テラーノベル
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放課後。空はすっかり茜色に染まっていた。
約束通り、私は塾の入っているビルのエントランスで黒木くんを待っていた。こうして誰かを待っている時間は、いつも少しだけ心細くなる。
「待たせたね、アーヤ」
雑踏をすり抜けるようにして、黒木くんが歩いてきた。
同い年ではあまり見ないほどの長身にすらっとした足。だけど、その手にはさっきまで持っていたはずの通学カバンがなかった。
「あれ? 黒木くん、カバンは?」
「塾のロッカーに置いてきたよ。これから行く場所には、少し荷物が多すぎると思ってね」
そう言って黒木くんは、私のリュックの肩紐にそっと手をかけ、自分の肩へと引き寄せた。
「あ、いいよ! 自分で持てるもん」
「男に荷物を持たせるのは、女の子の特権だ。こういう時はおとなしくまかせておけよ」
彼にリードされるまま歩き出すと、街の喧嘩売りのような騒がしい喧騒が、少しずつ遠ざかっていくのが分かった。黒木くんが私を連れてきたのは、駅から少し離れた、古びた赤レンガ造りの建物の並ぶ静かな一角だった。
「ここ……どこ?」
「俺のお気に入りの場所さ。あまり人に見つかりたくない時に、よくここに来る」
そんな場所を私に教えていいのだろうか。
黒木くんは、細い路地の奥にある一軒の小さなアンティークショップの前に立ち、古びた真鍮のドアノブを回した。カランカラン、と乾いた鈴の音が響く。
店内は、夕暮れ時の光が窓から斜めに差し込んでいて、古い木製の家具や、琥珀色のランプが怪しげな影を作っていた。店員らしき人の姿は見当たらない。
「綺麗……」
思わずため息をつくと、黒木くんは私の後ろに立ち、そっと私の肩に手を置いた。
「ここはね、世界中から『捨てられたもの』が集まる場所なんだ。持ち主に忘れられたり、最初から存在を否定されたりした、不完全なものたちの終着駅」
彼の声は、いつになく冷ややかに響いた。
黒木くんの好きな「蠟色」で満ちた世界。漆黒の闇の中に、ほんの少しの光だけが反射しているような、そんな孤独な空間。
「黒木くん……?」
私が振り返ると、黒木くんは棚に置かれた、古いガラス瓶を手に取っていた。中には、濁った青色の液体が入っている。
「アーヤ。お前は、自分の親が、本当の親じゃなかったらどうする?」
心臓が、冷たい手で掴まれたように凍りついた。
黒木くんの切れ長の菫色の瞳が、遮るものなく私を見つめている。いつもなら、ここで冗談を言って笑うはずの彼が、今は一言も笑っていない。
「俺の家は、完璧だよ。父親も母親も、俺に最高の環境を与えてくれた。何不自由ない生活、膨大な人脈。……だけどね、それは全部、あの人たちが『完璧な息子』を演じさせるために用意した舞台装置に過ぎないんだ」
「え……」
「俺は、彼らに愛されているわけじゃない。それどころか、この世界に望まれて生まれてきたわけでもないんだよ」
黒木くんの口から溢れ出たのは、あまりにも重く、鋭い告白だった。
『シャーレの中で生まれた』という、かつて彼が残した言葉の意味。デザイナーベビーとして、何らかの目的のために作られた命。そして、それを知りながら、誰にも言えずに一人で抱え込んできた、底知れない闇。
一番付き合いの長い上杉くんだって、このことを知らない。若武も、小塚くんも、誰も。
黒木くんは、KZの中で、たった一人でこの「不完全な嘘」を生き続けていたのだ。
「……どうして、私にそんなお話をするの?」
私の声が、少しだけ震えた。
黒木くんはガラス瓶を棚に戻すと、私との距離を完全にゼロにした。
餡蜜
93
彼の長い指先が、私の頬に触れる。その手は、やっぱり驚くほどひんやりとしていた。
「お前が、立花彩だからさ」
黒木くんは、切なそうに、だけど歪んだ微笑みを浮かべた。
「お前はトロくて、要領が悪くて、いつもオドオドしてる。だけど、他人の痛みにだけは、信じられないくらい敏感だ。……上杉の目の病気の時もそうだったろう? お前が約束を破ってくれたから、あいつは救われた」
「黒木くん……」
「俺のこの闇は、どんなに優秀な上杉の頭脳でも、数式には落とし込めない。若武の正論でも解決できない。……この泥にまみれた俺の正体を受け止めてくれるのは、世界中で、お前しかいないんだよ、アーヤ」
彼の「お前」という呼びかけが、今度はからかいではなく、剥き出しの悲鳴のように私の胸に突き刺さる。
私は、運動神経もよくなくて、成績だってそんなにいいわけじゃない。いつも彼らの足を引っ張ってばかり。だけど、この瞬間、黒木くんにとっての救いが、私という不完全な存在なのだとしたら。
「……私、何もできないよ」
私は、菜の花色のハンカチを握りしめながら、真っ直ぐに彼の菫色の瞳を見つめ返した。
「黒木くんの過去を消すことも、お父さんやお母さんの代わりになることもできない。……でも、黒木くんが苦しい時は、こうして隣にいる。それだけなら、私にもできるよ」
私の言葉に、黒木くんは目を見開いた。
完璧な仮面が、今、完全に崩れ去る。
「……本当に、お前ってやつは」
黒木くんは低く呟くと、耐えかねたように、私の小さな身体をその長い腕で強く抱きしめた。
彼の体温が、洋服越しにじんわりと伝わってくる。
その時、アンティークショップの入り口の鈴が、再びカランカランと激しく鳴り響いた。
「――おい お前ら、こんなところでコソコソ何やってる!」
ドアを乱暴に開けて入ってきたのは、薄茶色の短髪を逆立て、レンズのない伊達眼鏡の奥の瞳を怒りで燃え上がらせた、上杉くんだった。
コメント
3件
上杉、黒木、彩ちゃん好きだね…
あう~😢 黒木が尊すぎるんだが。天才でしょうーか、、
え、待って待って待って!!😭💦💦 第2話、重すぎて心臓がギュッてなったよ…! 黒木くんの「望まれて生まれてきたわけじゃない」ってセリフ、完全にヤバい…推しキャラ確定案件じゃん?!?!? でもアーヤの「隣にいる」って返しが優しくて、しかも最後に上杉くんが乱入!このタイミング!?ってモヤモヤと同時に次が気になりすぎる…!! 餡蜜さん、この関係性の描き方エモすぎます…続きが待ちきれないよ〜🌸✨