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#ワンナイトラブ
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「水川さん異動だって?いやぁ寂しくなるなあ」
「主任になるんだって?すごいじゃないですか!」
「直接的な実務経験なくて勤まるのかな?」
「営業戦略室ね……所詮内向きの間接部署だよ」
評価面談も終わり
私を含め
異動や昇級の噂は広まった
営業メンバーの反応は良し悪し半々
口先だけとはいえ
激励してくれる人
遠回しに
嫌味を言う人
ほぼ男性のみで構成された営業メンバーは
女子界隈よりは若干治安良く思えた
「この関連資料はこのフォルダー下に案件別に分けてあります」
営業メンバーの予定の合間を縫って
小ミーティングを設けて共有する
それからの数日は
資料のまとめと
資料の整理に時間を割き
立つ鳥跡を濁さぬ様
引き継ぎに尽力した
と同時に
新規役職と
新規部署の研修への参加
新たに割り当てられた
営業戦略室オフィスへの移動
異動先の
新たな部署での
新たな挑戦への不安を抱えながら
迷惑の掛からぬ様
これまでの全てをクラウドに一元管理する
徐々に減る現オフィスの私物と
徐々に増える新オフィスの私物
不安と希望の交差する日々は
若干でも希望を孕む分だけ
日常の現実よりもマシに思えた
ヴヴヴ……
定期的に届く母親からのメッセージ
病み散らかした内容
今月も何度目だろうか
最近は頻度が増している気がする
文面を真に受けるなら
問題山積
問題を理解し
解決に向けた最善策を導き出す
答えはいつも同じ
お金の送金
問題という名の金の無心
愛情という名の金の送金
命という名の人質
それは
血縁という名の
呪いの鎖に繋がれた
永遠に終わる事のない負のループ
***
世間は華の金曜日
週末の入口に華やぐ時
(はぁ……さすがにお金厳しい)
(不本意だけど……夫に相談してみようかな)
陰鬱な気持ちを抱えつつ
葉物野菜をザク切りにする
それを沸騰した鍋に放り込み
しばし物思いに耽る
(夫に何て切り出そう)
(夫に何て言えば理解を得られるだろう)
耽れど答えの出ない物思い
悶々としながら
脳死で夕飯の準備をする
時計の針は深夜22時
今日も夫は遅かった
今さら何を憂おうか
いつもの日常だ
そろそろかと
食べられないであろう鍋を眺めながら
ボーっと夫の帰りを待つ
どうお金の話を切り出そうか
憂鬱な悩みを巡らせながら
時計の針は深夜0時
日付変更線を跨いだ
未だ夫は帰って来ない
結局
その日夫は帰宅しなかった
すっかり冷めてしまった鍋を容器へ移し
冷蔵庫へ入れる
色々と思い悩んだが
その全てが無駄に終わった
だからといってどうという事はない
いつもの
飛び慣れた空
泳ぎ慣れた海
現実という名の
色彩なき空虚な日常
***
「あぁ……またこの夢だ」
幼少期から見ている悪夢
一面漆黒の闇
私はこの夢がずっと怖かった
でも今では何故か
とても落ち着く
色彩のない空虚な日常よりも
色彩のない醜悪な現実よりも
夢を見る
この一時が
この悪夢が
今では憩いの一時
いつからだろう
狼の遠吠えはもう聞こえない
それは私が難聴だからじゃない
感覚的にだが
確信的にそう解る
代わりに聞こえるのは
代わりに感じるのは
心に響くような
DNAに訴えかけるような
熱い鼓動
身近で香る既嗅感のある匂い
身近で感じる灼熱の体温
誰だかわからない
人間なのかもわからない
でも
確かに
誰かが傍にいる
そんな不穏な状況が
今の私は何より落ち着く
まるで守られているようで
包み込まれる様な包容感
私はこの夢の中だと
安心して眠りにつける
誰かに守られながら
誰かに包み込まれながら
やがて時間と共に意識は遠のき
完全なる無へと落ちてゆく——
***
——翌日土曜日
カーテンの隙間から差し込む
穏やかな朝日に目が覚める
アラームの脅迫のない
遅い起床
上体を起こし
しばしボーっと宙を見る
やがて休日だと認識し
回らぬ頭のまま
フラフラとリビングへ向かう
そこで
スーツを脱ぎ散らかしたまま
夫はソファで寝ていた
「……」
徐々にフラッシュバックする昨夜の事
思い出したとて変わらぬ現状
冷めた心で
フラフラとキッチンへ向かう
私は目覚めのコーヒーを淹れた
香ばしい匂いに誘われたか
夫が目を覚ました
上体を起こし
しばしボーっと宙を見ている
やがて
匂いの元を辿り
目線がこちらへ
——目が合った
無言のまま
無表情のまま
私達は見つめ合った
私達が見つめ合う事など
いつ以来の事だろう
昔過ぎて思い出せない
「コーヒー飲む?」
「……」
しばらくボーっとしていた夫だったが
コーヒーの誘惑に負けたか
はたまた一時の気の迷いか
「……ああ、貰おうかな」
私の淹れたコーヒーを
冷めぬままの
温かいままの
淹れたてのコーヒーを
一緒に飲んだ
そして
いつ以来の事だろう
私達は
一緒に卓を囲み
一緒に朝食を食べた