってませんよって思ってたんですけど。
――いや、今も噛み合ってないな~って思うとき多いんですけど」
だから、いいのかなって気も今はちょっとしています、と悠里は言った。
「ああそうだ。
最初に一緒にお出かけした博覧会。
花の写真すら撮ってなかった理由、わかりました。
あのとき、私、たぶん……
花が目に入らないくらい、楽しかったんです」
そういえば――
と七海との位置が近い照れもあり、悠里は天井を見たまま、語り続ける。
「最初の頃、あなたの背中を押して、車に押し込んだとき。
初めてあなたに触れたんですが。
なんだか遠い世界の人に触れてしまったって感じがしたんですよね」
昨日、七海に触れられて、ふと、そのことを思い出した。
そっと七海が悠里の手をとったので、悠里は振り向いた。
「……何笑ってるんですか?」
「いや、お前もその小さい頭でいろいろ考えてたんだなって」
そう言い、七海は悠里の髪をくしゃっと撫でる。
そのとき、なにかがベッドの上にどしっと乗ってきた。
見ると、ちゃんと閉めていなかったドアから、ぶち猫が入ってきて、飛び乗ったようだった。
「社長っ。
見てくださいっ、猫がっ」
「ああ、懐いたなっ」
「今日は猫記念日ですねっ」
と悠里は叫んで、
「……いや、俺記念日にしろ」
と言われてしまった。
休みの日。
悠里たちは北原の家でバーベキューをやることになった。
「いや~、陽の光の下に長時間いるなんて久しぶりだよ~」
と北原は、
いや、あなた、吸血鬼かなにかですか?
と問いたくなることを言っていたが、特に嫌でもなさそうだった。
「よしっ。
肉と酒、クーラーボックスに詰めましたっ」
そう冷蔵庫の前で宣言した悠里は、キャスター付きのクーラーボックスをガラガラ引いて七海の後をついていく。
七海は菓子や紙皿やプラスチックのコップなどが入ったダンボールを抱え、前を歩いていた。
悠里が足を止め、
「本日、バーベキュー」
とホワイトボードに書いているのに気づき、
「それは誰へのお知らせだ。
猫か」
と言う。
「炭もいるよな」
「後藤さんが持ってくるって言ってましたよ~」
と言いながら、七海が先に廊下に出たのを確認して、悠里はホワイトボードの二つの◯の中にカタカナで文字を書く。
書いたあと、自分で眺め、
いや、このままではちょっと恥ずかしいな、と思い、○○の下に、『です』とつけてみた。
満足げに眺めていると、ひょいと戻ってきた七海がそれを見て、
「口で言え」
と言う。
……口で言うのが恥ずかしいから、ここに書いたんじゃないですか。
「俺も書こうか。
いや、俺はここには収まりきらないな」
ホワイトボードの二つの◯を見ながら、七海はそう言った。
なんでですかっ。
なんで収まらないんですかっ?
キライ、とか?
ドチラデモナイ、とかっ?
「五文字だ」
と七海は言う。
五……
五!?
オマエニ アキタ
いや、七文字だっ、と思ったとき、七海は抱えていたダンボールをテーブルに下ろし、悠里を見つめて言う。
「『アイシテル』悠里。
……なんでだか、今でもわからないけどな。
何処がいいんだろうな、ほんとに。
でも――
俺は予言者じゃないけど。
これだけはわかる。
たぶん……、
俺は一生、お前を愛してる」
そう言い、七海は口づけてきた。
「ところで、そろそろ一ヶ月経つが……
どうする?
このアパート、更新するか?」
にやりと笑って、七海が言ってくる。
いや、ここ、アパートなんですか?
どんな豪勢なアパートですか……。
「それか一生住めるように、買い取るか? 俺ごと」
ダンボールを手に扉を開けながら、七海が言う。
「えーっ?
そんなお金ないです~っ」
「今なら、破格の四十円だっ!」
すっかり懐いた猫たちに足元にまとわりつかれながら、七海はそう言い、笑ってみせた。
悠里たちは荷物を手に、北原の家に向かい、歩いていた。
いい天気なので、近道して徒歩で行くことにしたのだ。
あのアパートのブロック塀に、またなにやら貼られている。
『ユーレイ部屋あり〼』
「……またなにか呼び込んできたんですかね? 大家さん」
「それか、また女性と一騒動あって、なにかの事件がとか……。
そうだ。
龍之介さんのストーカー、大林は生きているか?」
「昨日、職場で見たじゃないですか」
と悠里が言ったとき、
「ここにいますよ」
と声がした。
炭を持った後藤とコンビニの袋を持った修子が立っていた。
並んでみんなで歩く。
「あ、悠里。
スマホ新しいじゃない」
「昨日、買い替えたんです。
着信のとき、顔が出るようにしてみました」
「夜、なんかコソコソやってると思ったら、そんなことしたのか」
と言いながら、七海は片手でスマホを操作し、鳴らしてみている。
キメ顔の七海が映り、おおっ、と修子が声を上げる。
「やだ、素敵っ。
人のものでもときめくわっ」
と物騒なことを言ったあとで、ん? と修子がスマホを覗き込む。
「いや、なんで、『しやちゆう』よっ。
直しなさいよ~っ」
「いやいやっ。
思い出が詰まってるからですよ~っ」
と叫んだ悠里は、北原の家の庭を見て慌てて言った。
「あっ、ほらっ。
早く行かないとっ。
大家さんが陽の光で溶けちゃいますよ~っ」
猫を抱き、手を振る北原の方に向かい、悠里たちは重い荷物を手に駆け出した。
完
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