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日曜日の朝、僕と美紀は地元の駅で出会った。美紀は今日もカメラを首から下げ、何か楽しみにしているような表情を浮かべていた。僕らは切符を買い、ホームへと進んだ。
電車の中では、美紀が僕に向かって、廃病院を巡るようになったきっかけを興奮気味で語り始めた。
「最初はただ、廃病院の写真が美しかったから。それだけだったの。だけど、その写真を見ているうちに何かを感じるようになったの。その場所には誰もいないはずなのに、何かが残っているような気がして。だから自分で見てみたくなったの。」
彼女はその他にも、友人の話、趣味のカメラの話、好きな芸能人の話など、僕に様々な話しをしてくれた。僕は彼女の活発さに改めて感心しながら、聞き役に徹していた。
時間の経過とあわせて、窓の外の風景はだんだんと変わっていった。
ビル群が次第に後退し、広大な田園風景が広がる。その自然の中にも、人々の生活の痕跡が感じられる。
電車が風景を切り取るように走り去っていく。
窓の外を見つめる美紀が、さきほどまでとは違う表情をしている。
彼女は何かを深く考えているように見えた。その姿に引きつけられ、僕は彼女に声をかけた。
「美紀、どうかしたの?」
彼女は僕を見て微笑んだが、その笑顔はいつものものとは違っていた。そして少し間をおいて彼女は語り始めた。
「ねえ、一回目の廃病院で見つけた日記、覚えてる?」「ああ、あの…患者が書いたやつだよね?」「そう、その日記。なんか、その…孤独って感じることある?それって、みんなには言えないけど、自分だけが抱えている何か。それが、あの日記にはある気がして。だから、もう一度行ってみたいの。」
彼女の声はふと小さくなり、言葉はどこか漂うようだった。僕は彼女の言葉を受け止めた。
内容があやふやで美紀が何を言っているのか完全に理解することはできなかった。
でも、美紀が何か深い、言葉にできない感情を抱えていることは感じた。
「そうか。」
僕は特に言葉が思いつかず一言だけ相槌を打った。
「ありがと。」
彼女は笑い、その後すぐに窓の外を見つめ直した。その笑顔はいつもの美紀のものとは少し違っていた。
それは、彼女自身が自分の内面を話したことに驚き、照れ隠しをしているように見えた。その姿は、彼女が抱えている感情、その深さを物語っていた。
そして、その感情を少しでも理解しようと思った。 そして、その違いを埋めるために、廃病院を探索しようと決意した。
「あとどれくらい?」
電車を降り廃病院までの道のりで、美紀が息を切らしながら尋ねた。山奥の廃病院への公共交通機関は途絶えており、現在は徒歩でしか行くことができない。
山道を歩くのは厳しいと思っていたはずだが、この暑さと険しい道のりは予想を遥かに超えていた。
「まだまだまかな。」
僕は淡々と答えた。今更ながら、この選択をした自分の責任を感じていた。
彼女はため息をつき、
「こんな山道、事前に言ってくれたら適当なエクササイズしてたわよ。」
と愚痴を言った。
「あ、ごめん。でも、それが冒険だよね?」
僕は彼女を励ました。
美紀は笑いながら返事をした。
「そうね。それなら、もうちょっと頑張るわ。でも次からは事前に情報ちゃんと教えてね。」
僕の方も会話を続ける余力はなく、彼女にただただ笑顔を送った。
僕と美紀、廃病院へと続く険しい山道を進んでいった。夏の暑さがふたりを圧倒し、一歩一歩が重く感じられた。
登り終わった丘の上に立つと、僕たちは一瞬、息を呑んだ。そこには、暑さと湿気でぼやけた空気を突き抜けるように、雄大な廃病院の姿が広がっていた。
R総合病院、その名を冠した大きな看板は風雨にさらされ、文字がぼやけていたが、一部が残っていた。
病院は僕たちが想像していたよりも遥かに大きく、複雑そうな構造をしていた。
いくつかの建物が繋がっているように見え、さらにそれぞれが何階建てなのかも一目では計り知れなかった。
全体が緑色のモスに覆われ、一部では窓ガラスが割れ、中からは薄暗い闇が漏れていた。
「すごいね、ここ…」
と、美紀が小声でつぶやいた。彼女の目は廃病院を見つめ、その奥深さを試すように輝いていた。それは、彼女が一度目の探索で見せた純粋な冒険心からは少し異なる、深みのある表情だった。
「うん、すごいよ。でも、大丈夫かな?ちょっと大きすぎて、怖くない?」
と僕が尋ねると、美紀はにっこりと笑って答えた。
「大丈夫だよ、だって、一緒にいるんだもん。」。
僕たちはそこに立ち止まり、しばらく廃病院を見つめていた。
それぞれが、この先に何が待ち受けているのかを想像しながら。
「さて、どうやって入る?」
僕が口を開くと、美紀は顔をしかめた。
「え、正門じゃダメなの?」
彼女が指を差した方向を見ると、そこにはかつての正門があった。
だが、その扉は鎖で固く閉ざされていて、そう簡単に開くようには見えなかった。
「うーん、それは無理そうだね。でも、きっとどこかに入れる場所があるはずだよ。」
そう言って、僕は周囲を見渡した。植生が生い茂り、視界はほとんどなかったが、薄暗い日差しが窓ガラスを通して建物の内部へと漏れているのが見えた。
そこには一筋の光が差し込み、何かが見え隠れしていた。
「あそこだ、窓が開いてる!」
僕が指さすと、美紀も目を細めてその方向を見た。
「ほんとうだ!でも、高いね。」
窓は地面から2メートルほどの高さにあり、その上には鋭いガラス片が散らばっていた。
僕は一瞬、どうすべきか迷ったが、美紀の隣で彼女が大きく息を吸い込む音を聞いて、決意した。
「大丈夫、僕が先に行くよ。」
僕はそう言って、窓の下まで歩いていった。地面から2メートルほどの高さにある窓はかなり古く、ガラスはすべて割れてしまっていた。 窓枠の上部には鋭いガラス片が残っており、その危険性を思うと一瞬足が止まった。
しかし、美紀が大きく息を吸い込む音を聞いて、僕は再び決意した。
手袋をはめ、窓枠につかまり、自分の体重を支えるための足場を探す。少し無理をしながらも、なんとか窓から中に足を滑り込ませた。
「美紀、大丈夫。中に入ったよ。」
僕はそう言って、美紀に手を差し伸べた彼女が乗り越える手助けをした。
そして、僕たちは巨大な廃病院の中へと足を踏み入れることができた。
僕らがR総合病院の中へ踏み入れると、空気が一変した。湿度が高く、カビの匂いが鼻を突いた。部屋は乱雑に物が散らばっており、床はゴミや落ち葉で覆われていた。
「うわ、これが本当の廃墟ね……」
美紀が小さな声でつぶやいた。
僕はまわりを見渡した。古い病床や薬品棚、散らばったガラス器具の残骸……。
全てが一時期、この場所が活気に満ちていたことを物語っていた。しかし、今は静寂が広がり、時間が止まったかのようだった。
「R総合病院は、昔は地元の人々にとって大切な存在だったんだ。」
僕は美紀に向けて語り始めた。
「ネットで調べたところによると、ここは一時期、地域の中核病院として機能していたんだよ。内科、外科、小児科など、様々な診療科があり、また寝たきりの患者さんも多く治療していたんだってさ。」
美紀が僕を見つめ、それから再び周りを見渡した。
「そうなの……。だけど、なんでこんなになっちゃったの?」
彼女の声には、不安と共に、なんとなく哀しさが混じっていた。
「さあ、どこから見ていこうか?」
僕が提案し、美紀はうなずいた。彼女の目は、周囲を覆う闇と静寂に対する期待と緊張で輝いていた。僕たちはまず、受付と思われる場所から始めた。
カウンターの後ろには、年季の入った電話機がほこりをかぶって放置されていた。
そばには、かつてはきっと色とりどりのパンフレットが並んでいたであろう棚が、空っぽのまま黙って立っていた。 窓から差し込む日差しは古びたインテリアをくっきりと浮かび上がらせ、何年も前の日常が静かに息づいているようだった。
廃病院の内部は思った以上に広く、一部は昼の光が届かないため僕たちは懐中電灯を手に取った。
その光は、周囲の闇を掻き消し、見えてくる風景は一層幽玄さを増した。
廊下にはいくつかの診療室や看護師ステーションがあり、古い医療器具やモニター、使用済みのガウンが放置されていた。
各部屋には、曖昧な形で名前が書かれたホワイトボードも残っており、そこにはかつての病院の様子が垣間見えた。
病棟のエリアへと足を踏み入れると、狭い部屋が何部屋も並び、その中にはまだベッドやナイトテーブルが残されていた。
窓から差し込む日差しと懐中電灯の光が、部屋の中の物々を不気味に浮かび上がらせていた。
僕たちの足音だけが、この静寂を壊していった。
「ここで、何人の人が過ごしていたんだろう…」
美紀がつぶやいた。その声は、この場所の過去を知る唯一の生き証人のように、僕たちの心に響いていった。
部屋を移動し、探索を続けていると美紀が何かを見つけたように、壁に向かって手を伸ばした。
「ねえ、ここ、見て」
彼女の指先には、壁に描かれた子供の落書きがあった。
美紀は、しばらく黙ってその色あせた絵を眺めていた。 僕が黙 ったまま様子を見ていると、美紀は絵を見つめたまま話し始めた。
「ねえ、私、子供の頃に少しだけ入院したことがあるの。」
美紀の声は小さく、しかしはっきりと響いてきた。
彼女はしゃがみ込み、目の前の落書きに指を這わせていた。
「公園で遊んでいて、大きな木から落ちて、足首を骨折してしまったの。そうしたら、一週間ほど病院に入院しなくてはならなかった。」
彼女の声は、まるで遠い記憶をたどるように、ゆっくりと語り始めた。
「それが初めての入院で、怖かったんだ。でも、お母さんはいつもそばにいてくれて、友達もお見舞いに来てくれた。でも、夜になると誰もいなくなって…」
彼女の声は一瞬、絶えた。
「夜は、本当に怖かった。自分だけが違う世界に取り残されたような、そんな感じだった。」
美紀はしばらく黙って、落書きを見つめ続けた。
「だから、ここで過ごした子供たちは…」
彼女の声は少し震えていた。
「彼らは私が経験したよりも、ずっと深い孤独を感じていたんだろうな…」
僕は美紀の言葉に何も返すことができず、ただ彼女の横顔を見つめていた。 その視線を感じたのか、美紀は少しだけ笑って、再び前を見つめた。
「でも、それでも彼らはこうして絵を描いたんだね。」
美紀の話に引き込まれていた僕は、彼女の言葉を静かに受け入れていた。
しかし、その時、並んでいる空のキャビネットの隙間に何かが挟まっているのに気づき近寄った。
埃に覆われたファイル、それが何なのかを確かめるために僕はしゃがみ込み、それを拾い上げた。
「これは…」
僕の目の前に広がっていたのは、明らかにカルテの一部だった。患者の名前、年齢、病名、そして詳細な症状と治療の経過が詳細に記述されていた。
しかし、文字はかすれ、一部が不鮮明な状態た。
「美紀、これ見て。」
僕が声をかけると、彼女が顔を上げてこちらを向いた。
ファイルを見つめる美紀の顔が次第に硬くなっていく。
「これは…カルテだね。でも、なんでこんなところに…」
僕と美紀はカルテをめくっていった。そこに書かれていたのは、幾人かの子供たちが経験した厳しい現実だった。その一つ一つが、僕たちの心を深く打った。
「この子たちは、こんなに苦しんでたんだ…」
美紀の声は震えていた。
その場にしばらくの間、静寂が広がり、カルテに記された過去の子供たちの痛みが、時間を超えて僕たちにも届いていた。
美紀が再びカルテを手に取り、その表情はさらに深刻になった。
「これを書いたお医者さんや看護師さんたちも、とても辛かっただろうね。」
僕は彼女の言葉に驚いて彼女を見つめた。
美紀の瞳は、カルテに綴られた子供たちだけでなく、彼らを支え、治療を施し、時には最後の別れを看取った医療従事者たちを想像していた。
「そうだね、彼らも大変だっただろう。」
僕は深く頷いた。
「それが彼らの仕事だったんだろう。」
「でも、でも、仕事だからって、全部を受け入れられるわけじゃないよ。」
美紀はそっとつぶやいた。
「助けられなかった人たちのこと、自分たちが力不足だったときの絶望感…それらも、一緒に背負っていかなきゃならないんだよね。」
その言葉に僕たちは黙ってうなずいた。そして、その場でふたたび沈黙が流れた。
ただ、その沈黙の中で僕たちは、この場所がかつて生命と死、希望と絶望、笑顔と涙が交差した場所であったことを、改めて深く理解した。
僕は引き続き、吸い込まれるようにカルテをめくっていった。
8歳の少女のものだった。白血病で、病状の進行と共に彼女の絵が少しずつ元気を失っていく様子が記録されていた。
次に目に留まったのは、10歳の少年。彼のカルテには、脳腫瘍の手術を乗り越えたものの、病状が再び悪化していく過程が詳細に書かれていた。
それぞれのストーリーが重なり合い、胸が締め付けられるような感覚に襲われた。
時間が経つのを忘れ、目の前のカルテに集中していた。その間に美紀は一言も口を開かず、僕の側でじっと立っていた。
時折、彼女が遠くを見つめていることに気づいたが、その時点ではすでに僕の全注意力はカルテに集中していた。
最後に目を通したカルテは、5歳の少女のものだった。彼女は病状が快方に向かい、退院の見込みが立ったことが記載されていた。僕は一瞬、ほっとした気持ちになった。
その気持ちを美紀と共有したいと思い、美紀の名前を呼びながら顔を上げた、しかし、美紀の姿はそこにはなかった。
「美紀?」
再び名前を読んだが、返事はなかった。彼女の足音や、風が動かす植物の音、遠くで鳴る鳥の声しか聞こえなかった。
「美紀、どこに行ったんだ?」
僕は声を震わせながら彼女の名前を何度を呼び、廃病院の壁が僕の声を反響させるのを聞いた。しかし、それに応えるのはただの静寂だけだった。
僕は美紀を捜すために、病院内をあてもなく彷徨っていた。
見慣れない廃病院の風景が、どこか異次元のように感じられた。
薄暗い廊下、壁に残る色あせた落書き、壊れた扉や窓…それら全てが、美紀がいないことを強調しているかのようだった。
それまで美紀と一緒だったから、僕はこの場所の不気味さをあまり感じていなかった。
でも一人になってみると、その恐怖はまるで増幅されたように感じられた。 そこにはもう、美紀の笑顔も声もなかった。ただ僕一人が、この静寂と闇と対峙しているだけだった。
それでも、僕は美紀のことを思い出して、足を止めずに前に進んだ。廊下の終わりにある部屋を覗き込んだり、壁に書かれた案内を見たりしながら、彼女の行方を追っていった。
そんなとき、僕は何気なく壁に残っていた施設の案内図に目が止まった。
その案内図は古く、ところどころ剥がれていたけれど、美紀がどこに行ったのかを僕に教えてくれる唯一の手がかりだった。
僕は美紀が児童の落書きに強く引き込まれていたことを思い出した。
その思い出から推測すると、美紀が行きそうな場所は、かつての遊戯室かもしれない。
なんの根拠もない推理だが、その瞬間、僕の心は一瞬だけ軽くなった。
だけどその後に押し寄せてきたのは、美紀がいない不安と恐怖だった。そして、僕は再び、美紀を求めて病院内を彷徨い始めた。
息を切らしながら僕は病院の廊下を駆け抜けた。 電球の欠けたライト、空虚なベッド、機能を失った機器。一つ一つがむなしく廊下に散らばっていた。
あるはずのない生活音が頭の中で鳴り響き、その不在感が僕の心に深い恐怖を刻んだ。
遊戯室へ向かう道中、僕は美紀がそこにいるという予感が外れていたらという思いに襲われた。
あまりにも静かすぎる廊下、先の見えない暗闇。もし、彼女がいなかったら。そんな不安が僕の心をよぎった。
しかし、僕はその不安を振り払い、足を進めた。
そして、その時だった。足元に何かが目に飛び込んできた。
一瞬、意識がそれを理解するのに時間がかかった。
それは、赤い一筋の線だった。
血だ。新鮮な、まだ乾ききっていない血だ。
「血だ。」
と確認すると同時に、僕の心臓は一瞬で冷えてしまった。
しかし、その瞬間に脳裏に浮かんだのは、美紀の安否を確認するという一念だけだった。
通路に残された血のりを追い、僕は全力で駆け続けた。
古い廊下は無機質な灯りで照らされ、その照明は僕の走る足元だけをクリアに映していた。
その先の暗闇から何が現れるかも分からない、そんな状況の中、僕はただ美紀の名前を呼び続けた。
そして、遠くでぼんやりと見えたのは、古びた扉だった。
その扉がどこに続くのか、また何が待ち構えているのか、僕にはまだ分からなかった。
だが、血のりはその扉へと続いていた。僕は全力で扉に駆け寄り、ドアノブを掴んでその扉を開けた。
ドアを開けたそこに、壁にもたれてしゃがみこんでいる美紀の姿を見つけた。
彼女の顔は涙で濡れており、体が小さく震えていた。僕は何も言うことができず、ただその場に駆け寄った。
「美紀!」
僕は彼女の名前を呼び、その傍らにしゃがんだ。
すると、美紀は突然僕に向かって身を投げ出し、僕の胸に顔を埋めた。彼女の体は小さく、しかし必死に震えていた。
そして、その次の瞬間、彼女は声をあげて泣きじゃくり始めた。
それは小さな子供が夜の闇に怯え、母親にすがるような、無防備で、しかし何よりも強烈な感情の発露だった。
僕はただ、彼女の背中をそっと撫で、無言でその涙を受け止めることしかできなかった。
本当にごめん、父さん。ありがとう」
そう言って僕は電話を切った。今回の件は父にとって急な話だった。
けれども、怒りも戸惑いも露わにせず、ただ緊急事態であることを察し、迅速に車を出してくれることを伝えてくれた。
廃墟の中は静まり返っていて、美紀と僕だけがそこにいるかのようだった。
先ほどの美紀の泣きじゃくる姿には正直驚いたが、時間の経過とともに彼女は徐々に落ち着きを取り戻しているようだ。
美紀 の怪我は、暗闇を移動の際、躓いて転び、足に薬瓶か何かのガラス片が足に刺さったもののようだ。傷は深く、血がたくさん出ていた。
一応、持ってきていた救急道具にて消毒やガーゼ等の手当は済ませたが、自力で歩くのは困難だろう。重症なのかどうか僕にも判断できないため、早く病院を受診させたい。
僕は焦りの中、美紀が完全に落ち着きを取り戻すのを待った。
美紀が落ち着きを取り戻したのを確認して、僕は彼女を背負い、廃病院の外へと向かい始めた。
廃病院の内部は薄暗く、足元も確認しきれないため進むのは容易ではなかった。
しかし、美紀の存在が僕の背中で確かに感じられる。その重みが、逆に僕を前へと押し出すようだった。
「ありがとう。」
美紀の声が僕の耳に届いた。彼女の感謝の意が、この状況を少しだけ明るくした。
「大丈夫だよ、美紀。もうすぐ外だから。」
そう言いながら、僕は注意深く、しかし確実に足を進めた。
廃病院の残骸やガラス片を避けながら、最善の経路を探し、進む。
「ごめんなさい、私、勝手に行っちゃって…」
美紀が小さな声で話し始めた。
彼女の瞳は遠くを見つめていたが、やがて視線は僕に戻った。
「カルテを読んでいて、その中に書かれていたことがすごくショックで、一人になりたくなったんだ。でも、それだけじゃなくて…」
美紀は言葉を慎重に選んでいるようだった。
「そのカルテに書かれていた子供たちが、どんなに孤独だったかを想像した時、私もその孤独と向き合わなくちゃって思ったんだ。だから、遊戯室に行ったの。」
その言葉から彼女の行動が生まれた深い意図を理解できた。
そして、彼女がその過ちを認め、謝罪する姿を見て、僕は彼女の強さを感じた。
美紀はちょっとした沈黙を挟んだ後、少し迷いつつも、自分の心の中を僕に打ち明けた。
「私、昔は私はさ、もっと…もっと無邪気で、人と接するのが楽しかったんだと思うんだ。」
「でも、なんだろう、中学になってから、友達といい関係を保つために、色々考えちゃうじゃない?それを続けていくうちに、自分がちょっとずつ変わっていった気がしたの….」
彼女の声は細く、言葉を選ぶのに一生懸命な様子が伝わってきた。
言葉を発するたびに、彼女の中にある葛藤が見え隠れした。
彼女は自分が変わったこと、自分の性格が人間関係を維持するための表面的なものになったことを告白した。
それはまるで一枚の仮面を被ったようなもので、その仮面を取り払ったら、本当の自分は誰もが知る明るく元気な美紀ではなく、孤独で混乱した美紀だけだと彼女は話した。
「だけど、この廃病院に来て、色んなことを感じて…医師や患者の孤独さとか、自分の悩みがどういうものかを理解できたみたい。」
「あのね、私、もう…もう自分を偽ることは悩みじゃないと思うよ。だって、それが、私が人と仲良くするために必要なことだから。それに、それが私自身の一部だって気がついたんだ。」
その言葉を聞いて、僕は彼女の中に生まれた変化を強く感じた。
それは、自己の成長と向き合う強い意志、そして、自己の問題を自分自身で解決しようとする勇気だった。
「それが、本当の美紀だよね?」
僕は微笑んだ。
彼女もまた、僕の言葉に微笑んだ。
「うん、それが、本当の私だよ。」
僕たちはその跡も廃病院の暗い廊下を歩き続け、美紀の告白をじっくりと反芻していた。
彼女の言葉は僕の心に深く響き、自分自身についても考えさせられた。
美紀は自分の悩みを抱えながらも、それを克服し、成長する力を見つけた。
そんな彼女を見て、僕は自分もまた、困難を乗り越える力を内に秘めているのだと気づいた。
「美紀が変わったというのは、それはそれでいいんだ。人間って、そうやって成長していくんだろう。自分がどう変わるかは自分次第だし、それが自分自身を形成していくんだから。」
そう思いながら、僕は美紀を見た。 彼女の顔には、さっきまでの悩みや不安が消えて、新たな希望に満ちた表情が浮かんでいた。
そして、その時、廃病院の出口が見えてきた。
僕たちは一緒に歩き続けて、ついに出口にたどり着いた。
光が射し込み、僕たちは新たな希望に満ちた世界に向けて一歩を踏み出す準備ができていた。
エピローグ
夏休みが終わり新学期が始まった、ぼくは学校の教室から窓を見つめていた。
蒼い空には雲一つなく、鮮やかな太陽が暑さを告げていた。
昼休みの様子を眺めていると、僕の視線の先に美紀の姿があった。
彼女は友人たちと楽しそうに笑っていて、その笑顔は以前と何も変わっていなかった。
夏休みが終わると、美紀は元の友人関係に戻り、いつものように明るく活動的に学校生活を送っていた。
彼女は周りの人々とのつながりを大切にし、その輪を一層大事にしていった。
一方でぼくは、美紀と一緒に過ごしたあの日々を思い出していた。
廃病院での冒険、彼女の告白、そして彼女の成長。それらは、もはや遠い夏の思い出となってしまった。
夏休みの間、美紀とはほとんど連絡を取り合わなかった。
彼女の怪我はすぐに治ったし、彼女自身も元気そうだったからだ。
だが、学校が再開され、彼女と会う機会が増えると、ぼくは自分が彼女との関係を希薄にしてしまったことに気付いた。
あの冒険を共有したにも関わらず、美紀とはまた遠くなってしまった。
美紀の笑顔を見つめながら、僕は感じた。
夏の終わりとともに、廃病院探索は終わった。
それと同時に美紀との特別な関係も終わったのだと。
窓から見える夏の風景は変わらない。
しかし、僕の心の中はすっかり変わってしまった。
美紀との日々は遠い夢のように感じ、新たな季節が待ち受けているにも関わらず、心はまだ夏に囚われていた。