『今日、不破さんの家に、泊めてもらえませんか?』
 
 珍しく同じユニットの後輩から電話がかかってきた。ディスコでは無かったことから若干の違和感は感じていたが、やはり問われたことは突拍子もないことだった。
 突然の事で困惑し、家には帰れないのか尋ねると、どうやら『鍵をなくした』とのこと。いじられキャラにドジっ子キャラまで追加するなど、制作陣側の苦労も理解していただきたいものだ。(?)
 
 「しゃーないなぁ、ええよ」
 『すみません、助かります。感謝します』
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 あの電話から30分もすれば自宅のインターホンが鳴り、彼の到着を告げる。すぐにオートロックを解錠し、玄関の目の前まで来たところでドアを開ける。
 収録ぶりの甲斐田晴は、1週間前に会ったとは思えないほどやつれていた。目の下のクマ、頬のコケ具合、唇や顔の血色の無さ、おまけにハイライトを失った曇天のような瞳。双眸につまった美しい空色がまるで台無しだ。
 
 「おまえ……大丈夫か、?」
 
 思わず第一声がそれだったのは少し失礼だった気もするが、これを見てもなお何も思わないほどの伽藍堂ではない。実際俺だって、普段何も考えていないわけじゃないのだ。
ただ少し、伝える時に説明する気力がないだけで……。
 
 「あはは……大丈夫ですよ、」
 
 乾いた笑いがマンションの廊下に響く。立ち話もあれだし、と中に入れるが、誰がどう見ても大丈夫ではない奴を、何も無かったように見過ごすのは、俺としても酷なことだった。
 
 「風呂入った?飯は?」
 「あ、どっちもまだです……」
 「じゃあ先に風呂入ってこい。その間に飯作っといてやるから」
 「……何から何まですみません」
 「にゃは、今回だけな」
 
 来客用のスリッパを出し、長袖を肘まで捲りあげてキッチンに向かう、前に、自室から自分にはオーバーサイズな服を取り出し、玄関で固まっている彼に渡す。
 
 「下着は流石に人の嫌やろ?」
 「そ、そうですね…、」
 「ん、じゃあ下着はわりいけど、服はそれ着て」
 「…、ありがとうございます……」
 
 深々と頭を下げる甲斐田から、彼が持ってきたカバンを奪い取り、リビングのソファの上に置く。洗面所におしやり、ゆっくり浸かれよ、と念を押しておいた。
 しょうがない年上の後輩のために、こんな時間に食わせるべきではないカロリー高めなチャーハン作っていきますか。あんだけ痩せちまってんだし、多少はええやろ。
 時刻は0時を回った。夜はこれから───
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 
 「お風呂……上がりました」
 「おー気持ちよかったか?」
 「はい、めっちゃ温まりました」
 「なら良かったわ〜」
 
 ソファでスマホをいじっていると、洗面所からひょこっと顔を出した彼に目を向ける。濡れているせいでペタっと萎れたアホ毛、茹だった肌が所々赤く染まり、真っ白い肌がツヤツヤと光沢を放つ。
 容姿端麗な彼に更に磨きがかかって、あまりの美しさに脳が溶けそうになる。そんな事が気付かれないように、自分の手元に置いておいたドライヤーを手に取り、乾かしてやるからこっちに来い、と呼び寄せる。
 テチテチと歩み寄る彼は、床に座り、ソファに座る俺の足の間に体を入れる。ちょうどいい高さに頭が来て、乾かしやすいことこの上ない。
 柔らかなローズグレーの髪の毛が、水気を弾きサラサラになっていく。指の通りのなめらかさに再び脳が溶けそうになる。
 お気づきの人もそろそろいるだろうか。お察しの通り、俺はこの甲斐田晴に特別な感情を抱いている。恋、というには少し汚れているのかもしれない。しかし限りなくそれに近いものである。
 突然の泊まりを許可したのも、ここまで甘やかすのも、俺が彼を慕っているから。気づかれたくはないが、少しばかりの違和感ぐらいは感じて欲しい。なんて、弱りきっている彼にその願いは無謀すぎるだろうけど。
 
 「ほい、乾いたぞ」
 「わざわざありがとうございます」
 「ええよいちいち、ほら飯食え」
 「美味そ……不破さん、料理得意ですよね」
 「さすがに上手いか」
 「うん流石に」
 
 その笑顔はいつも見るものとはやはりかけ離れていて、少し飾っているようだった。
いただきます、と手を合わせ頬張ってくれる彼は、後ろから見るだけでも可愛くて、必死にスマホで顔を隠していた。
 甲斐田の食事中もポツポツと会話が生まれてはいたものの、すぐ途絶え、また生まれ、消えて……を繰り返していた。
 食べ終わった頃、彼が運ぶ食器を掻っ攫いシンクに入れる。俺がやるから、いや僕が、の争いに秒で勝利し、片付けてから布団を整えに行く。
 流石に成人男性二人がシングルベッドに並ぶのは、狭いを越えてもはや苦しい。なので、来るとわかった時に予め布団を引っ張り出し、ベランダで叩いてホコリを落とした。これで文句を言われたなら、彼にベッドを譲ればいい話だ。しかし潔癖の彼には、ベッドもしんどいのか……?いやそんなこと言ったら、それこそ閉まっておいた布団なんて……
 寝室にて考え込んでいる間に、甲斐田は寝室の扉をノックし入ってきた。
 
 「どっちでもいいですよ、甲斐田は」
 「んー……じゃあお前布団な、俺ベッド」
 
 ここで気をつかって彼をベッドに寝かせても、察してくれたのだ、と彼は勘違いしそうで、それは嫌だったのでいつもの俺のまんま話してみる。
 
 「分かりました、」
 
 ご飯を食べている時は、元気も出てきたかと思ったのだが、どうやらまた落ち込んできたようだ。
 撮影の時などを除き、普段から態度が顔に出やすいタイプでは無い彼が、あからさまに気分を下げて自分を頼ってくれているのだ。ここに来た理由を最後まで隠し通すつもりなど、さらさら無いのだろう。
 仕方ない、可愛いコブンのために、切り出してやるか。
 各々布団やベッドに横になり、暖かいオレンジ色のサイドランプのみが光を放つ部屋で、ヒュっと俺の呼吸音が響いた。
 
 「なぁ、甲斐田」
 「……はい」
 「……どうしたんや」
 「……流石に流されてはくれないか、」
 「当たり前やろ」
 
 甲斐田は体を起こし、少し俯いている。俺は寝転がったまま、横目に彼の横顔を眺める。顔色の悪さはサイドランプのおかげで、多少マシに見える。
 
 
 
 
 「───人……殺しちゃいました」
 
 は?
 いや、え?なんて?
 
 「っ……」
 
 喉からは何の音も発せられなかった。あまりの衝撃の言葉に、流石の俺にもいつものノリで返す事は出来なかった。
 だって、想像だにしていなかったのだ。自分の想い人が人を殺した、だなんて。
 
 「……信じられませんよね、でも本当なんです。今不破さんと同じ部屋にいる人は、つい先日人を殺したんですよ、」
 
 淡々と告げる甲斐田が、初めてものすごく怖いと感じた。普段とのあまりのギャップに、彼は本当に甲斐田晴なのか、と怪しむ程だ。ところが、それとは別にひとつ疑問が生まれた。
 甲斐田の生まれ育った国である『桜魔』は、その名の通り年中桜が咲き誇っている。しかしそれとはまるで対照的な存在の魔が、人間の命を摘む事が日常茶飯事であると聞いたことがある。
 そんな美しくも残酷な国で、一人でも犠牲者を出さないために奮闘する甲斐田は、幾度となく、命を終わらせられた人を見てきたはずだ。
 つまり、言い方は悪いが、彼は人の死に慣れている。
 桜魔の人々がこの世を去る度にこんなに意気消沈していては、仕事も手につかないだろう。まさかそんなはずもない。だとしたら彼は、一体何にそんなに苦しめられているのか。
 
 「……せやけど、甲斐田の国のおうま?は、いつもいっぱい人死んじゃうんやろ?」
 「それは魔の手を防げなかったからです」
 「今回はそうやないんか?」
 「……僕が故意に殺したんです」
 
 話変わってきたな。
 俺は寝返りをうち甲斐田の方に体を向ける。見たこともないような、気分の滅入った甲斐田にかける言葉も見つけられなくて、俺はうーん……と唸って黙りこくってしまう。
 だが、口火を切ったのは甲斐田の方だった。
 
 「……同じ、研究員の人なんです」
 「……同業者か」
 「そうです、……もう、許せなくて、 」
 
 ギリ、ギリ、と音を鳴らしながら、布団を握りしめる甲斐田は、珍しく怒りに震えていた。怒った顔にさえ息を呑んで見惚れてしまう自分が、極めて呑気で情けないことは重々承知の上だった。
 
 「……何したん、そいつ」
 「話すと長くなっちゃうんですけど、」
 「……ここまで話して言わんの、焦らしプレイすぎひん?」
 
 生意気なやつや、そう笑って言ってやると、甲斐田は寂しそうに下を向いて微笑んだ。
 人を殺めたことで切羽詰まっていたみたいだが、ようやく緊張の糸は切れたようだった。きっと不安でいっぱいだったろうし、誰に頼るべきかも悩んだだろうな。
 数ある頼る先の中で、自分を選んでくれた、信じてくれた。その信頼が尊くて胸が震えた。
 力になってやりたい、手を握り返したい。その思いが強く胸に刻まれた。
 
 そうして、彼との夢のような一週間が始まるのだ────。
 
 
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