「俺、日本に戻ります。」
轟々と風が吹き荒れ、大粒の雨が窓を打ち付けている。
電気を付けていないこの部屋は、カーテンを開けても大して明るくはならなかった。
窓に近いベッドの脇に座っている彼の輪郭がぼうっと青白く見える。
「戻って、あっちのリーグに入るってこと?」
「はい。」
「チームは決まってるの?」
「サンバーズに、塁と同じとこです。」
「…そっか。」
なんで、と問いただしたかったが、第六感がそれを引き止める。
聞くな、聞いてはいけない、と。
しかしその感も虚しく、その答えは彼の口から告げられた。
「…結婚、しようかって。」
先程まで嵐のような雨音が響いていたのに、その言葉が告げられた瞬間だけは、世界中の音がやけに遠く聞こえた。
握っていたカーテンを、掴み直す。
柄にもなく掌が汗ばんでいるのが分かった。
結婚。その相手は、もちろん俺じゃない。
「…そう、なんだ。」
「だから、祐希さん…俺たち、戻れますか?」
「…いつに?」
「ただの、仲が良い、先輩と後輩やった時に。」
戻る、とたしかに彼はそう言った。
しかし果たしてそんな瞬間があっただろうか。
一目会ったときから、「ただの」関係だったことはないはずなのに。
ふ、と自嘲気味た笑いが漏れた。
「そんな時、あった?」
「さぁ、あったんやないんですか?」
「…俺は忘れたよ、そんなの。」
うるさいほどの静寂が、叩きつけるような雨粒の音を連れ去ってしまう。
この静寂を破るのは、彼の、掠れた声だけだ。
「…俺もですよ。だから、困っとる。」
「お前が言い出したのに?こんな時まで笑わせるんだな」
無数の水滴が窓を伝って落ちていくのを見納め、振り返った。
シーツが乱れたベッドを、枕元から目で追っていく。
ぐしゃぐしゃに丸められたティッシュペーパー、縛られたゴム、白く乾いた染み、倒れたままのボトル。
ついさっきまでの時間が、形を持ってそこに残されていた。
そのまま目線を滑らせていけば、無表情にも見えるが、後悔と、罪悪感と、困惑とがごちゃ混ぜになったような顔を浮かべた藍と目が合う。
外界の雨音は止まないけれど、この部屋に入り込んでくることもない。
雨に濡れた世界はまるで深海のようにも見えた。
その上に浮かんでいるここは、まだ、二人だけの世界だ。
ストン、と隣に腰掛けた。その反動でぎしりとスプリングが鳴く。
「藍は、俺が誰とでもこんな事すると思ってるの?」
「…」
ふるふると首が横に揺れる。俯いてしまった顔からは何も読み取れない。
はぁ、とひとつため息を吐くとビクリと肩が揺れた。
それを宥めるように、小指だけが触れていた彼の左手に右手を重ねる。
この左手の薬指は、もう他の人のものになってしまったのか。
その事実に、胸が締め付けられる。
苦しいよ、藍。
「っん、…」
息がしたい、という欲望のままに俯いていた顔を上げさせ唇を塞いだ。
今になって気づく。あぁ、お前はもしかしたら俺にとって酸素みたいなものだったのかな。
必要で身近にいるのに、その存在に気づけなかった。
俺も、藍も、同罪ということだ。
ふっと張り詰めていた緊張を解き、彼の肩にもたれ掛かる。
しっとりと汗ばんだ背中に手を回し抱き寄せた。
「…今日、何曜日だっけ?」
「え?えっと、…月曜、やなくてもう火曜日ですね」
「…そっかぁ。」
火曜日、か。
急になんだ、と言わんばかりの怪訝な顔をした彼に思わず笑ってしまった。
もしかしたら俺たちは、思っていたよりも、お互いのことをわかっていなかったのかもしれない。
長く一緒にいたから似てきただけで、わかっていた気になっていたのかも、なんて。
「…そうだね、藍。戻ろうか」
「…」
返事はない。代わりに、触れ合った肩から震えが伝わる。
慰めようと頭に手を伸ばしかけて、やめた。
もうその役目は、俺じゃない。
俺の目から雫が落ちることはなかったけれど、窓ガラスを伝っていく水滴が止まることはなかった。
ーーー月曜日は、週の始まりって感じだから好きじゃない。その次の日の、火曜日が好きだ。
いつかのインタビューでそう答えた。
でも、今では月曜よりも嫌いになってしまった。
乾ききった俺の心の代わりに泣いていたような、土砂降りだったあの日の火曜日。
あの日を境に、俺が好きだった火曜日は、いなくなった。
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14より12の方が結婚するのははやいんじゃないかなと思い、書きました。14は「恋人はいないし、いらない」な感じがするので笑 最近の12の動向に思うところもあって彼の方がはやそうだなと。
fin
コメント
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とても心を揺さぶられる作品でした。確かに12さんの方が‥ご結婚早そうですね‥ 読んだあともじんわりと胸にくるものがあり‥素敵でした♡