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果樹園を囲む壁。その一際高く設置された見張り台の上から、ワイはじっと闇を見つめる。
空はすでに漆黒に染まり、遠くの街の灯りすらここには届かん。月明かりだけが頼りやけど、それも雲に隠れてしまえば、目の前の景色すら飲み込まれる暗闇になる。風が吹くたび、果樹の枝葉が揺れてかすかな囁きを立てる。まるで果樹園全体が何かを警告しとるみたいや。
静寂が支配する夜。けど──確かに”気配”はあった。
肌がざわつく。夜気が冷たいわけでもないのに、背筋にじわりと冷えが広がる。この感覚は覚えがある。獣が草むらに潜むとき、獲物が隠れ息をひそめるとき、”殺気”がないわけやない。けど、今感じるこれは──明らかに”人”の気配や。
風の流れが変わる。枝葉のざわめきの奥に、違和感が混じる。かすかに、足音。踏みしめる音が、規則正しくもなく、けれど確実にこちらへと近づいてくる。
侵入者や。
ワイはゆっくりと息を吐き、拳を握りしめた。
「……来よったで」
言葉にした瞬間、気配がよりはっきりと輪郭を持つように感じた。まるで、相手がこちらの覚悟を察したかのように。手の中の刃がじんわりと冷たく、月光を反射して微かに光る。握る手に力を込めるたび、金属の冷たさが皮膚に馴染んでいく。
ここは、ただの果樹園ちゃう。ただの農場やったのは、もう過去の話や。ここはワイらの砦や。
高さ三メートルの壁。入り組んだ樹々が迷路のように立ちはだかり、地面には”知らん奴”が踏めば一発でわかるよう仕掛けを作ってある。獣除けやない。人を拒むための罠や。簡単には踏み入らせへんし、踏み込んできたら最後──ここは、ワイらの生きる場所なんや。
好きに踏み荒らされてたまるかいな。
「ナージェさん、本当に戦うの……?」
背後から聞こえた声は、かすかに震えとった。
ケイナや。か細い声やけど、その中にある迷いは痛いほど伝わる。ワイよりも幼いこの子は、こんな状況に慣れるべきやないんかもしれん。でも、現実は違う。戦わなあかん時が来る。ワイもケイナも、逃げるだけの暮らしなんてまっぴらごめんや。
ワイは深く息を吸い、冷えた夜の空気を肺に満たす。月光が降り注ぐ果樹園の柵の向こう、じわりじわりと忍び寄る影を見据えながら、静かに答えた。
「ああ。ここはワイらの果樹園や。好き勝手されるわけにはいかんやろ」
短く、はっきりと言い切る。無駄な言葉はいらん。余計な説明をしても、ケイナの不安を煽るだけやし、敵に聞かれれば隙を与えることになる。
ワイは再び闇を見つめる。
そして──影が、月光の下に姿を現した。
「おいおい、ずいぶん立派な壁じゃねぇか」
月の光に照らされ、男の姿が浮かび上がる。粗末な鎧。肩にかけたボロ布。剥き出しの腕に刻まれた無数の傷跡。戦い慣れた手や。にやけた顔は軽薄に見えて、その奥の目は獲物を測るように鋭い。
後ろには、同じような男どもが三十人以上。影の中に潜むその姿は、まるで夜の闇そのものがワイらを喰らおうとしているみたいやった。数だけは揃えとる。いや、それだけやない。この人数で夜襲を仕掛けてくるっちゅうことは、連携もできとるということやろう。野盗の寄せ集めにしては、妙に統率が取れとる気がする。
キッズたちを見張りとして抱え込んどいて良かったわ。あいつらの情報があったからこそ、こうして夜襲にも万全に対応できる。
それにしても、見たことない顔やな。どこかの街から流れてきた野盗か、それとも傭兵崩れか。いずれにせよ、ワイらの果樹園に踏み込もうとする時点で敵や。
ワイは壁の上から奴らを見下ろし、口元を歪める。
「リンゴでも欲しいんか? あいにく、今日は閉園や。用があるなら、昼間に来るべきやったな」
軽く肩をすくめながら言うた。静かに、だがはっきりとした挑発や。
男はニヤリと笑う。
「へぇ、お前がナージェか。果樹園を要塞みたいにしちまって、何を守ろうってんだ?」
ワイを揺さぶろうっちゅうわけか。言葉の端々に探るような意図が見え隠れしとる。
「決まっとる。俺の果樹園と、その果物や」
静かに、けれど確実に言い切る。声には一片の揺らぎもない。
男は喉を鳴らして笑った。その響きは夜の冷たい空気を震わせ、まるで獲物を前にした獣のようやった。
「まあまあ、そんなに構えるなよ。俺たちはただ、この”奇跡の果実”を分けてもらいに来ただけさ」
”奇跡の果実”──
その言葉に、ワイの眉がわずかに動いた。
市場で売られるワイらの果実は評判がええ。美味しくて、栄養満点。魔力が回復するっちゅう話すらあるわな。奇跡や言うても、大げさな話やないかもしれん。
「売り物なら市場にある。わざわざ夜中に来る必要はないやろ」
ワイの声は低く、静かやったが、その響きには警告の色が滲んどった。しかし、男はその言葉すら楽しむように唇を歪めた。
「ハッ、商売人ならそう言うだろうな。だが、俺たちはタダで手に入れたいんだよ」
空気が張り詰める。夜風がざわりと草葉を揺らし、月が雲に飲み込まれる。一瞬、世界が闇に沈んだ。
男が片手を振る。その仕草には一切の迷いがない。長年、こうして生きてきた手つきやった。
「やれ」
短い指示が落ちるや否や、影が揺れる。傭兵たちが無言で壁に取りつこうと動き出した。息を殺し、素早く、慣れた手つきで。獲物を狩る捕食者のごとく──