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扉を開けると、少し変わった部屋に出た。ドアを入ってすぐ、木製のついたてが置かれている。ついたての奥は暗くて見えない。
そして、部屋の一部が鉄の壁と柵で仕切られていた。柵には扉が設けられていて、その奥にもう一つの木の扉が見える。
柵の内鍵を開けようとしてみたのに、固くて手応えが返ってくるだけで開かなかった。鍵がかかっている。
柵の中には石造りの机も見える。石の机は二つ机が向かい合わせにくっつけた感じで、鉄の壁を突き抜けて置かれていた。柵のこちら側とあちら側で共有する形なのだろう。
牢屋じゃないみたいだけど……なんの部屋?柵の向こうへ行くには、この内扉を通るしかないのかしら。ついたての奥から回れるようになってないかな……。
そっと、ついたての裏を覗く。中は暗い。入り口のランプの光はついたてに遮られ、奥まで届かない。思いきって踏み出そうとした時、ついたての奥からごそっと物音がした。
「!!」
続いて、ずずずっという何か重いものを引きずる音。
入り口に置いてあったランプを台からひったくると、闇に突きつけた。
慌てすぎたのだろう。突き出した手がついたてにぶつかり、バランスを崩した。一緒にひっくり返る。私とついたての倒れる音に、投げ出されたランプが割れる音と重なった。煙のように土埃が舞い上がる。
「痛……」
起きあがろうとした私の目に、銀色の十字架が飛び込んできた。いけない、落っことしちゃーー。
「!?」
十字架のその向こうに見えたのはーー光を失った人間の目だ。後ろで割れたランプが、床に広がるオイルを糧に燃え上がっていく。
青白い頰、紫の唇がてらてらと光る。息ができない。これ以上見たらダメ。そう思うのに、私の視線は憑かれたように上がっていく。のけぞる喉をねぶる、赤くてぐねぐねしたものを辿ってーー。
そこには『私』がいた。
全身赤黒いぼろを纏った『私』が、私の顔をした何かが、女性に覆い被さってその長い長い舌を喉に伸ばしている。舌は赤くぬめって、びくんびくんと脈打つ。声がでない。
瞬き一つできないで、ただ『私』を見つめていた。『私』の目がこちらを捉える。赤い口がニッと吊り上がった。突然、甲高い声で笑う。
いいえ、私が悲鳴を上げた?わからない。
私の記憶はそこでプツンと途切れた。
……えっ?
私は天井を見つめていた。見慣れた天井。明るい……朝?
「!!」
裸足のまま、部屋を飛び出す。
「アーウィン!」
二階の手すりから、身を乗り出して呼ぶ。奥の部屋から、驚いた顔をして出てきた。
「おはよう、レナ。どうしたんです」
階段を駆け下りて、その勢いのままアーウィンにしがみつく。
「地下があるの!血だらけで人が死んでて……!」
「レナ?」
「一番奥には柵のある部屋があって、それでそれで私、私が!!」
続きが言えなかった。
「私が……わたし……」
言い淀んだ私を見て、彼は困った顔をする。
「どうしたんです。話がわかりません。地下ってなんですか?」
「地下があるのよ!血だらけの……来て!」
アーウィンの手を引っ張る。
「ここに……えっ」
昨夜あったはずのドアがない。
「そんな!確かにあったのに……」
「何がですか?」
後ろで物置の明かりをつけてくれながら、聞いた。電灯に照らされた壁には、ドアのあった形跡さえない。信じられなくて、何もない壁に触れた。
「ドアがここにあったのよ……地下の通路へ出る……だって私を呼ぶ声がして……」
声が萎んでいく。だって目の前にドアは無い。納得してアーウィンが頷く。
「怖い夢を見たんですね」
「違うわ!本当に見たのよ!血の臭いもしたし、お化けの笑い声も聞いた!!」
夢なんかじゃない。だってあそこにはーー。
涙が溢れてきて、両手で顔を覆った。だって私見たもの。あそこで。
「もう一人、私がいて……血を吸ってた……笑って!」
黙って私の額に手を当てる。
「……また熱が上がりましたね。さあ、ベッドへ」
そう言うと、きっぱりと私を階段へ押し出した。
「ほんとなの……」
背中を押されながら、むずかるように呟く。
「熱で頭が混乱しているんですよ。さあ、もう泣かないで」
その時、出し抜けに居間の電話が鳴った。電話のベルに、背中を押す力が消える。これ以上何をするのも億劫で、のろのろと階段に足をかけた。
「もしもし?」
背後で彼が、受話器に向かって話しているのが聞こえる。
頭、重い……。このところ、ずっと調子が悪い。昨夜の体調の良さが嘘みたい。やっぱり夢だったのかな。
「はい、今替わります……レナ」
アーウィンの声に、ようやく階段の二段目に足をかけたところで振り返る。電話口を手で押さえて、受話器を軽く持ち上げてみせた。
「リズからです」
受話器を受け取ると、二、三度深呼吸して息を整える。
調子が悪いってこと、バレないようにしなきゃ。また心配させちゃう。
「もしもし、リズ?」
電話口から、いつになく焦った声が聞こえてきた。
「レナ。ねえ昨日、あれからマシューはどうしたの?」
突然の質問に面食らった。
「マシュー?……どうしたって……何が?」
「マシューが戻ってきたでしょ?それからどうしたか知ってる?」
「ま、待って。何の話?」
束の間に沈黙が流れる。
「……マシューが昨夜から家に帰ってないんだって」
「えっ」
思わず絶句する。リズがもどかしげに続けた。
「昨日、レナの家から私たち一緒に帰ったでしょ。そのすぐ後に、マシューが忘れ物したからって一人で戻ったのよ。ねえ、その時何か言ってなかった?どこかに寄るとか……」
「知らない、私、会ってない……マシューが戻ってきたのなんて知らない……」
「えっ……」
今度は彼女が絶句する番だった。顔をあげてアーウィンに声をかける。
「アーウィン。昨日マシューがうちにもう一度来た?」
はたきを持った彼が手を止めて、こちらを見た。
「いいえ、どなたも。昨夜は奥様も戻られてませんし」
「リズ、やっぱり来てないわ。それに忘れ物なんて……ないと思う」
「……そう、分かった。ありがと……」
ふと行方不明事件を思い出した。悪魔の仕業……。
「リズ……!」
「大丈夫よ。きっと何でもなかったってことになるわ。今日は土曜だし……どこかへ遊びに行ってるのかも」
その言葉は私を慰める言葉じゃなくて、自分自身に言い聞かせているようだ。
「私、もう少し心当たりあたってみる」
「私も一緒に!」
思わず言った私に、彼女は明るい声で遮る。
「だーめ。熱があるんでしょ?……そんな声してるし。また後で電話するから。それじゃあね」
「うん……それじゃ後で……」
受話器を手にしたまま立っていた。ツーツーと通話が終了する音が鳴っている。
私は不安だった。とてもとても不安だ。ゾクゾクと寒気がする。熱のせい?ーーだるい。
「レナ、ベッドへ。顔色が悪いですよ」
彼がそう言うのが、遠くに聞こえた。