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「……もしもし。あ、おはようございます。今から行きます」
翌朝、フロントからの朝食の時間を知らせる内線で目を覚ます。
受話器を置き、時計を見ると8:00を過ぎていて、明るい陽射しが差し込む窓に目を向けると、ボサボサの髪をした自分が映っていた。
近くには起きる気配のない日下さんが寝転がっていて、その手には花札が握られていた。
おそらく、昨日私たちは花札の最中に眠気に襲われ、今に至るのだろう。
日下さんを起こす前に洗面所に向かい、左からとてつもない強風を煽ったかの様な寝癖をした髪の毛を直すことに。
さすがにこの頭は見せられない。
洗面台に置いてあったアメニティで何とか髪の毛を整え、日下さんを起こしに部屋に戻る。
日下さんの傍に近付いた時、布団で半分隠れている昨日受け取ってもらえなかったお金の入った封筒が見えた。
恐らく日下さんは、女性からお金を受け取るのが嫌いな性格なのだと思う。何を言っても貰ってもらえない様な気がするので、日下さんが寝ていることを良いことに、日下さんの旅行鞄のサイドポケットに封筒をそっと差し込んだ。
そして、何食わぬ顔で日下さんの肩を揺らす。
「日下さん日下さん、朝です。朝ごはんの時間です。大広間に行きましょう」
「……もうちょっと寝たいから、俺はいいや。元々朝メシ食わない派だし」
起きたくない様子の日下さんは、私の手から逃れる様に寝返りを打った。
「何言ってるんですか、日下さん。温泉たまごやお漬物やお味噌汁が何故か異常な程に美味しい旅館の朝食を食べない気ですか? ちょっと頭おかしいですよ」
逃すまいとさっきよりも激しく、最早肩ではなく日下さんの身体全体を前後に揺する。
「……美紗ちゃん、言い方。……つか、それな。旅館の朝メシってまじで美味いよね。でも眠いの。どうしても眠いの。だってほら、美紗ちゃん運転出来ないじゃん。帰りも俺が運転じゃん。事故らない様に寝とかなきゃじゃ……ん……」
眠気の余り、私に嫌味を返しながらも話の語尾が消えゆく日下さん。
「運転に関しては返す言葉もないんですけど。本当に申し訳ないと思ってますけど。でも、私たちのプランって、【ゆったりプラン】だったじゃないですか。チェックアウト13時ですよ。食べてからまた寝たらいいですよ。朝食食べないなんて、もったいないですって」
「~~~もーう‼ 美紗ちゃんの食いしん坊‼ 行くよ行くよ‼ 行けばいいんでしょ‼」
寝かそうせずに、しつこくうるさい私に観念した日下さんが、ガバっと上半身を起こした。
薄ら開いた日下さんの目に自分の顔が映ったことを確認して、
「一緒に食べましょうよ、日下さん。おはようございます」
やっと朝の挨拶を。
「……俺も早く彼女見つけよ。……やっぱりいいよね。好きなコに『おはよう』って言ってもらえる朝って。おはよう、美紗ちゃん。行こっか、大広間」
小さく笑って挨拶を返してくれた日下さんが起き上がり、立ち上がると旅行鞄を跨いで襖を開けた。
どうやら鞄に入れられたお金には気付いていない様子。良かった。
「待ってくださいよ。置いていかないでくださいよ」
慌てて私も腰を上げ、日下さんを追って部屋を出た。
朝食は大広間でのビュッフェ形式だった。
大広間に入ると、仲居さんに食器が乗せられたトレーを手渡された。
ズラっと並んだ選び放題食べ放題の朝食に、朝からテンションが上がる。
「美紗ちゃん、目輝きすぎ」
「温泉たまごは必須ですよね。でも、ハムエッグもおいしそうですよね。どっちもっていうのはたまご食べ過ぎですかね? でも、今日くらいいいですよね⁉」
日下さんの言葉はちゃんと聞こえているけれど、目の前の料理たちの『私も美味しいよ』『僕のことも食べてみて』という絶対に聞こえるはずのない声を勝手にキャッチしてしまい、日下さんのツッコミに全く沿っていない返しをしながら、『食べる』などと言われてもいないのに、日下さんのトレーと自分のトレーに温泉たまごを乗せた。
「勝手に乗せるし。食うからいいけどさ」
日下さんが呆れながら笑った。
2人で朝食を選び、テーブルに持って行こうとした時、
「……真琴のお兄さんがいるね。どうする? 行く?」
視線の先に1人でつまらなそうに朝食をとる勇太くんの姿が見えて、日下さんが立ち止まった。
「日下さん、気まずくないですか? 佐藤さんとそんなに仲良いわけじゃないですよね?」
「じゃなくて、美紗ちゃんが1人で行く? ってこと。真琴のお兄さんと食べたいでしょ?」
トレーで両手が塞がっている日下さんが、肘で私を小突いた。
きっと日下さんは、私に気を遣っているのだろう。
「何を言っているんですか? 私は日下さんと楽しむ為に温泉に来たんですよ。いくら佐藤さんのことが好きだからって、日下さんを蔑ろになんかしたくないです。私、今回旅行に来て本当に良かったと思っているんです。凄く凄く楽しいなって思っているんです。日下さんと最後まで楽しみたいと思っているんです」
自分も両手が空いていない為、「向こうのテーブルが空いてますよ。行きましょう」と日下さんに目配せで移動を促す。
「いいの? 真琴のお兄さんも俺らに気付いてるっぽいよ。俺と旅行してるだけでも大きな誤解なのに、更に上塗りになっちゃうよ?」
日下さんの言葉通り、確かに勇太くんは私たちの方を見ていた。でも、
「私、日下さんがいてくれて本当に良かったと思っています。日下さんにどれだけ救われたと思っているんですか。日下さんの存在をなおざりにするくらいなら、誤解されたままの方がマシです。この旅行は、日下さんにとっても楽しいものであって欲しいんです。日下さんがどうしても私と食べたくないと言うのなら話は別ですが……」
あくまで今日の旅行は、日下さんと私が楽しむ為のものなんだ。私は、勇太くんと一緒に来たわけではないのだから。
「美紗ちゃんってさ。真っ直ぐな様で、自ら物事を拗れさせるタイプだよね。もう俺、知ーらなーい。俺と美紗ちゃんが楽しく朝メシ食ってるところを見せつけられて、真琴のお兄さんの気持ちが離れて行っちゃっても、俺のせいにしないでよねー」
日下さんは、「折角気を利かせてやったのにー」と、私が目配せした席にスタスタ歩いて行ってしまった。
「だから、置いて行かないでくださいって‼」
もう‼ と鼻息を漏らしつつ、日下さんを追う。
———-勇太くんの気持ちが離れて行く。
出来れば自分のことを好きでいてほしい。
日下さんの言っていた通り、真琴ちゃんの良いところを見つけることが出来たら、勇太くんと結婚出来るのだろうか。
どうにもならないことならば、いっそ嫌われて振られた方が諦めがつく気がする。
心の中で希望と不安が交錯する。
日下さんと2人で、勇太くんから少し離れた席に座る。
2人で『いただきます』と手を合わせ、早速朝食を口に運ぶ。
「味噌汁のだし、最高。沁みるー」「朝から幸せ」と2人で朝食の美味しさに頬を綻ばせた。
そんな私たちを横目に、勇太くんは淡々と食事を済ませて大広間を出て行った。
「美紗ちゃん、分かってる? 美紗ちゃんが今してることって、俺が真琴の店でやったのと同じことだよ。異性と仲良さ気なところを目の当たりにさせるって、決定打だよ」
勇太くんが出て行った方に目を向けながら、ボリボリと良い音を立ててお新香を咀嚼する日下さん。
「今更ですよ、日下さん。決定打なんて、日下さんと私が温泉旅行をしている時点で既に放たれているじゃないですか。折角の楽しい旅行です。今ジタバタしたくないんです。私は満喫してますけど、日下さんは楽しめていますか? 余計なことは考えずに、楽しみましょうよ」
日下さんがあまりにも美味しそうな音をさせながらお新香を食べるから、私もお新香に箸を伸ばした。
今回の旅行の目的は【現実逃避】。
予想外の勇太くんの登場に、完全に現実を忘れることは出来なかったけど、今は考えたくないんだ。
家に着くまでが遠足。だから、家に着くまでが日下さんとの温泉旅行。
家に帰るまで、現実から距離を置いていたいんだ。
「それを、【どっしり構えている】と言うのか、【開き直っている】と言うのか……。まぁ、美紗ちゃんのそういうところ、好きだけどね。俺も楽しんでるよ、この温泉旅行。でも、何なんだろ。この感じ。このままもう1泊したいなーって思うのに、そうれはしない方が良いんだろうなって思っている自分もいてさ。てか、『もう1泊』なんて無理な話なのは分かってるんだけど、無理じゃなかったと仮定しても、普通に帰る方を俺は選ぶだろうなー的な。夢の中って長居しちゃだめだよね。醒めた後がしんどいから。『あー楽しかった。よし‼ 現実を頑張るか‼』ってくらいで抜け出さないとね。だけどもう少し、旅行が終わるまでしっかり楽しもうか、美紗ちゃん」
日下さんがスクっと立ち上がり、「今日はたまごの摂取量とかカロリーとか気にしなくていいよね。温泉たまごの追加取ってくるわ」と温泉たまごをおかわりしに行った。
———-夢の中に長居をしてはだめ。
私も同じことを思っていた。
今、こんなに楽しいのに、現実に戻るのも怖いのに、勇太くんと話がしたいと思った。
朝からお腹はち切れんばかりの朝食を食べ終わり、日下さんはもう一眠り、私はノルマである3回目の入浴へ。
そして13時に旅館を後にした。
帰りの道中も楽しかった。
話し上手で聞き上手な日下さんとのおしゃべりは止まることなく、ずっと笑っていた気がする。
そして私のアパートの前に到着。
シートベルトを外していると、
「美紗ちゃんさ、俺に『エッチで心傾く様な女に引っかからないでください』って言ったじゃん。だから俺は、そんな美紗ちゃんに惹かれたんだと思う。好きになったんだと思う。……しかし俺ら、すごいよね。キスもハグも、手さえ繋いでないんだよ。1日中ずっと一緒にいたのに」
日下さんがしょっぱい顔で笑いながら、後部座席に置いていた私の荷物を取ってくれた。
「そこら辺の中学生より清いですよね」
「中学生だったら模範生徒だったよね、俺ら」
『あはは』と帰り際まで笑い合う。
「美紗ちゃん。一緒に温泉に行ってくれてありがとうね。美紗ちゃんを独占出来て、ずっとずーっと楽しかったよ、俺」
「こちらこそです。私も楽しくて仕方なかったです。本当にありがとうございました」
そしてお礼の言い合いに。
「このままバイバイじゃ味気ないから、最後に握手しない?」
日下さんがシャツで手汗を拭く仕草をした後、右手を差し出した。
その手を両手で包むと、
「頑張ってね。美紗ちゃん」
と日下さんが左手を添えた。
「はい」
返事をしながら頷くと、
「疲れたでしょ? もう部屋に入りな。じゃあね、美紗ちゃん」
日下さんが私に握られた手をスルリと抜き取り、助手席のドアを開けた。
車を降りて手を振ると、日下さんも笑顔で手を振り返して去って行った。
小さくなっていく車を見ながら、涙が出た。
旅行が終わってしまったことの淋しさと、日下さんへの感謝で胸がいっぱいで。
日下さんに好きだと言ってもらえたことはきっと、私の自慢になり、自信になり、心の糧になるだろう。
コメント
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**みぅ🤍🥀** 旅館の朝、寝ぼけてる日下さんを無理やり起こす美紗ちゃん、ほんと微笑ましかったな〜。温泉たまごへの執着とか、お新香の音の描写に「あ、美味しそう」って思わされた。そして勇太くんに見られた後の「気にしないで楽しもう」って決意、日下さんの「夢の中に長居しちゃだめ」って台詞が刺さった。帰り際の握手、涙……日下さんに「好き」って言われたの、美紗ちゃんの心の支えになるよね。素敵な最終話だった……違う、これからも続くのかな? まだ餘韻に浸ってる🥀